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北朝鮮国民が嘲笑「金正恩の秘密警察」苦しまぎれの懐柔作戦

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

 北朝鮮北東部の咸鏡北道(ハムギョンブクト)会寧(フェリョン)では、豆満江に沿って中国吉林省に食い込んだ形の地理的条件を活かして、合法、非合法の貿易が広く行われてきた。

 川沿いに大きく広がる盆地があり、農業、鉱工業が発達している上に、貿易のおかげで北朝鮮の中でも比較的裕福な方に属していた。新型コロナウイルスのパンデミックにより、3年半もの間、貿易が中断していたものの、最近になって段階的に再開されつつある。

 そんな中、会寧市保衛部(秘密警察)の発した命令が、市民の間で嘲笑の的となっている。保衛部と言えば金正恩体制を支える恐怖政治の実働部隊だが、いったい何が起きているのか。現地のデイリーNK内部情報筋が伝えた。

(参考記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

 同市の保衛員は最近、市内の家々を訪ね歩き、こんな話をしている。

「中国の携帯電話を持っているなら自首(自主的に提出)せよ。しかし、商売は続けろ」

 北朝鮮にも携帯電話は存在するが、海外との通話ができず、インターネットにも接続できないため、非常に使い勝手が悪い。中国との商売をするなら、国際電話ができて、制限付きながらインターネットに接続できる中国の携帯電話が必須アイテムなのだ。

 しかし北朝鮮政府は、中国の携帯電話が「国内情報の国外流出、国外情報の国内流入」や、脱北の元凶になっていると見なして、厳しい取り締まりを行うよう、国境沿いの地域の保衛部に繰り返し命令を発している。

 秘密警察の中枢である国家保衛省は今年9月初め、「11月まで中国の携帯電話使用者を根絶やしにするまで掃討作戦を行え」との指示を下した。会寧市保衛部の部長(トップ)は、「11月までに集中取り締まりを行え、実績のないものは郡部に異動させる」と檄を飛ばした。

 保衛員たちは、会寧より貧しい郡部に左遷させられまいと実績を上げることに必死になっている。9月末には、韓国に住む脱北した家族からの仕送り1500元(約3万800円)を受け取ろうとしたとして、70代の老人を逮捕し、6カ月の労働鍛錬刑(懲役刑)を下した。社会的に敬われる存在である老人を逮捕するのは、保衛員の必死さを示す実例となっている。

 しかし、皆が皆、携帯電話を自主的に提出して商売を畳むこととなっては、保衛員としても非常に困る。自分の食い扶持――つまりワイロをせびる相手がいなくなるからだ。

 ある保衛員は先月24日、市内に住む40代女性のキムさんの自宅を訪ね、こんなことを言ったという。

「最近、あちら(韓国)とはうまく連絡が取れているか。生活に必要だろうから送金ブローカー業は続けよ。しかし、殺伐とした空気が流れる今、捕まれば大損をする。楽に商売したいなら(中国の)携帯電話は自首せよ。そうすれば、後で問題になっても自分がもみ消してやる」

 市内に住む別の人は先月17日、地域を管轄する保衛員からこんなことを言われたという。

「中国の携帯電話を隠し持って使っているとの通報が入った。自分に渡せば問題なく処理してやる。今すぐが無理なら、何度か(韓国や中国からの)送金を受け取ってから渡せ」

 保衛員が「携帯電話は出せ。商売は続けろ」という矛盾した要求を突きつけている話は、あっという間に市内全域に広がり、市民は矛盾した話を鼻で笑いつつ、保衛部を罵った。

「携帯電話を提出して、カネは稼げなんて、お話にもならない」

「外部(海外)と連絡しつつ商売している人々にとって、中国の携帯電話は命綱のようなものなのに、誰が自主的に提出するものか」

 保衛員も、中国の携帯電話が商売に欠かせない必須アイテムであることくらい重々承知しているが、こんな矛盾したことを言わざるを得ないほど上からのプレッシャーが強いのだろう。

 もし、保衛員が市民と良好な関係を築けていれば、言う通りにする人もいるかもしれないが、そうはならない。

「携帯電話を自発的に提出せよだなんて、人民をバカだと思っているのか」(情報筋)

「自首すれば罪は問わない」という言葉に騙された正直者が、ひどい目に遭うのを北朝鮮の人々は見続けてきた。保衛員に従って大人しく携帯電話を差し出す人はまずいないだろう。

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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