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地方創生キーワードはイケてる首長×よそ者×地元の名士(岩佐大輝 × 黒田泰裕 対談)

岩佐大輝起業家/サーファー
ABURATSU COFFEE 商店街の一角にあるお洒落なカフェ。

宮崎県南部の日南市。港町として栄えた海の美しいこの町も、近年は過疎に苦しむシャッター街と化していた。そんな同市で、劇的な地域再興をもたらした立役者たちに会ってきた。

基礎自治体の再生は首長がイケてる人じゃないとはじまらない

岩佐)3年前くらいから日南はすざましい復活を遂げたことでかなり注目されていますね。油津商店街を少し歩いただけでも、たくさんの若い人たちが集まるカフェや将棋大会など、活気がある様子が伝わってきました。再興した一番のポイントは何だったんですか?

黒田)やっぱり日南市長に若手の崎田恭平さんが当選した年に、民間からは木藤亮太君(日南市の中心部にある油津商店街を再生するテナントサポートマネージャー)と田鹿倫基君(日南市のマーケティング専門官)も登用されたことですね。今から4年前、あの年が全ての分岐点だったと思います。

 今新しいITベンチャーが次々と入ってきているので、元からいる商店街の人たちともう一度この場所をリセットして新しく作り直していく必要があると思っています。ここは商店街再生というよりも、そういう賑やかな場所が新しくできたという感覚にしていきたいと思っています。昔からいる商店街の人たちは、あれ?と思うかもしれないけれど。この街は、福井県の若いデザイナーが設計したんです。公募で77人来たうちの1人でした。人口5万3000人のこの町でも、こうやってお洒落な場所があれば、いろいろな人たちが来てくれるんですよね。

岩佐)すごく良いなと思ったのは、昔の古き良き商店街をそのまま復活させるんじゃなくて、その遊休資産を利用して新しいことを始めていること。そもそも商店街って町の一番良いところにありますよね。だからやり方次第では、そのポテンシャルは大いに活かせるんだなと、ここに来て感じました。

黒田)昭和40、50年頃は景気が良いから、駅前の商店街なんかは何にもしなくても店が入ってきて、しこたま儲けることができた。でも時代の流れに沿ってどんどん廃れて。それは何も手を打たなかったからじゃなくて、商店街のなるべく状況なんですよ。なるべくしてこのような状況になってしまっている。だからそこに同じように商店街を再生させることはナンセンスな話なんですよ。再生ではなくて、囲い込まずに解放することが必要なんです。解放して、そこにどれだけ切り拓いていける人を呼び込めるかが、大事なんです。

岩佐)なるほど。コミュニティハブみたいな場所ですね。今僕は農業生産法人の他に、町おこしを目的としたNPO法人GRAという組織でゲストハウスを作ったり子どもたちや若者の教育事業を手伝ったり、コミュニティーの活性化に取り組んでいます。なので、黒田さんがされているような事業にすごく興味があったんです。

 僕はこういう基礎自治体に関しては、まず首長がイケている人じゃないとどうしようも無いと思っているんですけれど、黒田さんの感覚ではどう思いますか?

黒田)その通りですよね。政治家のドロドロの人間関係のような世界に関わってきた人はそういう首長になってしまう。でもここは、崎田君が市長になって、既成の常識を打ち破ったところからスタートしている。既にIT企業を10社誘致できたんですけれども、社長たちに何で日南に来たのかと聞くと、”ここは全国どんな自治体の行政よりも対応が早いから”と言うんです。普通の行政なら1週間かかることを、ここは2時間くらいで答えを出すから、他の場所よりも条件も良いし対応も早いしで、日南を選びますよね。よくここは商店街のモデルだと言われるんです。少なくとも3年間、僕たちはその商店街物語を守って、挑戦してきました。僕らは、新しくこの商店街に出てきた人たちが成功するためのサポートをしていかなければいけないんです。

岩佐)行政サービスも素晴らしいんですね。それに子育てをする施設があって、別のところではこども農園もできる。商店街があって、お洒落なカフェなんかもある。あと僕だったら毎日サーフィン行くだろうけど、海もありますよと。

黒田)行政がしっかりしているという要素がありますが、やっぱりそこにもしっかりしたリーダーがいないといけないんです。GOを出せるのはトップだけだから、2時間でGOを出せるトップでないといけない。やっぱり大事なのは首長なんです。

日南にはきれいな海があり、移住するサーファーも増えているという。
日南にはきれいな海があり、移住するサーファーも増えているという。

NPO的な株式会社、「油津応援団」の役割

岩佐)今日商店街にも若い人たちがたくさんいて、ああいう人たちがオーナーシップを持ってやっているんだなと感じました。今リーダーは何人くらいいるんですか?

