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日本女子9人目の快挙! 女子ワールドテニスWTAツアーで初優勝した日比野菜緒インタビュー Part3

神仁司ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト
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2015年10月に、女子ワールドテニスのWTAツアーで、二人の日本女子優勝者が誕生した。そのもう一人が、日比野菜緒だ。

大会当時20歳だった日比野は、タシケント大会(ウズベキスタン、2015年9/28~10/3、アウトドアハードコート)で、WTAツアー大会2回目の挑戦で、初の決勝進出を果たし、見事初優勝を勝ち取った。日本女子の優勝としては、14年2月、WTAリオデジャネイロ大会での奈良くるみ以来の快挙だった。

日本女子9人目のツアー優勝者となった日比野が、独占インタビューに答えてくれた。

第3回目では、日比野に、テニスとの出合いなどを振り返ってもらった。

――テニスを始めたきっかけは、何だったのですか。

日比野:母親に言えって言われているんですけど(笑)、テレビの前でずっとゲームをやって、地蔵化していた兄(2歳上)をいかに外に出すかを母が考えて、家から6分ぐらいの近くにテニスクラブ(愛知県一宮市、木曽川ローンテニスクラブ)があったので、そこに兄を入れて、「それからあなたもやる?」みたい感じで、10歳の時に、それじゃやろうかなって始めました。テニスクラブの出身者には、秋田史帆さんや越野由梨奈さんもいて、田舎のわりには結構なクラブです(笑)。

最初私は、全然だめでした。たくさん同い年の子がいるし、休みたいという感じでしたけど、クラスが少しずつ上がっていくのが楽しかった。その頃は、秋田選手にあこがれていて、手紙を書いたり、誕生日プレゼントを渡したり、一緒にいつか練習してみたいと思ってました。秋田選手が、ジュニアのナショナルチームに入った時、クラブにそれを祝う横断幕が飾られて、私もここに名前を載せてもらいたいって思いましたね。当時から、超ミーハーでした。

今は、私の優勝おめでとう横断幕がクラブに飾られていて、その写真を母に送ってもらいました。嬉しいですけど、田舎だから、誰も見ないですよ(笑)。

――日比野さんのテニス同級生には、尾崎里紗、加藤未唯、穂積絵莉、澤柳璃子、二宮真琴ら、“テニスの94年組”がいて、他の選手がジュニアタイトルを取って、ジュニア時代に日比野さんはあまり目立ちませんでした。ライバルが多い中、どう思いながらプレーしていましたか。

日比野:みんなの背中をずっと見て走って来たので、2番手グループと言われたこともあった。ツアー優勝できて正直嬉しかったです。私が悔しかったように、今、彼女達も悔しい思いをしていると思うので、必ず上がってくると思うんですよね。だから、私も追い越されないようにやるだけですね。やっぱり彼女達の存在は大きいですね。

――なぜプロテニスプレーヤーになろうと思いましたか。

日比野:あんまり考えていなかったですね。オーストラリア留学を終える時に、アメリカの大学に行くか、日本に帰って来てプロになるか、母に決めなさいと言われた。同じ年齢の選手の活躍を見て、ちょっとどこかで、私にもまだできるんじゃないかと考えていたし、ナショナルチームに入れてもらえなかった嫉妬もあった。

私が15~16歳の時に、ジュニアのITF大会を回りたいと言ったら、ここ(木曽川)にはコーチがいないから引率できないと言われたのがきっかけで、ちょうどクラブのコーチが、オーストラリアのゴールドコーストに移住して、プログラムをやるから一緒に来てみないかって誘ってもらって、行ってみようと。学校からの交換留学生も結構いて、日本人が多かった。(ゴールドコーストの)テニスクラブ自体は、あまりレベルが高くなくて、私が女子ではトップでしたし、男子を含めても3番目でした。でも、試合は回れたし、グランドスラムのジュニアも行きましたし、遠征に行けたのは良かった。

同世代に置いていかれていた負い目があったので、1年半の海外テニス留学から日本に帰国してから、彼女達とどれぐらいできるのか、やってみたらと母親に言われて、プロになろうと思いました。母は、普段は口を出さないんですけど、大事な時は意見をくれたりするので頼りにしています。

母親は、あまり私(3人姉兄の末っ子)の試合は見に来ないですけど、ユージェニー・ブシャール(カナダの美人選手、49位、21歳)が好きです(笑)。携帯電話の待ち受けがジニー(ブシャールのニックネーム)ですから。私が、たまに自分の写真に変えると、「なにこれ!?」って、すぐジニーに戻しています。「(16年の)全豪(オーストラリアンオープンテニス)ではあんたの試合じゃなくて、ジニーの試合見ているから」と母は言っています。全仏(ローランギャロス)は、姉(4歳上)も行きたいと言っているんですけど、「パスはいらない。チケットだけ用意して、パリで買い物するから、試合の日だけ呼んで」って。私の家族、本当にふざけているんですよ(笑)。

――竹内映二コーチとは、いつから、そして、どうして一緒に練習するようになったのですか。

日比野:18歳からです(12年2月から)。ゴールドコーストでのテニス留学後に、どこに拠点を置こうかと考えて、いろいろ候補があったんですが、兵庫県の三木にあるラボ(みんなのテニス研究所・みんラボ)に行った時に、私は何も言っていないのに、母親が、自転車で通えるくらいの所に「部屋を借りて来た」と言ったんです。私は、さすがにびっくりしました。じゃあ、わかりましたって(笑)。私もここで練習したいという気持ちがあったから良かったんですけど、母親にまだ何も伝えていなかったのに、(母は)何なんですかね。コーチ陣も、「えっ」という感じで、まだ受け入れるのを決めていないのに(苦笑)。

――竹内映二さんは、どんなコーチですか。

日比野:結構冗談が多くて、オフコートでは、すごく面白くてリラックスさせてくれる。オフコートで学ぶことが多くて、やっぱり人間力がないと、テニスプレーヤーとして成功しない。テニスが強いだけでなくて、応援される選手になりなさいと常に言ってくださる。だから、オンコートとオフコート共に成長していこうって思います。やっぱり映二さんのテニスへの情熱が半端じゃないので、それを見ていると、こっちもテニスを頑張ろうって。口下手で、あまり説明がうまい方ではないんですけど、見ているだけでテニスが好きなのが伝わってきますし、選手を第一に考えているのも伝わって来るので、選手として、この人についていきたいと思えます。

(Part4に続く)

ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンMJ)勤務後、テニス専門誌記者を経てフリーランスに。グランドスラムをはじめ、数々のテニス国際大会を取材。錦織圭や伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材をした。切れ味鋭い記事を執筆すると同時に、写真も撮影する。ラジオでは、スポーツコメンテーターも務める。ITWA国際テニスライター協会メンバー、国際テニスの殿堂の審査員。著書、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」(出版芸術社)。盛田正明氏との共著、「人の力を活かすリーダーシップ」(ワン・パブリッシング)

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