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錦織圭を悲願のグランドスラム初制覇へ導くマイケル・チャン。彼の現役時代を振り返る独占インタビュー2

神仁司ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト
錦織圭のツアーコーチを務めるチャン(写真右)、(photo by 神 仁司)
錦織圭のツアーコーチを務めるチャン(写真右)、(photo by 神 仁司)

2月22日に44歳になったばかりのマイケル・チャン(アメリカ)は、現在、日本男子テニスのエースである錦織圭のツアーコーチを務めている。

チャンコーチの人柄を少しでも知ってもらうために、2002年に私が行ったワンオンワンインタビューを紹介していきたいと思う。

チャンは、身長が175cmで、プロテニスプレーヤーとしては決して恵まれた体格ではなかったが、信じられないほど俊敏なフットワークと鋭いカウンターショットで、次々と強敵を倒していった。たとえ劣勢になっても、最後まで試合をあきらめることのないチャンのほとばしるような情熱はテニスファンの心をとらえて離さなかった。

第2回では、ジャパンオープンやセイコースーパーテニスに出場するため、何度も来日したチャンに、日本の思い出などを振り返ってもらった。思い出の多い日本で、一つ一つ丁寧に質問に答えてくれたチャン。ファン思いの心優しい彼の姿を見ることができる。

――テニスキャリアを振り返った時、いちばん思い出深い試合は何ですか。

チャン:一つだけ挙げるのなら、1989年ローランギャロスのレンドル戦(4回戦、2セットダウンからファイナルセットの末チャンが逆転勝ち。チャンのアンダーサーブやサービスライン上に立ったリターンは語り草になった)かな。たくさんのトーナメントを戦ってきましたが、やはりあの大会は私にとって、すごく特別なものです。新しい一歩を踏み出せましたから。レンドル戦のときは、私がけいれんを起こして大変だったんですよねぇ。レンドルとは、その年にマジソンスクウエアガーデンでも対戦しました(ツアー最終戦のマスターズ、このときはレンドルのストレート勝ち)。当時、何だか僕は、おとぎ話の中に迷い込んだような気持ちでしたね。また、試合とは別にうれしかったことがあるんですが、それは世界中にいる中国系の皆さんが、笑顔で声援を送ってくれたことです。私は、それにとても励まされました。

――チャン選手は、ずっと日本で人気プレーヤーなのですが、日本での思い出は何かありますか。

チャン:日本にはたくさんの思い出があります。勝ったり負けたりしましたが、日本では2回優勝(93年セーラムオープン、95年セイコースーパーテニス)できました。95年に開催した、(阪神大)震災のためのチャリティーマッチも思い出深いです。あのときは(杉山)愛とミックスダブルスを組んで、(伊達)公子&(松岡)修造ペアと対戦したんだよね。とても楽しかったな。

また、天皇皇后両陛下との試合も楽しかったです。本当に日本にはたくさんの思い出があります。

――02年ジャパンオープンが、最後の来日になるだろうと話されましたが、日本のテニスファンにメッセージをお願いします。

チャン:私のテニスを見に来てくれて、サポートしてくれた日本のファンの皆さんには本当に感謝しています。日本を訪れたときは、いつも歓迎してくれましたから、毎回来日するのが楽しみでした。プレーするときも、とても快適でしたね。そういう気持ちになると、選手は繰り返しその場所を訪れるようになるものです。私にとって、日本はお気に入りの場所の一つでした。本当にありがとう。

ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンMJ)勤務後、テニス専門誌記者を経てフリーランスに。グランドスラムをはじめ、数々のテニス国際大会を取材。錦織圭や伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材をした。切れ味鋭い記事を執筆すると同時に、写真も撮影する。ラジオでは、スポーツコメンテーターも務める。ITWA国際テニスライター協会メンバー、国際テニスの殿堂の審査員。著書、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」(出版芸術社)。盛田正明氏との共著、「人の力を活かすリーダーシップ」(ワン・パブリッシング)

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