黒田)僕がいて、市長の崎田君がいて、田鹿君がいて、木藤君がいて、村岡君がいて。今は30代のリーダーがぞくぞく出てきていますね。崎田君や村岡君をはじめ、時代の先を走る人たちが周りにたくさんいるんです。保守的で風当りも強い場所で新しいことをやっていくのは、それなりに覚悟を要すること。だからこそ昔から日南に住んでいる僕は、日南の人たちとの人脈を大事にしました。僕たちが立ち上げた会社、油津応援団も、もとは僕と村岡君と木藤君の3人で資本金90万円を出し合ってできた会社なんです。それが今では株主が40人以上も集まって1600万円まで増えました。

岩佐)株主が40人以上!? どんな形の会社なんですか?

黒田)株式会社です。立ち上げ当時はお小遣いから出せる30万円ずつを3人で出して、他に必要な資金は僕がずっと所属していた商工会の役員に頭を下げて出資してもらいました。今集まった株主の中には僕たちよりも出資している大株主もいて、株主総会もちゃんとやるし、取締役もそこで選ばれます。ちゃんと配当もありますよ。九州パンケーキだったり焼酎だったり現物支給も。この会社が担うことをみんな分かっていて、それに賛同してお金を出してくれているんです。

岩佐)こういう形ってNPO法人だったらあり得るけれど、株式会社としては珍しいですよね。

黒田)先週も、ここの近くの歯医者さんが”俺も何か協力したい”って言ってくれたんです。今はそうやって周りの人たちから僕らのもとに来てくれるのが、すごく嬉しい。こうやって、もともと3人だったところから44人まで増えたんです。44人のうち、村岡君が集めた宮崎市の4人以外はみんな日南市の人たちです。商工会のメンバーもいます。あとは市民の人たち。”店を作ってくれてありがとう、だから私たちもお返しします”って言ってくれる人たちがいます。

岩佐)この話が今日聞いた話の中で一番ビックリだな。

左から、田鹿氏、GRA代表岩佐、油津応援団代表 黒田氏
左から、田鹿氏、GRA代表岩佐、油津応援団代表 黒田氏

黒田)そうですよね(笑) 経済産業省とか中小企業の役員とかが来て一番興味を持つのが、会社の実態なんですよ。”油津応援団ってどうやって資金集めているんですか?”って聞かれるんです。それで答えると、”何でこんな民間会社が国の政策補助金を1億円も使ったりできるんですか?”って。できるんですよ。

岩佐)今まで大きな事業はどんなものがあったんですか?

黒田)大きいのは油津ヨッテンとコンテナ(スタジオやフリースペース)で1億5000万円ですね。ヨッテンの運営は市からの委託事業として行っています。一部は僕たちの手出しで、全体ではまだ借金は3000万くらい残ってはいますが、少しずつ返済していっています。リスクはありますが、それでも実行できるのが我々の強さだと思います。・・・普段こんな話はあまりしないのですが(笑) みんなお金の話は遠慮しているのか、聞かないから。

岩佐)僕お金大好きですから。冗談です(笑) 僕は24歳の時にITの会社を作ってからずっと経営者をしているんです。その会社を10年近くやった時に東北で震災が起きました。僕の地元が宮城県の山元町というところなんですけれど、津波でほぼ全滅してしまったんです。そこで何とか故郷を復活させたいと故郷へ戻って、町おこしのためのNPOの他にイチゴを作る農業生産法人も作ったっていう経緯もあって、黒田さんの経営方法にもとても興味があるんです。

黒田)僕は中小企業診断士なんだけど、今の若い人は経営の基本が分かっていない人が多いように思う。油津応援団では、僕が中小企業診断士で木藤がランドスケープのデザイン担当、村岡君が飲食店担当。いろいろな人が揃っている集団だから、仕事をきっちりやらせてもらえるんです。だから僕は財務管理にすごくうるさい。ちゃんとキャッシュフロー管理はするし、設備関係は基本的には借り入れをしないで出資を集めて作っています。

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2015年11月にオープンしたあぶらつ食堂。となりにはABRATSHU GARDENという小さなコンテナや、油津 Yottenというスタジオやフリースペースもある。どれも油津商店街アーケード内にある、老若男女が集まる拠点だ。

商店街再活性化の担い手は月給90万円!

