Yahoo!ニュース

G7サミット広島を終えて今何を思う? 〜いつもと違った広島の景色と人、そのありのままの記録

イソナガアキコフリーライター
5月21日の広島平和記念公園付近の様子/筆者撮影

G7広島サミットが、2023年5月19日から21日に広島市で開催された。最終日の21日、思い立って広島平和記念公園付近を訪れてみた。いつもと全く違う景色を記録として残しておきたいと思ったからだ。

開催期間中の一般道路の渋滞はなし

廿日市市地御前。休日はいつも渋滞している道路に車はほとんど見当たらない/筆者撮影
廿日市市地御前。休日はいつも渋滞している道路に車はほとんど見当たらない/筆者撮影

この1ヶ月以上、道路上の電光掲示板、インターネット広告、テレビの C Mでサミット期間の交通規制の情報と、「なるべく外出を控えて」と呼びかける勧告を頻繁に目にしていたが、いざ、外出してみると規制のかかっていない一般道路は大渋滞どころか、車の量が劇的に少なく、いつもより早くスムーズに目的地の広島市中心部に辿り着いた。

広島市中区本川町の裏路地。ここにも警察官の姿が見える/筆者撮影
広島市中区本川町の裏路地。ここにも警察官の姿が見える/筆者撮影

原爆ドームや広島平和記念公園があるエリアの手前の十日市町あたりから規制線がはられ、車は通行止めになっていたため裏道に入り原爆ドームから数百メートルの中区本川町の駐車場に車を停める。メイン道路を外れた路地裏で、歩く人もほとんどいない。そんな場所にも警察官がぽつりぽつりと立っていた。

広島平和記念公園一帯は警察官だらけ

本川にかかる相生橋。写真向かって右手に広島平和記念公園と原爆ドームがある/筆者撮影
本川にかかる相生橋。写真向かって右手に広島平和記念公園と原爆ドームがある/筆者撮影

午前10時。原爆投下の目標点とされた相生橋に行くと、原爆ドーム方面に向けて、道路が封鎖されていた。相当数の警察官が警備にあたっていた。

歩行者は歩道部分を通行できるとのことだったので、徒歩で橋を渡ってみる。そこにはいつもと違う景色がいくつもあった。

歩道のすぐ横に縦列で並ぶ車は全て警察車両/筆者撮影
歩道のすぐ横に縦列で並ぶ車は全て警察車両/筆者撮影

エンジンを止めたバイクを押して歩道を歩く人/筆者撮影
エンジンを止めたバイクを押して歩道を歩く人/筆者撮影

突然始まった交通規制に巻き込まれる市民や観光客

全国から集められた警察官が警備にあたっていた。ここには大阪府警と福島県警の姿/筆者撮影
全国から集められた警察官が警備にあたっていた。ここには大阪府警と福島県警の姿/筆者撮影

原爆ドーム前付近で、路面電車やバスが数台停まっていた。中には乗客の姿。おそらくちょうどこの辺りにきた時に封鎖が始まって閉じ込められてしまったのだろう。立っている警察官に「あと封鎖はどれくらい続きそうですか」と尋ねると、20分くらい後に車が通過することになっているのでそれまでの予定だ、という。

近くに立っていた高齢の男性が突然「誰が通ると思う?」と話しかけてきた。わからないと答えると、「わしはゼレンスキーさんじゃと思うんよ。だってここはこの時間規制されることにはなっとらんかったのに、今日になって急に規制されたんよ。ということは追加されたスケジュールだからね、ゼレンスキーさんじゃと思うよ」。

しかし、その後20分経っても車が通過することはなく、30分経過したところで突如、規制は解除され電車やバスは動き出した。

ちなみに写真の左上に写っている駐車場の電光掲示板の「県立体育館」が「休」になっているのがわかるだろうか。この県立体育館が世界から集まった報道関係者の取材拠点、国際メディアセンターになっていた場所だ。通常この道路から地下の駐車場に入れるのだが、もちろんゲートが設けられ立ち入り禁止になっていた。

過剰な景観意識と徹底されたテロ対策

建設中のサッカースタジアムは2024年に完成予定/筆者撮影
建設中のサッカースタジアムは2024年に完成予定/筆者撮影

相生橋の上からは、建設中のサッカースタジアムを望むことができる。通常は約80メートルまで伸ばして作業をしているクレーンが、半分の高さに畳まれていた。各国首脳が19日に平和記念公園を訪問するため、景観に配慮したということだった。

写真は本川。ゴムボートに乗って警備にあたる警察官も見られた/筆者撮影
写真は本川。ゴムボートに乗って警備にあたる警察官も見られた/筆者撮影

広島は水の都といわれ、市内には6本の河川が流れている。そしてかつては市民の移動手段として川が日常的に使われていたため、どの川にも岸に降りられる階段と雁木といわれる船着場をいくつも見つけることができる。

