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ローカルビジネス界の異端児 2人が語る世界への挑戦<後編>

岩佐大輝起業家/サーファー
パンケーキを焼く村岡氏

話題沸騰中「九州パンケーキ」の生みの親、村岡氏が山元町のイチゴワールドへやってきた。ローカルを食ビジネスで盛り上げる2人の起業家の対談。

<前編はこちら>

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岩佐)せっかくなので、会場からも質問を頂きましょうか。

男性)九州を盛り上げるビジネスをしようと考えた時に、そもそもなぜパンケーキを選ばれたのか、もう少し詳しく聞かせてください。

村岡)ミックスの開発を始めた当時、東京ではパンケーキブームでした。ハワイの某人気パンケーキ店のオーナーさんと親しい間柄でして、ハワイ側から日本のブームを見ていたんですね。だからこれからはパンケーキ、というかハワイブームがくるなと。当時、テレビでも雑誌でもパンケーキを特集していましたよね。僕は一つの仮説を持っているんですが、圧倒的にカルチャーレベルまで根付くものというのは、言語変化するんですよね。つまり、20年前の1997年にスターバックスが銀座に初上陸してから、コンビニにラテの商品が並びましたよね。「マウントレーニアラテ」というのを皆さんご存知ですか?これ、発売から20年経って、中身がラテなのかカフェオレなのかコーヒー牛乳なのか、違いが分かる人っていますか?また、うちの20代のスタッフに「喫茶店に行こうか」というと、カフェと違うイメージのものが思い浮かぶと思います。こうやって言語変化するんです。10代20代の人たちが「パンケーキ」と言い始めて、これはホットケーキでなくパンケーキが広まるなと思いました。その時に僕は全てのスーパーに行って調査したんですが、パンケーキミックスが一つもなかったんですよ。だから僕がそこにパンケーキを並べようと。

岩佐)パンケーキブームはすごかったですが、いずれ終わるだろうなとみんな思っていましたよね。でも意外とマーケットに定着している。一過性のものと、ブランドとして定着するものとの違いを聞いてみたいです。

村岡)店舗は飽きられていきますよね。いわゆるパンケーキショップは飽きられます。圧倒的に力のあるものが投資をすれば、力のないものは淘汰されていく。スターバックスが広がっていき、次々と上陸してきたカフェは消えていっています。でもコーヒービジネスはそこから深化していって、サードウェーブなど今すごくいい形で残っていますよね。それと一緒で、パンケーキカフェやパンケーキメニューはもう行列はなくなっています。どんなに人気のパンケーキショップも夏くらいには並ばなくなるかもしれません。でもパンケーキという言葉は残っていく。それがさっき言った言語変化なんですよね。つまり概念としては残る。

男性)パンケーキと何かのコラボ商品を作るのは面白いなと思っています。いろいろな候補があると思うんですが、これとやるのは面白いという具体的なアイディアはありますか?

村岡)パンケーキはある意味、プラットフォームなんですよ。世界中に持って行って、その土地の農場を訪ねてそこにあるいいものと組み合わせて作ることができる。今は、東北の素晴らしい農業と組み合わせて作りたいですね。これは本当に万能なミックスで、パンも焼けるしクッキーもやける。なのでその土地の農業と組み合わせて何ができるか、料理人の感性としては、肉とか野菜とか含めいろんなものと組み合わせることに興味があります。日本は小麦をほとんど自給していましたが、経済合理性上輸入が増えて今は小麦の自給率は30%くらいです。でも東北でも北海道でも、日本中でまだ小麦を作っているんですよね。小麦は僕らが昔から食べているものなので九州パンケーキは一つのモデルケースだと思っていて、例えばお茶の産地で採れる小麦と組み合わせて、抹茶パンケーキを作ってもいいと思うんですよ。それで小麦の自給率が上がったら面白いですよね。

岩佐)ちなみにパンケーキミックスの市場規模はどれくらいあるんですか?

