Yahoo!ニュース

【イラク戦争と英国】 2015年、ブレア元英首相 「情報は間違っていた」が、開戦の決意は正当化

小林恭子ジャーナリスト
2003年4月9日、バクダッドにあったフセイン大統領の像に米国旗をかける米兵(写真:ロイター/アフロ)

(ウェブサイト「論座」が7月末で閉鎖されることになり、筆者の寄稿記事を補足の上、転載しています。) 

 2003年、米国と英国を中心とする多国籍軍がイラクに武力行使をして始まったイラク戦争。今年3月20日で、開戦から20年となった。

 イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を開発しているという主張の下、国連安全保理事会の決議を得ずに始まった戦争は国連の限界を見せつけた。昨年2月、ロシアによるウクライナ侵攻にも影を落とす。

 米国と行動を共にした英国では、当時の政府(ブレア政権)がイラクの脅威を誇張した・うそをついたのではないかという疑念が付いて回った。開戦までの経緯を調査する委員会がいくつか設置され、2016年夏、最後の委員会の報告書が出た。

 報告書発表前の2015年、武力行使を強く主張していたブレア首相が戦争について「謝罪した」という報道が出た。

 当時の議論を紹介してみたい。

イラク戦争:2003年、米英を中心とする多国籍軍とイラクとの間で行なわれた戦争。イラクのサダム=フセイン政権が大量破壊兵器を開発している疑惑をもたれ、その破棄を求めた米国と対立した。米英がイラクへの武力行使を主張する一方で、ドイツ、フランス、ロシア、中国などが慎重な姿勢を見せた。国連の決議がないまま、2003年3月20日、多国籍軍が首都バグダッドを爆撃。同年4月、フセイン政権が崩壊する。2006年、イラク人による新たな政府が発足した。2008年、オバマ米大統領が戦争終結を宣言し、2011年末に駐留米軍の撤退を完了した。イラクには大量破壊兵器がなかったことが判明した。

(参考:NHK「イラク戦争から きょうで20年 その後の国際情勢に大きな影響」、2023年3月20日、学研「イラク戦争」)

イラク戦争について「謝罪」したブレア元英首相

 2015年10月25日放送の米CNNテレビによるインタビューで、イラク戦争開戦時に英首相だったトニー・ブレア氏が戦争について「謝罪した」という。英国内外で大きなニュースとして報道された。

 イラク戦争は、英国民にとっては忘れようにも忘れられない汚点が付く戦争だ。国民の側には当時の政治家が国際法を無視し、米英主導で違法な戦争が始まったという認識がある。

 「うそつきブレア」という悪名がついたブレア氏が、その責任について、国民に明確に謝罪したことはなかった。同氏の謝罪発言と、イラク戦争が英国の政治に与える影響に注目してみた(以下、役職は2015年当時)。

「シリア空爆はイラク戦争のようになる」

 2015年12月2日、英国下院は10時間を超える討論の末に、イスラム過激派組織「イスラム国」(IS、あるいはISIS)討伐のためにシリアへの空爆を決定した。ウェストミンスター議会の周辺では空爆反対の抗議デモ参加者がプラカードを掲げて「空爆を止めろ」と叫ぶ中での可決だった。可決から間もなくして、英空軍がシリア内のISの拠点への攻撃を開始した

 討議に入る前に、キャメロン首相(在職2010-16年)は空爆に賛成しない議員は「テロの同調者だ」と感情的な表現を使って非難し、野党・労働党のヒラリー・ベン影の外相が「ファシストと戦うために立ち上がるべきだ」と熱弁をふるった。ジェレミー・コービン労働党首などの反対派の声はかき消された。

 討論では賛成、反対それぞれの立場の議員たちがその理由を披露したが、賛成派がひんぱんに使った表現が「これはイラク戦争ではない」。逆に反対派は「イラク戦争のようになる」と警告した。「イラク戦争のように」とは、軍事介入後の明確な計画を持たずに突入し、収拾がつかない混乱状態となることを意味する。

「政治家にうそをつかれた」戦争

 多くの国民が忘れていないイラク戦争。「違法な戦争に巻き込まれた」、「政治家にうそをつかれた」という思いが共有されている。

 「うそ」とは、開戦前にブレア政権が強調し、メディアによって増幅されたイラクの脅威だ。「イラクのフセイン政権は大量破壊兵器を持っている」「45分間で実働装備できる」という表現が新聞の見出しやテレビのニュースで紹介された。

 「45分間で」というのは、いかにも恐ろしい。ところが、開戦後しばらくすると、想定されていたような大量破壊兵器はなかったことが判明した。同盟国米国と歩調を合わせるために、時の政府がイラクの脅威を故意に強調した、つまりはうそを言ったのではないかという疑念が強まった。

 戦前には100万人単位の反戦デモが何度か発生し、こうした声を押し切っての開戦となったことも、一部の国民の反感を買った。03年5月に大規模戦闘が終了したイラクでは、異なる宗派の住民同士による戦いが発生し、状況が泥沼化した。2009年には駐留英軍がイラクから撤退したが、この時までに、179人の英兵が戦死した。

