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新たなガザ戦争: 中東危機の引き金になるのか、ハマスの狙いは何か/最悪のシナリオは?

川上泰徳中東ジャーナリスト
イスラエルにハマスが越境攻撃 武力衝突激化。イスラエルがガザに報復の空爆(写真:ロイター/アフロ)

 7日に起きたパレスチナ自治区のガザを支配するイスラム組織ハマスの大規模な奇襲攻撃で、10日時点で1000人近いイスラエル人が死んだという。イスラエルのネタニヤフ首相は正式に宣戦布告した。すでに激しい空爆がガザ市内に行われ、地上部隊のガザ侵攻も避けれれない状況だ。ネタニヤフは治安閣議の中で「敵にすさまじい代償を払わせる」と述べているが、軍事力には雲泥の差があり、一方的な戦争になることは目に見えている。新たなガザ戦争が日本と世界にもたらす最悪のシナリオは、パレスチナ危機が湾岸を舞台とした新たな中東危機の引き金になることである。

■歴史的敗北の再来

 今回のハマスの奇襲攻撃について、イスラエル紙ハアレツの軍事専門記者は、1973年10月6日にエジプト軍による奇襲攻撃で始まった第4次中東戦争(十月戦争、ユム・キプール戦争)に匹敵する政治、軍事上の衝撃を与えているという論評を出した。

 50年前、エジプト軍はスエズ運河の渡河作戦を決行し、緒戦を勝利した。イスラエルはその後挽回するが、当時のエジプトのサダト大統領は「渡河の英雄」としてアラブ世界の喝采を浴びた。今回のハマスの奇襲攻撃を、イスラエルの歴史的な敗北と並置しているのである。

 今回、ハマスの攻撃で衝撃的だったのは大規模なロケット攻撃以上に、ハマスの戦闘員1000人以上が参加したとされる同時多発的な越境攻撃である。ガザは「天井のない監獄」と言われ、41キロの海岸線に沿った6キロから12キロの幅の細長い地域であり、イスラエルは海以外の三方をぐるりと高さ5メートルほどのコンクリートブロックの壁で封鎖している。

 分離壁には何か所もイスラエル軍の監視塔がある。この状況で、ハマスの戦闘員はガザ北部、中部、南部と複数地点で壁を破って、イスラエル側に侵入し、イスラエルの町やキブツを襲撃し、130人以上の兵士や市民を拉致した。イスラエル軍や治安当局は9日時点で、イスラエル南部の安全を確保できていなかった。

■警戒情報さえない失態

 このような奇襲攻撃には数か月の準備が必要であり、ガザのハマスの動向に目を注いでいるはずのイスラエル軍情報部やモサドが全く察知できていなかったことは信じられないというしかない。

 イスラエル軍やモサドのガザに対する情報収集は、携帯電話やインターネット通信の傍受は当然として、ガザの上空に気球を飛ばしてガザの動静を常時監視している。さらにガザの中に協力者つくり、ハマスの内部にもの通報者、協力者がいるのは常識である。

 それにも関わらず、ハマスの奇襲攻撃を察知できなかった。直接の情報でなくとも、ハマス関係者が急に姿を消すなどの不穏な動きや異変を伝える情報が入っていれば、重大なことが起こる予兆としてガザ周辺に警戒情報を出していただろう。今回はそれさえなかった。

 ネタニヤフ首相は「ハマスが拠点とするあらゆる場所を廃墟にする」と宣言している。2022年末に成立した第6次ネタニヤフ政権は、極右・超正統派宗教政党との連立で、これまでのイスラエルの政権の中で最も右寄りの政権とされ、今後のイスラエル軍の報復は歯止めが効かないものになりかねない。

 心配されるのは、イスラエル軍の攻撃でパレスチナ民間人の犠牲がとてつもなく大きくなることである。

■ガザの「見えない部隊」

 ガザの民間人の犠牲が増える要因に、ハマスの軍事部門であるカッサーム部隊がガザ住民にも「見えない部隊」ということがある。部隊の拠点がどこにあるか、幹部がどこにすんでいるか、誰が戦闘員なのかなど、地元のガザの住民は知らない。かつて私が取材したカッサーム部隊の戦闘員の若者は家族にも明かしていないと語った。それが普通である。

