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高橋財政を引き継ぐ異次元緩和のリスク

久保田博幸金融アナリスト

高橋財政に対する岩田日銀副総裁と私の見方には大きな違いがあるが、その最たるところは、日銀の国債引受に関する見方である。日銀の下関支店における「高橋是清翁顕彰シンポジウム」の講演で、岩田日銀副総裁は次のようにコメントしていた。

「高橋は、1935年には経済は安定軌道に乗ったと考え、歳出を削減するとともに、これ以上、日銀による国債引き受けを続けると、ハイパー・インフレになると考え、日銀の国債引き受けも止めようとしました。そのことが、軍事支出の増加を要求する軍部の反感を買い、高橋は 36年2 月26日に、青年将校によって暗殺されました。いわゆる、2・26 事件です」(岩田副総裁の下関での講演より)

1932年以降の政府支出の拡大要因は軍事費の拡大が主要因となったことで、財政政策の転換は簡単には行かず、1935年に高橋蔵相は軍備拡張を強引に要求する軍部と対立する。それが1936年の2・26事件により、高橋財政は悲劇的な結末を迎えることになった。

「高橋が暗殺された以後は、日銀の国債引き受けが悪用され、戦後にハイパー・インフレを引き起こす原因になりました。しかし、ハイパー・インフレを引き起こしたのは高橋財政ではなく、高橋が暗殺された以後の国債の日銀引き受けだったことに注意する必要があります」(岩田副総裁の下関での講演より)

高橋財政のリスクには、財政拡大の主因が軍事費であったことに加え、日銀による国債引受があった。これについて高橋是清は「一時の便法」と称していたが、それはある意味、パンドラの箱を開けてしまったとも言える。蔵相を何度も務め、首相や日銀総裁を経験していた自分ならば制御できると考えていたと思われる。しかし、その是清ですら軍部の暴走を止めることはできなかった。拙著「聞け! 是清の警告 アベノミクスが学ぶべき「出口」の教訓」から一部を引用しながらこのあたりについて見て見たい。

デフレからの脱却期であれば、日銀の国債引受の弊害は見えてこないが、経済が回復するとそのリスクが拡大する。つまり、日銀による国債の売りオペを行って過剰流動性を吸収しても、国債発行による財政拡大が続けば信用膨張が進む。これを抑制しようにも金融引き締め政策の実行が著しく困難となる。

高橋是清の考案した日銀引受による国債発行は、市中公募と異なり発行額や発行条件が市場動向に左右されなくなる。同時に財政負担の軽減を目的に発行する国債の利率の引き下げを計ることも重要な目的となっていた。金融緩和策ととも、国債の発行条件の引き下げにより、金利の先安予想が強まり、国債価格の上昇予想を背景にして、国債の売りオペを通じての市中消化を円滑に行うことが可能となる。つまり、これは金利の引き上げを行うことはかなり困難になることを意味しており、またその好循環が途切れるとすべての歯車がうまく回らなくなることも意味する。1935年に入るとそれまで順調となっていた売りオペによる円滑な市中消化が変調をきたしはじめた。

景気の回復により、銀行の貸し出しも伸びることになり、1935年下期から銀行貸し出しが増加に転じた。銀行による国債の買い余力が減少してきたことで、日銀が引き受けた国債の民間への売却比率は1935年上期が9割程度あったのに対し、下期には5割前後に低下した。

1935年6月の閣議で高橋蔵相は、「毎年巨額の国債が発行せられて行く時は、現在すでに相当多額の公債を保有している金融業者等は内心不安を覚え、少しでも公債価格の下落が予想せらるるようなことがあれば、進んで公債保有額を増加せぬことは勿論、すでに保有している公債もこれを売却しようとする気になり、一度このような事態が起きれば加速度的に拡大してたちまち公債政策に破綻を来し、市場に公債の消化を求めることができなくなる」と説明している。つまり国債発行額を漸減すべき時期が来たことを示唆した。

この高橋是清の説明はアベノミクスのひとつのリスクも示しているといえる。つまり日銀の異次元緩和によって本当に物価が上昇し、金利の先高感も強まれば、国債を保有している金融機関は国債に振り向けている資金を貸し出し等に向けようとする。そうなれば保有国債を売却し、長期金利が上昇してくる可能性が出てくる。国債発行については日銀による大量購入が続く間は問題が表面化しないとしても、日銀の物価目標に物価が接近してくれば、日銀の国債買い入れも減少せざるを得ない。それをもし維持してくるとなれば、高橋是清時代のような財政ファイナンスが意識されることも考えられる。

高橋蔵相は「公債が一般金融機関等に消化されず日本銀行背負い込みとなるようなことがあれば、明らかに公債政策の行き詰まりであって悪性インフレーションの弊害が現れ」と警告を発していた。高橋蔵相は「ただ国防のみに専念して悪性インフレを引き起こし、財政上の信用を破壊するごときがあっては、国防も決して安固とはなりえない」と主張した。自ら日銀による国債引受という手段を講じることでパンドラの箱を開いてしまった。これは自ら制御できるという意識もあったと思うが、打ち出の小槌を使ってしまったことは確かであり、そのリスクをわかっていたはずの高橋是清でもそれを取り上げることはできなかった。

国債の日銀引受方式の実施は、やがて金利政策の弾力的運営の自由を奪い、中央銀行にとって最大の使命である、通貨量の適切な調整を通じて通貨価値の安定確保を、事実上不可能にさせる結果をもたらす。財政インフレーションの進展を多少なりとも抑制しようとするためには、金利機能の活用を排除した統制措置に依存せざるを得なくなり、結局は財政インフレーションの大規模な進展を阻止することはできなくなった。(日銀百年史より一部引用)

日銀の百年史には日銀の国債引受について、こう記されている。

「本行からセントラル・バンキングの機能を奪い去るプロセスの第一歩となったという意味において、まことに遺憾なことであった。これは本行百年の歴史における最大の失敗であり、後年のわれわれが学ぶべき深刻な教訓を残してものといえよう」

高橋が暗殺された以後、日銀の国債引き受けが悪用されたわけではない。そもそも高橋財政で国債の日銀引受という手段を使ってしまったことが問題の根幹にある。アベノミクスの主軸である日銀の異次元緩和は国債引受ではないが、その発想の根幹に高橋財政があるとするのであれば、同様のリスクは当然ながら存在しよう。岩田副総裁は講演で、高橋財政の成功が、今回、日銀が採用した「量的・質的金融緩和」の考え方にも引き継がれていますとはっきり述べている。

金融アナリスト

フリーの金融アナリスト。1996年に債券市場のホームページの草分けとなった「債券ディーリングルーム」を開設。幸田真音さんのベストセラー小説『日本国債』の登場人物のモデルともなった。日本国債や日銀の金融政策の動向分析などが専門。主な著書として「日本国債先物入門」パンローリング 、「債券の基本とカラクリがよーくわかる本」秀和システム、「債券と国債のしくみがわかる本」技術評論社など多数。

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