村岡)全国で200億円くらいですね。小さいです。例えばコーヒー市場は1兆3000億くらいあります。焼肉屋のマーケットは8000億円くらい。47都道府県のスーパーマーケットで割ると、パンケーキミックスの売上はスーパー一店舗あたり1か月1万円くらいです。僕らはそのマーケットのだいたい1-1.5%を乗せているくらいのものです。僕らはシェアを10%、20%取ることを目的としているわけではなく、僕らが新しい概念としてパンケーキミックスをどれだけマーケットに乗せられるか、ということに関心があります。もっと言うと、パンケーキミックスがどれだけ大きく広がっていくかということだけに興味があるわけではなくて、さっき言ったように何かと組み合わせて横展開していくことなんですよね。ミックスがあれば例えばイチゴと一緒にご家庭に届けるようなビジネスを展開できます。それにはレシピが必要ですから、地元のパティシエさんに協力してもらって、レシピと一緒にミックスを届ける、そうすればミックスだけではなく、イチゴやパティシエさんのマーケットが広がっていくわけです。

GRA岩佐もパンケーキ作りに挑戦
GRA岩佐もパンケーキ作りに挑戦

男性)村岡さんと岩佐さんも、地域をどうにかしたいという想いが最初にあると思うんですが、その今のビジネスを続けていって、地域と人にどうなってほしいという想いがあるのか聞かせてください。

岩佐)山元町は人口1万2000人くらいで、震災前はだいたい1万6000人くらいいたので、20%くらい減っています。おそらく余程大きな成功か間違いかが起こらなければ、この町は確実になくなる、という状況なんです。普通にやって町がなくなるくらいだったらなんでも挑戦しよう、というような環境が地方には必要だと思います。

最近は行政も地方の挑戦を後押ししていて、リスクをとる自治体にはどんどんお金が入るようになっています。だから地域のあるべき姿は、リスクをとって思いっきり何かに挑戦するという雰囲気が町にできることかなと思います。僕の責任は、若い生産者や学生とたくさん話をして、たくさんの起業家が育っていくこと。そして、山元町に必ずしもいなくてもいいですが、山元町に本社を置いて何か自分でスタートしようという人が育ってくれることが、僕の町や人に対する想いです。

村岡)僕も、同じくチャレンジしてもいいという文化を作りたいんです。僕は実は小学生のときは吃音障害があって、母音が出なかったんです。だから日直の時に「おはようございます」というのがすごく緊張して、泣きながら学校から帰っていました。で、28歳の時には会社を潰してしまっていて、もうこれで終わりなんじゃないかと思っていました。でも今こうやってみんなの前で話をするときには、僕はいつも、小学生や28歳の頃の自分を後ろに座らせているんです。で、話し終えた後に、その時の自分を抱きしめるんですよね。大丈夫だよ、と当時の自分に言ってあげるんですよ。だってこうやって今、人の前で喋れているじゃないですか。小学校の時の自分は本当にビルの上から飛び降りようとしたし、28歳の時には言われなきことで蹴られたり殴られたりしましたよ。

真面目なやつほど商売で失敗して、未だに大きな借金を背負っている人もいるし、中には命を絶ってしまった人もいる。でも、挑戦していいんですよ。こんな時代だから。このままだったら山元町はなくなるわけです。このままだったら宮崎もなくなるわけですよ。どんどん一極集中していって、東北は仙台に、九州は博多に集約されていっていくわけです。福岡の人たちが、「九州は一つ」と言っても、宮崎の僕はしらけるわけですよ。地方の小さい町の小さな会社であっても挑戦していいし、もし失敗した時にも、地方のみんながお互いに肩をたたき合って、次に何やるの?と言い合えるような文化を作りたいなと思います。

岩佐)徳川家康みたいですね。家康は武田信玄にぼこぼこにやられたときに、その時の自分の肖像画を描かせて置いていたらしいんですね。それを見て反省したり、自分に優しくしたりしていた。もしかすると宮崎から本当に武士のような人が生まれたんだというような気がしました。では最後の質問。