岩佐)そうなんだ。ちょっと聞きたいのは、このプロジェクトが始まったとき、ここは真っ暗だったし、人は通らなかった。そういう町って全国にいっぱいありますよね。僕の地元の町もそういう状況になりつつあるんだけれども、そこで最初にやるべきことって何でしょうか?

黒田)まず担い手を1人決めることです。1人のリーダーを決めること。日南の場合は、崎田君が市長になったあと、木藤君が民間人の中から登用された。商店街に20店舗誘致することをミッションとして月給90万円で任されたんです。そして4年で達成しました。誰を登用するかは市なり議会が決めることなんだけれど、そこでもいろいろ言われるわけですよ。でもそれを押し切るだけの強引さがないとダメ。田鹿君が来た時にも、議会からは否定的な意見も言われました。でもあいつじゃなければダメだと、そこまでやりきることですよ。

岩佐)リーダーを定めるっていうことなんですね。だからそのリーダーを定めるには、本当のトップが、従来のしがらみにとらわれない新しい人を呼び寄せることが大事なんですね。完全によそ者ですよね。

黒田)よそ者が良いと思いますよ。それだけの風を受けてもやれる、という人間を連れてくる。それでちゃんと権力を持たせるんです。合議制じゃ絶対ダメですよ。だって商店街のオジサンが5人くらい集まって決められることなんて、そこそこのもんだけですよ。自分たちの立場を脅かすようなことは決められない。去年やったことを少しだけ形を変えてやるくらいのことで、町が変わるなんてことないでしょ?

 木藤君のポジションになる人を全国から呼び寄せるときに、審査委員を作らないといけないんですけど、全国から集まってきた審査委員リストの中には、商店街会長とか大学の先生、市の議員ばかりで、はっきり言って、マネジメントができる人が1人もいなかったんですよ。そこで僕が、コンサルティングの話にはものすごく詳しい村岡君を推薦したんです。そういう観点からまず審査委員を数名選んで、それから最終的な公開プレゼンで木藤君に決まったんだけれど、その村岡君と木藤君と私がいつの間にか繋がっていたんですよね。で、この3人で会社を作っちゃったと。

岩佐)まさか日南に来て村岡さんの話を聞くとは思わなかったな。黒田さんも、やはり木藤さんが選ばれると思っていたんですか?

黒田)思っていましたね。腰の低さとか、地に足が付いている感じがしましたね。公開プレゼンをした中には大手広告会社の上からモノを見る人たちもいて、”この人たちは商店街の酒屋のおっちゃんたちと酒を飲んで、ちゃんと話ができるのかな?”と思ってしまうんですよ。面白いんだけど、公開プレゼンの後、夜の商店街で9人の候補者たちを交えて、30人くらいで飲み会をしたんですよ。実はそれも審査の1つだったんです。飲み方はどうかとか、みんなで見るんです。これが案外大事。だってプレゼンだけじゃその人の中身なんて分からないですから。中にはプレゼンはすごかったけど飲み会ではうちの職員にセクハラするヒドい人なんかもいて。やっぱり飲むと本性が出るんですよ。対して、木藤君はひたすら酒を注いで廻っていた。”あいつはなかなか良い”となりましたね。彼は実際にここに来て、最初に若い人たちを集めたり、コミュニティー作りを一生懸命やりましたね。

岩佐)いやー、人に見られているっていう意識を持つことは大事ですね(笑)

左 油津応援団代表 黒田氏 右 GRA代表 岩佐
左 油津応援団代表 黒田氏 右 GRA代表 岩佐

地方創生キーワードはイケてる首長×よそ者×地元の名士

岩佐)今いろいろなところで町おこしがブームになっていて、上手くいっているところとそうじゃないところとあると思うんですけれど、上手くいっている場所の特徴はどんなことがあるんでしょうか?

黒田)例えば、どこかの町でここと同じような施設を作って同じようなことをやって、必ず成功するかというと、そう簡単にはいかないと思う。ここが成功したのは、既に成功できる環境があったからなんです。それは優秀な市長だけじゃなくて、行政の姿勢もそうですね。市役所の職員の中に、こいつ本当に役人かっていうくらいバリバリのやつがいるんだけれど、ヨッテンの1億5000万円の事業の時、結局は9000万円の補助金が下りたんだけど、その手続きも一緒にやってくれて。新しい商店街は、そういう人がいるからできたこと。表面的なことは僕らがやっているんだけれど、実際は表面に出ない彼がいないとできなかった。彼の存在は大きかったんです。あとは油津町の民間の僕らにお金を集めてくれる会社があったこと。そして我々は自分の会社から報酬をもらっていないんですよ。村岡君は一平での報酬があるし、僕は中小企業診断士の仕事で給料をもらっている。でもやっと利益も出るようになったので、来年あたりから少し貰おうかなと村岡君と考えています。僕たちは良いけど、後の代に続かなくなってしまうから。でもそれ以上に、10人のパートやスタッフたちにボーナスを出してあげたいなとずっと思っているんですけれどね。