戦争を検証してきた三つの独立調査委員会

 イラク戦争とはいったい何だったのか?いったい何故不正確な諜報情報を元に戦争がはじまったのか。真実を知りたいという国民の声を受けて、これまでに複数回にわたり、大規模な調査が行われてきた。政府が立ち上げた「独立調査委員会」(外部から選んだ人材と税金を使って、政府から独立した立場から問題を調査する委員会)だけでも3つある。

 最初の一つが2003年7月に設置された「ハットン調査委員会」で、政府がイラクの脅威を故意に誇張したかどうかを検証した。2004年2月の報告書は、「誇張はなかった」と結論付けたが、ほとんどのメディアがこれを批判。左派系高級紙「インディペンデント」は1面に「ホワイトウォッシュ(ごまかし)」と書いた。

 2つ目が諜報情報の正確さを精査した「バトラー委員会」で、2004年7月に報告書を出した。イラクへの攻撃が「ほかの国よりも緊急であった証拠はなかった」「45分の箇所を裏付ける十分な情報がなかった」など、開戦の前提となった情報の不正確さを指摘した。

 2010年からは、開戦にかかわる政治事情を検証する「チルコット委員会」(正式名称は「イラク調査」)が調査を行った。

 調査は2012年に終了した、報告書が出る前の2015年時点では、ブレア氏が何らかの謝罪に追い込まれるのかが大きな焦点となった。

 もしブレア氏が「イラクの脅威を誇張して開戦に持ち込んだことは、大変申し訳なかった」と述べ、英軍の戦死者が出たことを詫びて「イラクの治安情勢が悪化したことに責任を感じる。許してほしい」と言ってくれれば、国民は次に進める。戦死した息子や娘を持つ遺族は死が無駄ではなかったと解釈し、心を静めることができる。

 しかし、これまで、ブレア氏は国民が望むような形では謝罪をしてこなかった。これでは国民も遺族も前に進めない。

 ところが、2015年10月26 日放送の米CNNテレビによるインタビューで、ブレア氏は「謝罪した」という。

 中身を見てみると、諜報情報が間違っていたことについては謝罪し、ISの勃興には一定の責任があることを認めたものの、フセイン政権を崩壊させたこと、つまりはイラク戦争そのものについては謝罪しなかった。

 これまで、公の場でのブレア氏のイラク戦争についての言及を見ると、「謝罪する」(アポロジャイズ)という言葉そのものをほとんど使っていない。今回のCNNのインタビューはこの言葉をストレートに使ったという意味で新しく、イラク戦争後の泥沼化への責任やこの戦争とISとのリンクを明確に認めた点も珍しい。しかし、真っ向からイラク戦争を謝罪したわけではなかった。

「諜報情報が間違っていたことを謝罪する」

 具体的に、どのような謝罪を行ったのか。CNNの動画から、該当部分を紹介してみたい。

 司会者に「フセイン政権が大量破壊兵器を持っていなかったことが証明されたが、イラクに行き、フセイン政権を倒すことは間違いだったか」と聞かれたブレア氏はこう答えている。

 「私たちが受け取った諜報情報が間違っていたという事実については謝罪したい。というのは、フセインはイラク国民やほかの人々に化学兵器を使っていたが、大量破壊兵器計画は私たちが思っていた形では存在していなかった。この点については謝罪したい」

 「(侵攻)計画については部分的に間違いがあったことについても、特にいったん政権を取り除いた後に何が起きるかについての私たちの理解が間違っていたことについても謝罪できる」

 「しかし、サダム(フセイン)を排除したことを謝罪するのは難しい。2015年の時点からも、サダムがイラクにいないほうがいたよりは良かったからだ」。

 ブレア氏は司会者にこう聞かれた。「ISISの勢力拡大を見ると、多くの人がイラクへの侵攻が元凶であると指摘する。これに対してどう答えるか」。

 ブレア氏は「もっともな部分もあるとは思うが、(断言するには)かなり慎重であるべきだ。そうしないと、現在のイラクやシリアで発生していることを誤解してしまう」

 「もちろん、2003年にサダムを排除した私たちが2015年の状況について何の責任もないとは言えない」

 「しかし、一つには2011年に始まった『アラブの春』も今日のイラクの状況に影響を与えただろう。2つ目としてはISISが実際に名を知られるようになったのはイラクではなくシリアだったという点もある」

 「私たちはイラクでは介入を試み、軍隊を送った。リビアでは軍隊を送らずに介入を試みた。シリアでは介入を全くしようとしなかったが、政権交代を要求した」

 「(イラクでの)私たちの政策がうまくいかなかったとしても、これにつながるほかの政策がうまくいったかどうかは明確ではないように思える」。

 イラクへの侵攻を決定したことで、「戦争犯罪人」と自分が見なされることについてどう思うかを聞かれると、ブレア氏は当時、正しいと思ったことを実行したと答えた。

 この決断が正しかったどうかについては、人それぞれだという意味で「誰もが判断できる」と答えている。「ほかの人は『戦争犯罪人』というかもしれないが、自分は自分だ」という、これまでの姿勢を繰り返した。

