『夏の甲子園中止で失うもの、得るもの』

写真:アフロ

 一部報道によると、夏の甲子園大会も中止の公算が大きいらしい。夏の中止は戦後初めてとかで、選手、関係者にとっての無念さ、悔しさはさぞ大きいものと想像される。センバツが中止になった時点では、まだ夏の大会という望み、救いがあった。しかしそれが断たれてしまうのだから。正式には20日に行われる高野連の運営委員会で正式決定される見通しだが、中止の可能性は極めて高い。日本高野連から各都道府県の高野連に甲子園大会の予選となる地方大会の開催可否を一任したため、つまりは全国で一斉の地方大会が開催されない可能性が出たことで、事実上、各都道府県から代表が出揃う夏の大会は無理となるためだ。

 新型コロナウイルスの現状を考えれば、そして毎日の報道に接していれば、あるいは「覚悟」もあっただろうか。しかし、現実的には難しいと思っていても、まだ決定していなければ一縷の望みに期待する。それが断たれること。想像に余りある。

 原因は新型コロナウイルスによるものだが、直接的な要因は、球児たちのコンディションとされている。緊急事態宣言発出後、休校となった学校では部活も出来ず、まともにボールを握った練習を出来ずにいる高校生も多い。ある高校野球部の関係者によれば「試合が出来るまでの身体に戻すには最低でも1、2ヶ月は必要」なのだという。しかし現状、緊急事態宣言が解除された地域とそうでない地域が区分けされた状態では、公平性に欠ける。また急場しのぎのような練習だけで地方予選、夏の大会と戦い続けるのは、球児たちを壊すだけだ。同関係者によれば「現在休校措置となっているぶん、解除されても夏休みが短縮される可能性がある。その場合、従来のように夏の大会のために学校を休むことは難しい」とも。これは地方大会が開催される7月下旬にも当てはまることで、どうやら日本高野連が地方大会の開催を各地域に一任した要因には、こうしたスケジュール面での難しさもあったとみられる。その意味では、緊急事態宣言が延長された時点で、夏の大会の実現性は極めて低くなっていたのだと思う。

中止となった場合の影響は?

 では中止となった場合、どのような影響があるか。トップランクの選手たちにとっては、ドラフトへの影響は大きい。元来、プロのスカウトたちは高校球児も優秀な選手なら1年時から見続けてはいるが、素材としての“伸びしろ”を見定めようとするには、2年の秋から3年の夏までの間の成長度合いが重要視される。しかし今年は春、夏とも全国大会がなくなったため、プロとしても精査し切れていないと聞く。そのぶん、「各地方に一任された」地方大会でのチェックが、より重要となるだろう。選手にしてみれば、この地方大会でどれだけアピールできるか。

 またプロではなくとも、大学や社会人に進んで野球を続けようという選手にとっても、最後のアピールする機会が失ったことを意味する。とくに大学、社会人(企業)はコロナ禍で来年度の入学、新規採用にも影響を受けている。その意味において、甲子園という舞台は、夢の舞台であると同時にリクルートの舞台でもある。

 無論、プロや大学、社会人の対象となる選手は一握りだ。大半の選手はこの夏の大会とともに引退、卒業し、野球を終える選手たちである。そうした彼らにとって最大の目標が失われたことに違いはない。

 では、彼らは失うだけなのだろうか。失礼を顧みずに記せば、否と思う。甲子園に行けないぶん、彼らは他の年の選手以上に、甲子園というものの存在を、価値を、大事さを知ることになると思う。戦いに敗れ、甲子園に行けなかった選手の痛みも学ぶはずだ(勿論、戦って敗れることと、戦わずして断念させられることはまったく異なるとわかっている)。もし高校野球が教育の一環というのなら、今回の無念さ悔しさは、必ずや高校3年生球児たちの心を豊かにするのではないか。素直にそう思う。それはもしかしたら、勝ち上がり、出場することと同等かそれ以上に意味あることとなりはしないか。それぞれの18歳のその後の人生にとって。

 そういえば阪神の藤川球児投手が、プロ野球の開幕が流れた3月末に、こう言っていた。

「あくまでスポーツは健康と安全が保障されたなかでやるものですからね」

 プロでさえ、そう考えているんだ。ならば高校生ならなおのこと……。そしてもし地方大会だけでも開催されるなら、そこでのプレーの大事さを心から感じて貰えればと思う。

 打ち、投げ、走り回るのが当たり前だったグラウンドが、どれだけ大切なものだったかを。

 はるか遠い昔、1回戦で敗退するのが当然とわかっていても、日々、ユニフォームを泥だらけにしていた高校のとある部員は、そんな風に思う。