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ミハエル・ミキッチ(湘南ベルマーレ)が語るクロアチア代表躍進の経緯と根拠

木村元彦ジャーナリスト ノンフィクションライター
ロシア大会予選でマンジュキッチの4発含む6対0でコソボを下した翌日のクロアチア

 サンフレッチェ広島でのプレーを9年。そして今年湘南ベルマーレで10年目を迎えているミハエル・ミキッチはクロアチアではU21代表の経験がある。A代表入りがなかったのは、同ポジションにタレントが揃っていたことと、彼はちょうどロシア大会の準優勝チームの上のジェネレーションにあたり、「モドリッチやマンジェキッチを中心とした世代のチームでトップを目指す」という方針で行われた早めの世代交代のためとも言えよう。しかし、その分、俯瞰してヴァトレニ「(=炎)クロアチア代表の愛称」の歴史を観察することが出来た。人口約440万人の国がいかにして準優勝を成し遂げたのか。そのプロセスを語ってもらった。

 ―ミカはロシアW杯でクロアチア代表がフランスとの決勝に臨む前には、メンバーに何かメッセージなどを送ったのでしょうか。

 「いえ、むしろ彼らの集中を妨げるようなことをしたくないので、何も送りません。心の中で応援していました。ただボランチのミラン・バデリ(フィオレンティーナ)からは逆に写メが送られて来ました。これです。モスクワのホテルの窓際に広島のお茶を置いてあって『俺はこいつを飲んで決勝に行くぜ!』と書いてありました。3年前に日本に来たときに彼は広島茶にすっかりはまっていて今も大事な試合の前に愛飲しているのです(笑)」

 ―今回のクロアチア代表は1998年の3位のときに比べてもチームとしての熟成度は高かった。3試合連続の延長戦を勝ち抜いて上がって来てフィジカルも厳しかった中、決勝でもフランス相手に攻守の切り替えがすばらしく速かった。ボールを奪われてもカウンターをなかなか出させませんでした。

「そうですね。ロシア大会を通じて相手のカウンターはほぼ封じ込んでいたと思います。フランスでもムバッペにはほとんど出させなかった、走らせなかったと思います。クロアチアはボールに行くタイミングがすごく良かった。バラバラのプレスではなく、味方が間延びしていないときに必ずチームとして連動していた」

 ―そしてボールを失ったり、奪えなかったら戻してブロックを作る。それらが意思統一して徹底して行われていましたが、あれは監督のダリッチのオーガナイズだったのでしょうか。

「その可能性はあります。しかし、私が思うのは戦術の多くは選手からですよ。マンジュキッチはユベントスでプレーしているし、イバン・ペリシッチもインテルで、二人はイタリアの前線からも守るタクティクスが叩き込まれている。ラキティッチ(バルセロナ)、モドリッチ(レアル・マドリード)はスペインで、奪われてから取り返すメソッドが身についている。どこで奪うのかを熟知する彼らが前の選手を指示していました。『右』、『左』『今だ、行け』『ストップ』。アンテ・レビッチはブンデスのフランクフルト。右サイドバックのシメ・ヴルサリコもアトレティコマドリーでシメオネの戦術を叩き込まれているし、ロブレンもリバプールでクロップの教えを受けている」

  ―ミカ(ミキッチ)は一度アトレティコのトレーニングを視察に行ったことがありましたね。

 「そうです。そこではシメオネ監督が徹底的に戦術練習を繰り返していました。それが今のヨーロッパの潮流です。クロアチアの強みはそういうクラブで活躍する選手たちが大勢いて、各自が集ってすり合わせが自分たちでできること。何をしないといけないのかを全員が分かっていることです。全員がフットボールをすることを知っている。代表監督のダリッチは彼らに対して1から10まで教えることはありません。逆にもう監督任せ出なく選手が自発的に動くそういうチームでないとW杯では勝てないと思うのです」

 ―ミカがクロアチアの強さを解析するには、それがイタリアと良さのブレンドだった。それをもたらしたのが、選手ということ?

