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イラン映画『ジャスト6.5』 世界最大の麻薬捜査最前線の裏側:息詰まる刑事と売人の対決

川上泰徳中東ジャーナリスト
『ジャスト6.5』の一場面。中央が麻薬売人ナセル(ナヴィッド・モハマドザデー)

 イランの警察麻薬取締班と、麻薬密売人の対決を描いた社会派映画『ジャスト6.5 闘いの証』が東京都内で公開されている。イランは世界のアヘン生産の8割以上を占めるアフガニスタンに接し、国内で深刻な麻薬汚染が広がる。イラン警察のアヘン押収は世界の押収量の9割であり、日本にとっても他人事ではない。息もつかせぬストーリー展開は娯楽作品でありながら改めてイラン映画の質の高さを感じさせ、緊迫した麻薬犯罪捜査の舞台裏を見せてくれる。イラン映画『ウォーデン 消えた死刑囚』も同時公開。

※『ジャスト6.5 闘いの証』『ウォーデン 消えた死刑囚』の映画サイト

イランを代表する国際俳優の共演

 『ジャスト6.5』はイランの警察の麻薬取締班の刑事と、大物麻薬密売人の対決を描く。容疑者を厳しく尋問する部長刑事サマド役のペイマン・モアディと大物売人ナセル役のナヴィッド・モハマドザデーは、共に国際映画祭で受賞歴のあるイランを代表する俳優である。刑事と容疑者として二人が対決する場面は随所に出てくるが、二人の共演はこの映画の見どころの一つである。

※『ジャスト6.5』予告編

 サマド刑事は大声を上げ、容疑者を脅し上げるような荒っぽい手法ながら執念の捜査で末端の売人に口を割らせて、麻薬販売ルートをたどる。大物密売人のナセルの居場所を突き止め、高層マンションの最上階で逮捕する。しかし、ナセルは拘置所に入れられてからも、一筋縄ではいかない。

 拘置所では大勢の未決囚が広い部屋に入れられており、中の様子が興味ぶかい。囚人が煙草を売ったり、携帯電話を隠し持っている囚人が金をとって他の囚人に通話させるようなやり取りがある。ナセルは拘置所の中でも金と影響力を使って、外に連絡をとって工作を続ける。取り調べの最中に、サマド刑事を膨大な金額を提示して買収しようとする。サマドは金額を釣り上げて、買収に乗るふりをする。二人の間のピリピリとした心理戦。

麻薬価格を左右する大物売人

 拘置所の囚人は裁判官の下で取り調べを受ける。裁判官はナセルに「お前が供給したコカインは500キロに及ぶ。2億だったコカインの価格が3000万に下がった。気軽に買えるから、新たに手を出すものも、依存者も増えた」という。ナセルが「それがすべて俺のせいだというのか」と反論すると、裁判官は「お前が逮捕されて、価格は8500万に上がった」というようなやり取りがある。

 するとナセルは麻薬商売に手を染めた背景に「子供のころから貧乏で苦労した。兄貴は腎臓の手術代が払えずに死んだ」などと身の上を話す。さらに拘置所に彼が支えている大家族との面会の場面など、麻薬問題の背景にある社会問題も透けて見える。

「650万人の薬物依存」への無力感

 この映画の背景となるイランの麻薬汚染は非常に深刻である。映画の中でサマド刑事が同僚刑事に「俺たちがナセルのような悪党を捕まえても何も変わらない。かつて100万人だった薬物依存者はいまや650万人いるんだぞ」と無力感をぶつける場面がある。この「650万人(6.5 Million)」が、映画のタイトル『ジャスト6.5』になっている。イランの人口は8400万だから国民の7・7%、つまり13人に一人は薬物依存という信じられない計算となる。