聴衆席の女性が「うそつき」「人殺し」と発言

 ブレア氏は2010年、政治的キャリアを振り返った自伝「ジャーニー」(和訳は『ブレア回顧録』、日本経済新聞出版社)を出版している。

 イラク戦争についての謝罪があるだろうと期待した遺族は落胆した。「戦争についての決断を後悔はできない。その後に展開した、あのように血みどろで、破壊的、大混乱の悪夢が実現するとは夢にも思わなかったが」(筆者の訳)と書いただけだった。

 同年1月29日、チルコット委員会はブレア氏を公聴会に呼んだ。武力攻撃を正当化するために諜報情報を誇張したことは「ない」と、それまでの言説を繰り返した。また、戦争については「責任を感じるが、フセイン大統領を取り除いたことに後悔はない」と答えた。「もし同じ状況にいたら、同じ決定(開戦)をする」、と。

 最後に、チルコット委員長がブレア氏にだめ押しのように聞いた。「言い残したことはありませんか?」何らかの謝罪の言葉を待っているかのようだった。

 「ありません」とブレア氏は答えた。BBCによると、すべてを終えて公聴会室を出るブレア氏の背中に向かい、聴衆席にいた女性二人のうち、一人が「うそつき」(you are a liar!)、もう一人が「人殺し」(you are a murderer!)と言ったという.

将来に向けての巧妙なポジショニング

 CNNのインタビューで、ブレア氏は「謝罪する」という言葉を使った。国民やメディアの側からすれば、十分な謝罪ではなかった。しかし、自伝出版や委員会での証言時から数年を経て、少なくともブレア氏は「アポロジャイズ=謝罪する」という言葉を使うようになっている。チルコット報告書の中で当時の政治判断を厳しく批判されることを察知し、先手を打っておいたのだろう。

 同時に、筆者は、白髪が目立つようになったブレア氏が、月日が経つうちに自分の政治選択がどのような結果をもたらすのかを身をもって学んだ、つまり自省の要素もあるのではないかと思った。

 そう思えたのは、2015年12月11日、下院の外務委員会の公聴会に召喚されたブレア氏の証言を聞いた時だ。

 委員会は、2011年に英仏が中心となって行ったリビアへの空爆についての調査を行っている。カダフィ政権は崩壊したものの、各地で内戦が激化しており、事実上の無政府状態となっている。独裁政権崩壊につながる軍事介入の後で、国内が内戦に近い状態になるーイラク戦争をほうふつとさせる状況である。

 2004年3月、「テロ支援国家」として長年孤立してきたリビアを訪問してカダフィ大佐に会い、リビアの本格的な国際社会復帰への第一歩を作ったのがブレア氏だ。

 委員の一人に、英仏によるリビア空爆についての意見を求められた。「もしあなたが首相だったら、空爆を決断したと思いますか」。

 「(キャメロン)首相を批判したくない」、「彼が持っている諜報情報を自分が持っていたわけではないので、答えられない」とブレア氏は述べた。落ち着き、自省的な様子で、終始中立であろうとする姿勢を維持した。

 「空爆後にどうなるかの十分な計画を練ってから武力行使に向かうべきではなかったでしょうか」と改めて質問が出た。間接的にブレア政権のイラクへの武力行使を非難しているようにも聞こえた。

 「リビアだけに限らないが」と前置きをしたブレア氏は軍事干渉を行う際の計画策定では「治安面をどうするかが肝要だ」と答えた。野党も含めて多くの人が軍事介入について賛同をしていても、「イスラム過激派の要素が絡んでくる場合、治安面の対策がないとだめだ」。

 シリアもそうだ、とブレア氏は続ける。「シリアの将来をどうするかについて、何らかの合意ができたとしよう。新たな憲法ができて、それを実行するのは誰なのか?」

 冒頭で紹介したが、2015年、英議会は賛成派が多数を占めてシリアのIS拠点への空爆を決定した。また、サウジアラビアでは12月10日、シリアの反政府勢力がアサド政権との交渉に向けた統一組織を発足させることで合意したばかりだが、先行きは前途多難と言われている。ブレア氏の言葉の意味は重い。

 「うそつきのブレア」というニックネームがついたブレア元首相だが、外務委員会での質疑を聞いて、チルコット報告書でいかに批判されようと、同氏の洞察にまともに耳を傾ける人は英国内でも増えてくるかもしれないと筆者は思った。

 CNNという外国の、しかし大手の報道機関の取材の中で「謝罪する」という表現を用いたのは、将来に向けてのブレア氏の巧妙なポジショニング(位置調整)だったと言えよう。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

小林恭子の最近の記事