ハマスの軍事指導者を暗殺したイスラエル軍の1トン爆弾で更地になった現場。周りのビルも損傷が目立つ=2002年7月、川上撮影
ハマスの軍事指導者を暗殺したイスラエル軍の1トン爆弾で更地になった現場。周りのビルも損傷が目立つ=2002年7月、川上撮影

 2002年、第2次インティファーダが激しいころ、私はエルサレムに駐在し、イスラエル軍がガザでハマスの軍事部門トップを殺害したと発表した場所に行った。

 ビルが立ち並ぶ住宅地で、30平方メートルががれきの山になっていた。イスラエル軍機が1トン爆弾を落とした場所で、軍事部門のトップとその家族と周辺住民を含む計15人が死亡し、150人以上が負傷した。周辺住民はハマス幹部が住んでいるを知らなかった。ハマスの軍事部門の幹部は常にイスラエル軍の暗殺作戦の標的であり、住む場所を転々とし潜伏生活をしている。

■犠牲になるガザ市民

 今回もイスラエル軍が「ハマスの軍事拠点を攻撃」と言って、ガザの住居ビルにミサイルが命中し、ビルが倒壊する映像が流れている。10日までに560人が死んだと発表された。イスラエル軍はハマスの軍事部門の幹部が住んでいるという情報を得ているかもしれない。しかし、そこに住む住民は何も知らないまま、犠牲になる。

 2014年7月から8月にかけて50日間続いた2014年ガザ戦争では、イスラエル側の死者は兵士67人、民間人1人で、パレスチナ側の死者は2300人で、その7割は民間人だった。今回のイスラエル軍の報復攻撃でも、さらにひどい規模になるかもしれない。

 ガザは365平方キロの広さで、東京23区を合わせた面積の半分程度の場所に240万人が住んでいる。ガザ市は60万人。そのような人口密集地で、ハマスのカッサーム部隊の戦い方は都市ゲリラの手法と自爆攻撃を合わせたものである。

 イスラエル地上軍がガザに入っても、簡単にハマスを制圧することはできない。2014年のガザ戦争に参加したイスラエル兵士には周りで人影が見えれば、相手が戦闘員かどうかを確認しなくても、身の危険を感じれば銃撃してもよいという交戦命令が出ていたとされる。多くの民間人の犠牲が出た理由である。

■限られた軍事的選択肢

 ネタニヤフ首相がいくら「ハマスの拠点を廃墟にする」と言っても、空爆では過去のガザ空爆と同様、多くの市民が犠牲になるだけでハマス支配は崩れない。大規模に地上部隊を侵攻させても、パレスチナ人の犠牲が増えるばかりで、イスラエル軍はハマスの決死作戦で苦しめられるだろう。

 さらにイスラエル軍が制御困難なガザを再占領する選択肢はない。ガザに対するイスラエルの軍事的な選択肢は極めて限られており、戦争が長引けば泥沼化は必至である。

■ハマス「言葉ではなく力」

 それなのにハマスが大規模な奇襲作戦に出たのはなぜか。

 私は新聞の中東特派員としてハマス創設者のヤシン師、幹部たちとインタビューした。彼らはイスラエルに対抗するには「言葉(交渉)ではなく力(武力)」しかないと繰り返した。イスラエルと渡り合うためには、武力でイスラエルの治安を脅かすしかないということだ。

ハマスの創設者のアフマド・ヤシン師。「なぜ、自爆作戦をするのか」と私が問うと、「我々は日本から学んだ」と答えた。2004年にイスラエル軍の暗殺作戦で死亡=2001年8月、ガザで(川上撮影)
ハマスの創設者のアフマド・ヤシン師。「なぜ、自爆作戦をするのか」と私が問うと、「我々は日本から学んだ」と答えた。2004年にイスラエル軍の暗殺作戦で死亡=2001年8月、ガザで(川上撮影)

 2000年に始まる第2次インティファーダでハマスが多用したのは、彼らが「殉教作戦」と呼ぶイスラエルの民間人に対する自爆テロである。しかし、ハマスは2005年に自爆戦術を放棄した。それ以前は、息子がハマスの「殉教作戦」で死んでも、家族は口を揃えて「誇りに思う」と語っていたが、インティファーダが抑え込まれてくると、「何のために子供は死んだのか」と批判の声が家族から出てきた。