 本当にそんなに薬物依存者がいるのかと調べてみた。2017年にイランの薬物規制機関の発表で280万人が常習的に麻薬を使用しているというニュースがあった。「6年前には常習者は130万人だったのが倍増している」という。このニュースはイランの麻薬の蔓延状況を示す数字として拡散している。麻薬の内訳は、アヘンが67%、マリファナ12%、覚せい剤8%――などとしている。アヘンはケシからとられ、精製されてヘロインとなる。

「280万人の麻薬常習」の報道

 280万人の麻薬常習は3・3%で、30人に一人となり、650万人の薬物依存という数字とは倍以上の開きがある。しかし、映画とはいえ、厳しい検閲がある国だから、「650万人の薬物依存」は根拠のない数字ではないだろう。さらに調べていくと、2017年に議会で麻薬取締法の改正が行われた時の委員会で、600万人以上の薬物使用者や中毒者がいるという発言が出ていた。

 ちなみに、2017年の麻薬取締法の改正は、麻薬所持でも最高は死刑だったのを、死刑は一定量以上の麻薬の密売に限定すると、死刑の適用を厳しくした。麻薬常用者が多すぎて、麻薬犯罪での死刑が増えすぎて、法律を見直さざるをえなくなったということである。

世界最大のアヘン生産地のアフガニスタン

 イランでアヘン中毒が蔓延しているのは世界の80%以上のアヘンを生産するアフガニスタンに接しており、陸伝いに入ってくるためだ。アフガンのアヘンは2001年の米国によるアフガニスタン戦争でタリバン政権が打倒された後、急激に増えた。国連薬物犯罪事務所の資料によると、アフガンでのアヘン生産量の推計は2019年に6400トンで、アフガン戦争前の2001年の185トンの35倍となっている。アフガンのアヘンは反政府武装組織などの資金源になっているとされる。

 イランはアフガンから入ってくるアヘンによって薬物汚染が広がるだけでなく、イランを通ってペルシャ湾に出て、世界に運ばれるルートともなる。国連の『世界薬物報告』(2020)によると、2019年の世界のアヘンの生産量は7610トンで、2018年の7620トンとほとんど変わらず、過去5年間の世界のアヘンの84%がアフガニスタンで生産されて、世界各地に密輸されている。

イランのアヘン押収は世界の押収量の9割

 報告書によると、2018年に世界で押収されたアヘンの量は704トンで、そのうち644トン(91%)がイラン警察によって押収されている。つまり、『ジャスト6.5』が描いているのは、世界の薬物取締りの最前線の現場なのである。

 ちょうど1年前の2020年1月下旬にペルシャ湾のホルムズ海峡に面する港湾都市バンダルアバスの司法当局が「ペルシャ湾のワニ」の異名をとるイラン史上最大の麻薬密輸犯を処刑したというニュースがイラン国内で流れた。

イラン史上最大の麻薬密売人「ペルシャ湾のワニ」

 イランイスラム共和国通信(IRNA)によると、「ペルシャ湾のワニ」と呼ばれた男は本名アリ・サレヒといい、36歳。報道によると警察は4、5年間、サレヒを追い、100トン以上の麻薬を密輸しようとしているところを捕えたという。「ペルシャ湾のワニ」という異名を聞けば、バンダルアバスの港を拠点に幅広く密輸をしていたことがうかがわれる。サレヒはイラン国内だけでなく、陸と海の両方で麻薬の密輸を手広くおこない、海外にも出していたという。サレヒは死者の名前を使って銀行口座を開き、土地の購入などでマネーロンダリングをして巨額の取引をし、広大な農地と、65の住宅、数隻の船やヨット、16台の車を所有していたとされる。

 このニュースを見ると、『ジャスト6.5』の大物密売人のナセルが、高層ビルの最上階のペントハウスにある夜景を見下ろす風呂がついたマンションに住み、拘置所に入っても、法外な金額を刑事部長に提示して逃がすように求める場面が、俄然現実味を帯びてくる。