岩佐)やっぱりパートさんを満足させて、社員を満足させて、経営者は最後ですよね。

黒田)僕は他に収入がありますから、それで十分です。それよりも、例えば知らない人が歩いていて、その人から”黒田さんでしょ?頑張って!”とか”こんなに変えてくれてありがとう”とか言われることが、涙が出るほど嬉しい。そういうつもりでやってきたんじゃないんだけれど、結果的にそう思ってもらえることができれば、人生としては最高だなと思います。それが僕にとっての給料だと思っているんです。

 僕は3年前、東北で津波の被害にあった山田町というところに行ってそこの商店街を見てきたんだけれど、大変なところだった。今までは被災地だからということで仮設の商店街を作ってもらったりしていたんだけれど、今度はみんなでお金を出し合って作るわけですよ。みんな60歳過ぎた人たちばかりです。そんな人たちに”自分たちで借り入れしてやれ”って無理な話ですよ。でも僕がそこに行った時この商店街のビデオを持って行ったんだけど、そこの人たちにも言われたんです。”私たちから見ても、黒田さんのところの商店街は大変そうだ”って。逆に励まされちゃって。”私たちも頑張るから、黒田さんも頑張って。これで油津町を変えたら私たちも行くから”って、おばちゃんたちが言ってくれたんです。

岩佐)3年あればいろいろできるんですね。

黒田)できるできる。みんなやらないだけ。”来年するから”っていうでしょ。でも今年できないことは来年もできないんですよ。絶対できない。それなら今できるだろ、と。1か月あればできるだろ、と。ぐだぐだやっていたってしょうがないわけですよ。半年やってダメならば他のことをやった方が良い。

岩佐)話を聞いていると、崎田さんみたいな優秀な首長や行政の人たちがいて、よそ者の木藤さんがいて、村岡さんがいて、何よりも地元の名士である黒田さんがいて。そういうチーム編成が地方創生には最高なんですね。きっとよそ者だけでもダメで、黒田さんのような地元の最強戦士がいないとやっぱりダメですね。

黒田)この場所に長く住んでいて、地元の人からも慕われている人も重要です。だからもし他の新しい場所でも成功するとしたら、この人はここでいうあの人だ、っていう人を見つけていくことですよ。来年ここに中小企業庁の官僚が来るんですけれど、地方創生が仕組化されたり法整備されたりすると全然面白くも何ともなくなるんですよね。最後は人ですから。その地域に住む人、地域によって全く違う人たちがやるわけでしょ。だからモデル化、標準化されたタイプっていうのは難しくて、”あそこに行って見てきてごらん”としか言いようがないんです。でも、僕たちがやったことを後世に残すために、取締役に30代、40代の人を積極的に入れています。僕らと同じ時代に同じ場所で一緒に汗をかいた人間が次の役員をやる。僕と村岡君と木藤君で始めたこの活動を、そうやって引き継がせていきたいと思う。それは人間がいる限りできることなんです。

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黒田 泰裕(くろだ やすひろ)

1953年日南市出身。株式会社油津応援団代表取締役。日南市中心部の油津商店街を再生に導いた立役者の一人。1978年大学卒業後、日南商工会議所に入所。2012年同所事務局長を経て、2014年に油津の中心市街活性化事業のため、木藤亮太サポートマネージャーと村岡浩司氏3人で(株)油津応援団を組織。2016年に同社代表取締役に就任。中小企業診断士保有。

起業家/サーファー

1977年、宮城県山元町生まれ。2002年、大学在学中にIT起業。2011年の東日本大震災後は、壊滅的な被害を受けた故郷山元町の復興を目的にGRAを設立。アグリテックを軸とした「地方の再創造」をライフワークとするようになる。農業ビジネスに構造変革を起こし、ひと粒1000円の「ミガキイチゴ」を生み出す。 著書に『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』(ダイヤモンド社)、『絶対にギブアップしたくない人のための成功する農業』(朝日新聞出版)などがある。人生のテーマは「旅するように暮らそう」。趣味はサーフィンとキックボクシング。

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