 ハマスは民衆に根を張る大衆組織であり、民衆の心境の変化を察知して、「殉教作戦」を放棄せざるを得なかったと私は見ている。

■選挙勝利に欧米の拒否

 自爆作戦から転換し、2006年にハマスは初めてパレスチナ自治評議会の選挙に参加した。ハマスの候補が議席の過半数を占めて、単独でパレスチナ自治政府を発足させた。

 これはハマスが穏健化したのではなく、第2次インティファーダが終わって、軍事部門に代わって政治部門が表に出てきたためである。ハマスでは政治部門が軍事部門を指導する関係ではなく、二つの指導部が並列してある。

 ハマスが自治政府を発足させたことは、政治部門の大きな得点だった。しかし、米国、ロシア、EU、国連でつくる中東和平四者会議は、ハマスがオスロ合意を認めず、イスラエルの生存権を認めないことを理由に、ハマスの自治政府を認めず、援助を停止した。

 その後、ハマスとファタハの連立自治政府ができたが、両者の不信感は深く、2007年にガザのハマスはファタハが抑えていた警察・治安部門を武力で排除した。それ以来、現在まで西岸の自治政府のファタハと、ガザを実効支配するハマスの分裂・対立が続いている。イスラエルはそれ以来、ガザに経済封鎖を行い、15年間にわたる封鎖が続いている。

■繰り返されたガザ攻撃

 封鎖下に置かれたハマスに対して、2008年末-09年1月、▽2012年11月、▽2014年7月ー8月、▽2021年5月ーーと、イスラエルは大規模なガザ攻撃が繰り返した。

 4回の攻撃で計4000人のパレスチナ人が死亡した。死者の7割が民間人である。イスラエル側で民間人の死者は計27人。これまでハマスはイスラエル側にロケットを発射しても実際の効果は薄かったが、今回、大規模な越境攻撃によってイスラエル側に1000人近いの死者を出した。ハマスは初めてイスラエルの軍事上の脅威となった。

 イスラエルが激しい報復攻撃をするのは避けられない情勢だ。しかし、イスラエルにとっては大規模な報復攻撃で終わりになるものではない。

 これまでイスラエルはハマスが支配するガザを分離壁で包囲した上で、経済封鎖してきた。ガザで怒りがたまってきてハマスが外に向けてロケットを発射すれば、大規模に空爆して黙らせる。国際社会もガザ攻撃の時は騒ぐが、すぐに忘れた。しかし、今回、ハマスが分離壁を破って奇襲攻撃をかけたことで、これまでの封じ込め手法が通用しなくなった。

■人質とったハマスの思惑は

 今回、ハマスにとっての理想的なシナリオは、報復攻撃を耐えて、イスラエルがハマスと本格的に治安・軍事上の協議に入り、封鎖の解除を含む停戦合意に進むことだろう。

 そんなことがあるはずがないと思うかもしれないが、エジプトが渡河作戦で緒戦の勝利を得た第4次中東戦争の4年後の1977年に、サダト大統領は電撃的にイスラエルを訪問し、エルサレムの国会で演説した。翌78年に米国の仲介でサダト大統領とベギン・イスラエル首相のキャンプデービッド合意となり、79年のエジプト=イスラエル平和条約につながった。

 軍事的な均衡が崩れた時、均衡を回復するために、敵対関係にある勢力が直接、間接に接触するとすれば、そこから和平の糸口が出てくることもある。

 ただし、現在の宗教・極右のネタニヤフ連立政権ではハマスとの話し合いに進むのは難しいかもしれない。しかし、ネタニヤフ政権の報復攻撃が軍事的にも政治的にも展望のない泥沼になれば、国民の間に新たな指導者と方法を探る動きが出てくるだろう。

 ハマスが100人以上の兵士、民間人をイスラエルから拉致し、人質にしていることは、人質解放の話し合いにイスラエルを引き込もうとするハマスの思惑が透けて見える。

■「分離壁による平和」の終わり

 今回のハマスの奇襲攻撃の影響はガザだけにとどまらない。西岸での「分離壁による平和」の終わりを意味する。第2次インティファーダの後、イスラエルは「自爆テロを阻止する」という名目で西岸とイスラエル本土の間に、分離壁を建設して、国民の安全を担保してきた。西岸の分離壁は約700キロの予定で、これまでに500キロが完成した。