麻薬取り締まりで3800人の殉職

 資金力も人手もある大物麻薬密売人を逮捕する警察の犠牲も多い。テヘランタイムズによると、イランの国連代表部のマジッド・ラバンチ大使によると、イラン革命後40年間で、3815人のイラン警官が麻薬取り締まりで命を落とし、12000人が負傷したという。

「ジャポネ」と呼ばれるもう一人の大物売人

 『ジャスト6.5』でもサマド刑事がナセルを追い詰めて、麻薬密売の仲間のアジトに連れて行かせて、そこで警官たちが密売者の罠に落ちる場面がある。その密売仲間のあだ名は「ジャポネ・レザ」。日本との麻薬の取引があるところから「ジャポネ」の名前がついている。

 拘置所に入ったナセルが携帯電話を使って、自分の身内に「ジャポネに責任をとらせろ。ジャポネに連絡して、俺をすぐ拘置所から出させるようにいえ」と求める場面がある。ナセルはジャポネとの関係について身内に「俺は奴の顧客の日本人から連絡があり、直接取引したんだ」と明かす。

 突然、日本人が出てきて驚かされるが、イランの麻薬捜査の最前線が、日本とつながっていることを知らされる場面である。

刑務所を舞台とした人間ドラマ

 同時公開の『ウォーデン 消えた死刑囚』は『ジャスト6.5』で大物麻薬売人役を演じたナヴィッド・モハマドザデーが刑務所所長の役を演じる。イラン革命前の王政時代が舞台。皇后の視察地の近くにある古い刑務所を解体するために、すべての囚人を移送する。移送が終われば、刑務所長は地域の警察署長のポストが約束されている。ところが、最後に移送した囚人の数を確認すると、死刑囚一人がいなくなっているのが発覚する。

※『ウォーデン 消えた死刑囚』予告編

 刑務所の解体期限が迫る。死刑囚が逃げたことが分かれば昇進も消える。まだ刑務所の中にいるとにらんだ所長は、刑務所内の捜索を命じる。所長自ら囚人の居場所を解明するために捜索に動く。囚人の家族を知る女性の社会福祉士が所長を訪ね、囚人は濡れ衣を着せられ、無罪だと訴える。舞台は刑務所という密室状況で、人間ドラマが絡むスリリングな展開は、それがイラン映画だということを忘れるような社会派ミステリーに仕上がっている。

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【映画情報】

◆『ジャスト6.5 闘いの証』

出演:ペイマン・モアディ ナヴィッド・モハマドザデー ファルハド・アスラニ パリナーズ・イザドヤール

監督・脚本:サイード・ルスタイ

2019年 134分 1.85:1 原題:Just 6.5

2021年1月16日(土)より新宿K’s cinema他にて全国順次公開中

配給:オンリー・ハーツ  後援:駐日イラン大使館文化参事室

Iranian Independents

◆『ウォーデン 消えた死刑囚』

出演:ナヴィッド・モハマドザデー パリナーズ・イザドヤール

監督・脚本:ニマ・ジャウィディ 撮影:フマン・ベーマネシュ 音楽:ラミン・コウシャ

2019 年91分1.85:1 原題:The Warden

2021年1月16日(土)新宿K’s cinema他にて全国順次公開中

配給:オンリー・ハーツ  後援:駐日イラン大使館文化参事室

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中東ジャーナリスト

元朝日新聞記者。カイロ、エルサレム、バグダッドなどに駐在し、パレスチナ紛争、イラク戦争、「アラブの春」などを現地取材。中東報道で2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。2015年からフリーランス。フリーになってベイルートのパレスチナ難民キャンプに通って取材したパレスチナ人のヒューマンストーリーを「シャティーラの記憶 パレスチナ難民キャンプの70年」(岩波書店)として刊行。他に「中東の現場を歩く」(合同出版)、「『イスラム国』はテロの元凶ではない」(集英社新書)、「戦争・革命・テロの連鎖 中東危機を読む」(彩流社)など。◇連絡先:kawakami.yasunori2016@gmail.com

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