 「そうです。そこに自分たちのオリジナルな良さも忘れることもなく出した。つまりクロアチア特有の足下の上手さ、豊富なアイデア、そして負けないというメンタリティー。さらに今回は23人がほぼ同じ能力を持っていた。先発とバックアップメンバーとの差も無かったのです」

 ―クロアチアの監督にとって仕事はどういうものか。

 「監督の仕事というは選手と大きな信頼を築いて、今言ったようなハイブリッドのサッカーを最終的にやらせることです。選手に自信をつけさせて、しかし過信もさせない。今回もピッチでのオンと生活のオフには目を光らせたと思いますが、それ以外のことは何も言わなかったと思います」

 ―ダリッチの良さはどんなところにあったのでしょうか。

 「彼は心理学者ですね。モチベーター、そしてオープンで正直だった」

 ―一方で厳しいところもあった。グループリーグの初戦のナイジェリア戦で途中出場を拒否したカリニッチをチームの和を乱したとして強制帰国させた。これでクロアチアはチームがまとまったという見方がありますが、内情はどうだったのでしょうか。そもそもカリニッチはどのようなキャラクターなのか。

 「あの事件は、選手に対してチームのことを考えない人物はここにはいられない、という明確なメッセージになりました。それによって選手がやってやる、という気持ちになったのは事実でしょう。自分はカリニッチのことは、(親友の)ルカ(モドリッチ)のようには直接は知らないけれど、ひとつ言えるのは、彼は勝者のメンタリティを持っているということ。自分より先にクラマリッチが出場することが許せなかったのでしょう。ただ、一番悲しんでいるのはカリニッチです。もしかしたら、カリニッチが残った方が、もっといいものがもたらされたかもしれない。ただそれは分からない」

 ―モドリッチはチームをまとめるのが大変だったのではないでしょうか。

  「それは問題無かったです。我々は個人の下した意見を尊重するのでセンチメンタルになることはありません。『途中出場は嫌だ』『それなら帰れ』『分かった帰る』それだけのことです。それに対して介入するとか、トラウマになるということはない。クロアチアはそういう人たち。『惜しい人を亡くしたと故人を偲んでも墓を暴くな』ということわざがあります。代わりは必ずいる。サッカーに解決策はかならずある」

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 ―ミカは、クロアチア代表は2006年からほぼ今の代表の土台を作って来たと言っていました。チームとしての経験の厚みを確かに今大会は感じました。私はユーロ2008のトルコとのPK戦で外して号泣するモドリッチの姿が忘れられなかったのですが、今回はそのPK戦をことごとく制した。特にデンマーク戦では延長でのPKを外しながら、PK戦では見事に気持ちを切り替えて真ん中に蹴って決めた。10年の間にここまでメンタルが強くなるのかと驚きました。

 「それがルカ・モドリッチです。彼は困難に絶対に諦めない。(チームメイトだった)ディナモ・ザグレブ時代は必ず毎試合後、自身のプレーの自己分析をしていました。どこが良かったのか、悪かったのか。もっと何ができたのか。クロアチアはユーロ2008でトルコに負けてベスト8になった。2010年の南アフリカW杯には出場を逃した。ユーロ2012はアンラッキーでスペインで負けた。ユーロ2016はポルトガルにPKで負けた。そういったことが全て同じチームにとっての貴重な経験となって今回の準優勝に結びついたと思うのです」

 ―活躍したラキティッチもかつては『PKが犬よりも下手だった』と言われていたという記事を読みました。

 「それは事実です。ラキティッチはPKを蹴る前はいつも自信満々です、しかし、なぜかいつも必ず右下に緩いボールを蹴るので(笑)それを完全に読まれてストップされていました(笑)」

 ―グループリーグで敗退した2014年のW杯ブラジル大会は何があったのでしょう。初戦のブラジル戦では物議を読んだPKの判定がありましたが。

 「2014年はチームの雰囲気があまりよくありませんでした。ニコ・コバチ代表監督はプロとして良い監督だった。良い人間ですし、良い選手でした。それは間違いない。しかし、選手に求めすぎた。毎日、血液検査をして選手はリラックスができなかった。ドイツ生まれということで、そのやり方を持ち込んだのですが、クロアチア人のメンタルを少し理解していなかった」

 ―代表監督と言えば、ミカも広島で一緒に戦った森保一さんに日本代表の声があるようです。

 「とても良いアイデアですね。ぽいちさんは選手との関係を作るのも上手いし、もしもそうならば非常にいい監督になると思います」

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ジャーナリスト ノンフィクションライター

中央大学卒。代表作にサッカーと民族問題を巧みに織り交ぜたユーゴサッカー三部作。『誇り』、『悪者見参』、『オシムの言葉』。オシムの言葉は2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞、40万部のベストセラーとなった。他に『蹴る群れ』、『争うは本意ならねど』『徳は孤ならず』『橋を架ける者たち』など。

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