ヨルダン川西岸にイスラエルが建設した分離壁。分離壁の向こうの丘の上に見えるのはユダヤ人入植地(川上泰徳撮影)
ヨルダン川西岸にイスラエルが建設した分離壁。分離壁の向こうの丘の上に見えるのはユダヤ人入植地(川上泰徳撮影)

 しかし、今回、ハマスがガザで行った越境攻撃が西岸に波及すればイスラエルの治安を決定的に揺るがす。

 イスラエルはガザ報復という近視眼的な対応ではなく、自国の安全を守るために、どのようにパレスチナ問題に対応するのかを根源的に問われることになろう。

 結局、1967年から50年以上続くパレスチナ占領を終わらせない限り、暴力が終わらないという自明の現実に立ち返るしかない。

■最悪のシナリオは湾岸危機

 今回のハマスの奇襲攻撃が中東情勢に与える影響はさらに重要である。これから始まる新たなガザ戦争が日本と世界にもたらす最悪のシナリオは、パレスチナ危機が湾岸を舞台とした新たな中東危機の引き金になることである。

 ハマスは明らかに第4次中東戦争のエジプトの渡河作戦から50年後の10月6日を意識し、ユダヤ教の安息日(土曜日)の10月7日を狙って「アクサー洪水作戦」と名付けた奇襲作戦を決行した。

 作戦の狙いは渡河作戦の再来として、アラブの民衆に「イスラエルへの勝利」を訴えることだろう。2020年に突然進んだアラブ諸国とイスラエルとの国交正常化の動きに対するアラブの民衆の不満や怒りに火をつけ、イスラエルとの国交正常化を進めるアラブの為政者と民衆の間にくさびを打ち込むことができる。

■湾岸の国交正常化にくさび

 今回のハマスの大規模攻撃について、米ブリンケン国務長官が「サウジとイスラエルを結びつけようとする努力を妨害することが動機の一つだろう」と語った。しかし、イスラエルとサウジの水面下での協力関係は現実のものとなっていて、正式合意を妨害するだけなら、ハマスがこれほどの大規模な軍事作戦に出る必要はない。

 サウジが正式に合意する、しないに関係なく、湾岸諸国がイスラエルと友好関係にあることは既成事実である。ハマスの狙いは、これまで湾岸諸国で広がったイスラエルとの国交正常化の動きに反発するアラブの民意を噴出させて、湾岸諸国、特にサウジアラビアとUAEに圧力をかけることだろう。

■「アラブの春」と国交正常化

 2020年後半に続いたイスラエルとアラブ諸国の国交正常化とは何だったのか。

 8月にアラブ首長国連邦(UAE)とイスラエルの国交正常化が突然発表され、バーレーン、スーダン、モロッコと相次いで正常化され、11月にはネタニヤフ首相とサウジアラビアの実質的支配者であるムハンマド皇太子の秘密の会談が世界のメディアをにぎわせた。

 これらの国交正常化の動きは、2011年にアラブ諸国に広がった民主化運動「アラブの春」後の政治の流れに位置づける必要がある。若者たちが大規模デモを始めて、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンと相次いで強権体制が倒れた。その後、湾岸諸国は民主化の動きを言論弾圧で抑え込み、「アラブの春」の波及を阻止した。

■スパイウエアを介する治安協力

 チュニジアやエジプトなどの「アラブの春」は「フェイスブック革命」「ツイッター革命」と呼ばれ、若者たちは携帯電話とSNSを使って、デモへの参加を呼びかけ、デモの映像を携帯電話で広めた。

 しかし、2013年のエジプトでの軍のクーデターで民選大統領が排除された。クーデターはUAEやサウジが支援した。それを契機に、アラブ諸国では言論弾圧が激しくなり、フェイスブックやツイッターへの監視が始まり、言論状況や民主化の状況は「アラブの春」の以前よりも悪化した。