男性)僕が村岡さんの名前を知ったのはパンケーキではなくMUKASA-HUBというプロジェクトでした。宮崎の廃校を買って起業家のハブにしようとしていると思うんですが、MUKASA-HUBを何故作ろうと思ったのか聞かせてください。

村岡)小学校って買えるんですね、みなさん(笑)九州パンケーキが成長し始めた時、僕は倉庫を探していたんですよ。そしたらたまたま小学校が売りに出るらしいと聞いて、見に行ってみたら、夕日を浴びてすごく綺麗だったんですよ。蛇口が光っていて。僕はその場で携帯を取り出して、会社の経理に小学校を買おうと思う、と話しました。最初の計画の何倍もお金がかかって今苦しいんですが(笑)何をやるかと言うと、一つは九州パンケーキの配送拠点にするんですが、持て余したスペースにはコーワーキングスペースを作って、みんなで地域のビジネスを考える場所を作り、二階にはうちのオフィスだけではなく、地元で新しい産業を起こそうとするようなベンチャーの起業家たちに入ってもらって、そこにビジネスコミュニティを作ろうかなと思っています。

実は僕にとっては久しぶりの経験で興奮しています。僕は10代の頃には古着のバイヤーをやっていて、30代の時にはタリーズコーヒーを始めました。タリーズは今日本で700店舗くらいあるんですが、実は日本のフランチャイズの第一号契約を取りました。今あの時の興奮があるんです。スターバックスが80年代から90年代にアメリカで一気に広がっていって、ものすごいムーブメントを起こし、90年代後半から2000年代には日本でもカフェカルチャーが広まりました。

これから、コミュニティの在り方の再編成が起こります。先週シリコンバレーにいって確信したんですが、一つのコワーキングという概念が、全国ものすごい勢いでスタートします。単なる場所ではなくて、たくさんの面白い人達が集まってきて、それが全国で繋がってネットワーキングしていって、必要とする人やモノやお金をボーダーレスに共有できるようになる時代が来る予感がしています。

僕は南九州のMUKASA-HUBを九州の拠点にしようと思っています。もしかしたら東北の拠点が山元町になるかもしれないし、そこにはレストランやカフェが集まるかもしれない。これからは行政とか県境に影響されないようなビジネスの枠組みが生まれてくると思うんですね。むしろ行政がその場所を後付けで利用するようになってくると思います。

岩佐)日本は本当の意味でのコーワーキングスペースは少ないんですよね。単なるオフィス貸しにすぎず、コワーキングの概念は、自分にない力を持っている人と出会えるような、人と人が繋がっていくことなんですよね。そんなのものがもっと増えればいいなと思います。

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村岡 浩司

有限会社一平 代表取締役。1970年宮崎県宮崎市出身。1966年から続く老舗寿司屋の二代目社長。高校卒業後に渡米し起業。帰国後も小売卸業や飲食店などを開業し、2001年にはタリーズコーヒーの九州1号店を開店。2012年には九州パンケーキミックスを開発し、九州や台湾をはじめ国内外に展開、熱狂的な支持を得る。現在も「一平寿し」、「タリーズコーヒー」、「九州パンケーキカフェ」など多数の飲食店舗を経営する。

起業家/サーファー

1977年、宮城県山元町生まれ。2002年、大学在学中にIT起業。2011年の東日本大震災後は、壊滅的な被害を受けた故郷山元町の復興を目的にGRAを設立。アグリテックを軸とした「地方の再創造」をライフワークとするようになる。農業ビジネスに構造変革を起こし、ひと粒1000円の「ミガキイチゴ」を生み出す。 著書に『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』(ダイヤモンド社)、『絶対にギブアップしたくない人のための成功する農業』(朝日新聞出版)などがある。人生のテーマは「旅するように暮らそう」。趣味はサーフィンとキックボクシング。

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