 サウジ、UAE、バーレーンが言論弾圧に出た時に、弾圧の手段となったのが、イスラエルの企業が開発した「ペガサス」と呼ばれるスパイウエアである。

 監視対象となる人権活動家やジャーナリストなどの携帯電話に秘密裡に送りこんで、情報を盗むことができる。イスラエルにとってスパイウエアは国家のセキュリティに関わる技術で、国交のない湾岸諸国に提供することはできない。その提供を仲介をしたのはイスラエルの情報機関のモサドだった。

 2018年にサウジの情報機関によってイスタンブールで殺害されたジャーナリストのカショギ氏の婚約者の携帯もペガサスに感染した痕跡が会ったことが判明した。ペガサスがモサド経由でサウジにも渡っていたことを示す。

■モサド主導の国交正常化

 2020年の国交正常化をイスラエル側で仕切ったのは外務省ではなく、モサドだった。さらに、2020年11月に、ネタニヤフ首相とムハンマド皇太子の秘密会談が海外メディアに流れたが、モサド長官の同席も報じられた。

 会談についてはサウジは否定したが、サウジに駐在する米国メディアやイスラエルのメディアにも秘密会談があったことが次々と報じられた。カショギ記者殺害事件への関与で評判を落としていたムハンマド皇太子はイスラエルとの友好関係の深まりを国際的に印象付ける結果となった。

■湾岸王国とイスラエルの治安協力

 2020年の国交正常化は、湾岸石油王国に「アラブの春」が波及しないように民主化を抑圧するためのイスラエルと湾岸諸国の治安協力から生まれた。アラブの民意から乖離し、民意を抑えるためのたものだった。バーレーン、スーダン、モロッコではイスラエルとの和平反対デモが起きたことが報じられた。

 今回、ハマスの奇襲作戦がアラブ民衆の間に喝采を呼び、その後のイスラエルによる大規模空爆や地上部隊の侵攻で、ガザの市民に多大な犠牲が出ることになれば、イスラエルへの激しい反発となり、民衆の怒りは、国交正常化に動く湾岸石油王国に向かうことになりかねない。

■パレスチナ危機から中東危機へ

 今後の展開次第では、パレスチナ危機が中東危機につながりかねない。これまでもパレスチナ危機の後に中東危機が起きてきた。

 1987年12月に始まった第1次インティファーダは、パレスチナの少年たちが石礫でイスラエルの戦車に立ち向かったことから「石の革命」と呼ばれた。

 1990年にイラクがクウェートに侵攻した湾岸危機で、サダム・フセイン・イラク大統領はクウェートからの撤退の条件としてイスラエルのパレスチナ占領地からの撤回を求める「パレスチナ・リンケージ」論を持ち出した。翌年の湾岸戦争ではイラクからイスラエルに40発のスカッドミサイルが打ち込まれた。

■ビンラディンが語ったパレスチナ

 2000年9月に第2次インティファーダが始まり、翌2001年に9・11事件が置き、イラク戦争へとつながった。アルカイダを率いたビンラディンとパレスチナの関係はあまり知られてはいないが、事件の翌年、ビンラディンは「アメリカ人への手紙」という文章を発表した。

 「なぜ、私たちはあなたたちと戦うのか。なぜならあなたたちが私たちを攻撃しているからだ」として、最初に「米国はこの50年間、パレスチナを占領し、専制と犯罪と殺戮と追放と、荒廃をもたらしているイスラエルを支援し、(占領の)犯罪に加担している」とかなり詳細にパレスチナ問題に言及している。

■失われた「アラブの大義」

 次の中東危機である2011年の「アラブの春」からシリア内戦に動く前、2008年12月から09年1月にかけて、イスラエルによる初めてのガザ攻撃があり、1400人のパレスチナ人が犠牲になった。

 なぜ、パレスチナ危機の後に中東危機が訪れるのだろうか。かつてはパレスチナ問題の解決は「アラブの大義」と四度の中東戦争があったが、エジプトの単独和平条約の締結以来、パレスチナ人だけが中東の軍事大国であるイスラエルと対峙する構図となった。パレスチナ危機になるとパレスチナ民衆がイスラエルの攻撃で一方的に犠牲を払う救いのない状況となる。

 パレスチナ人とはパレスチナ地域に住むアラブ人であり、アラビア語を母語とする。パレスチナ人の叫びは、アラブ世界のアラブ人に同胞の叫びとして入ってくる。その時、アラブ諸国の為政者の無力さが露呈し、権力の正統性さえ揺らぐ事態になる。

 パレスチナ危機に乗じて、サダム・フセインやビンラディンという既存の秩序の破壊者が、「パレスチナの大義」を掲げて、アラブ民衆の支持を得ようとする動きが出てくる。

■「アラブの春」とパレスチナ問題

 「アラブの春」がパレスチナ問題とどのように関わるかと思うかも知れない。私が2011年にカイロで会った若者リーダーの一人は、2008年に始まったイスラエルによるガザ攻撃の間に、ガザ南部でエジプトが接する境界の地下に掘られたトンネルを通って、ガザでの支援活動を行い、エジプトに戻ってきてエジプト警察に逮捕された経験を持つ人物だった。

2011年2月、カイロのタハリール広場に集まり、「政権打倒」を訴えたエジプトの群衆(川上撮影)
2011年2月、カイロのタハリール広場に集まり、「政権打倒」を訴えたエジプトの群衆(川上撮影)

 当時、カイロのタハリール広場を占拠した若者たちの間では「カラーマ(尊厳・誇り)」という言葉が主要なスローガンだった。それはアラブの為政者が「アラブ人の誇りを失っている」という思いの裏返しで、イスラエルに対する為政者たちの無力さを批判する意味があった。2011年9月には若者たちのデモ隊がカイロのイスラエル大使館の外壁を壊して乱入しようとして軍と衝突する事態となった。

 今回のハマスの奇襲作戦を契機としてパレスチナ危機が始まれば、これまで繰り返されたように中東危機につながる可能性は否定できない。それがイスラエルとの国交正常化を進めるサウジやUAEを含む湾岸での「第2のアラブの春」のような展開になれば、日本と世界にとっては最悪のシナリオである。

 すでに不穏な空気の広がりを予見させる出来事が起きている。ハマスの奇襲作戦があった翌8日、エジプトのアレクサンドリアのローマ遺跡で、エジプト人の警官がイスラエル人観光客2人と通訳の計3人に銃撃して殺害する事件だ。ハマスの奇襲作戦と事件の関係は報じられていないが、アラブ諸国でイスラエルへの敵意が高まるのは避けられない状況である。

■自制を求めるアラブ諸国

 今回のハマスの奇襲作戦に対して、エジプト、サウジ、UAEはニュアンスの違いはあるが、いずれも「両者に自制」を求めている。これは外交辞令ではない。イスラエルの大規模な報復によって、パレスチナ側におびただしい犠牲が出て、それがアルジャジーラやアルアラビアなどのアラビア語衛星テレビでアラブ世界に流れれば、アラブ民衆の怒りは政府に向かうことになる。

 単に「両者に自制」を求めるだけでなく、自国の為政者が、この問題でどのように動くかを、アラブの民衆が見ている。サウジやエジプトはハマスへの自制を呼びかけることはできるが、イスラエルへの自制を働きかけるのは米国に頼むしかない。しかし、バイデン大統領は一年後に大統領選挙を控え、とてもネタニヤフ首相の怒りに歯止めをかけることは期待できない。

 今後、事態がどのように動くか予測できない。欧米は「イスラエルへの支持」を表明しているが、日本を含めて国際社会がイスラエルの報復を抑えるために動くかどうかに中東情勢の行方がかかっている。

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【参考】川上泰徳著 『戦争・革命・テロの連鎖: 中東危機を読む』(彩流社)

中東ジャーナリスト

元朝日新聞記者。カイロ、エルサレム、バグダッドなどに駐在し、パレスチナ紛争、イラク戦争、「アラブの春」などを現地取材。中東報道で2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。2015年からフリーランス。フリーになってベイルートのパレスチナ難民キャンプに通って取材したパレスチナ人のヒューマンストーリーを「シャティーラの記憶 パレスチナ難民キャンプの70年」(岩波書店)として刊行。他に「中東の現場を歩く」(合同出版)、「『イスラム国』はテロの元凶ではない」(集英社新書)、「戦争・革命・テロの連鎖 中東危機を読む」(彩流社)など。◇連絡先:kawakami.yasunori2016@gmail.com

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