普段は風情あふれる川辺だが、水路を使ったテロを警戒しているのか、河岸に降りる階段にもゲートが置かれ、その近くには警官の姿もあった。

相生橋の南側。シールドの隙間から平和記念公園を覗き込む観光客らしき人たち/筆者撮影
相生橋の南側。シールドの隙間から平和記念公園を覗き込む観光客らしき人たち/筆者撮影

相生橋の南側には、川沿いに広島平和記念公園を望む美しい景色が広がるが、橋の上から各国首脳が訪れる予定の広島平和記念公園が見えないようシールドで覆われていた。

実はこの橋からは広島平和記念公園の川沿い南北約600メートルにわたってキョウチクトウの木が植えられているのを眺めることができる。しかし今年1月、そのキョウチクトウが人の腰の高さまでバッサリ剪定されてしまった。

キョウチクトウは被曝後、いち早く花をつけたとされる花木で広島市民にとっては特別な花木だ。広島市の花にも制定されている。それが景観とテロ対策を理由に伐採されてしまったことに、市民からはそこまでやる必要があったのかと疑問の声が上がっていた。

隠されると覗きたくなるのが人の心理/筆者撮影
隠されると覗きたくなるのが人の心理/筆者撮影

声を荒げる老人の姿に何を思うか

3人の無言の警察官に両脇を抱えられ歩く男性。何かを訴えたかったのか/筆者撮影
3人の無言の警察官に両脇を抱えられ歩く男性。何かを訴えたかったのか/筆者撮影

歩道を歩いていると、男性の怒鳴り声がした。その方向を見ると、高齢の男性が両脇を警察官に抱えられ「なんでサミットなんかするんじゃ。なんの意味があるんじゃ」などと喚いていた。足元はヨタヨタとしていて、少し酔っているようにも見えた。

各国首脳の配偶者が訪れた上田流和風堂(広島市西区)。数ヶ月前周囲の道路が舗装されていた/筆者撮影
各国首脳の配偶者が訪れた上田流和風堂(広島市西区)。数ヶ月前周囲の道路が舗装されていた/筆者撮影

ただ確かにこの数ヶ月、広島県民は多くの「我慢」を強いられた。至る所で道路工事が行われ、各所で渋滞が起きていた。J Rも不審物があったといっては運行停止になり、度々遅延した。

街中どこにいても、青に白いストライプの入った警察の輸送車やパトカーを目にした。そうした光景を物々しいとストレスに感じる人もいた。一方で「守ってくれてありがたい」という声もあった。広島で警備に当たる警察官は最大時で45都道府県警から2万4000人と、東京以外で開催されるサミットでは過去最大規模だったと聞く。

21日。廿日市市上空を飛ぶ2機のヘリコプター/筆者撮影
21日。廿日市市上空を飛ぶ2機のヘリコプター/筆者撮影

また終日、ヘリコプターの騒音にも悩まされた。1時間あたり8基以上のヘリコプターが自宅付近を飛んだ日もあったし、夜の11時を過ぎても轟音が響く日もあった。

平和記念公園近くにあるラーメン店(中区本川町)も臨時休業していた/筆者撮影
平和記念公園近くにあるラーメン店(中区本川町)も臨時休業していた/筆者撮影

広島市内の小学校は休校になり、業務に影響をきたした会社も多くあった。仕方なく休業した飲食店や時短営業する店もあちらこちらで見られた。

経済効果や平和問題に期待する声も

本川の河辺/筆者撮影
本川の河辺/筆者撮影

一方で、S N Sでは、サミットに訪れている各国首脳たちが利用した飲食店や、G7関連で食材や食器として選ばれた喜びの報告をする投稿も多くあった。広島及び近県の多くの宿泊施設で「サミット特需」があったとも聞く。

20日夕方のニュースでは、急遽来広が決まり広島入りしたゼレンスキー大統領の姿を一目見ようと興奮気味に車列に向かってスマートフォンのカメラを向ける人々が映し出された。子どもが「平和になってほしい」とインタビューに答えていた。そこには歓迎ムードに沸く市民の姿が確かにあった。

岸田首相は21日の記者会見で、G7として初めて核軍縮に焦点を当てた『広島ビジョン』を発出できたと成果を強調した。さらに今後も法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を守り抜く決意を述べた。

広島ビジョンを受けて地元のテレビ局がひろった街の声には「各国の首脳が平和記念公園と広島平和記念資料館を訪れ、被爆者のために花を手向けてくれたのは意味があると感じた」と評価する声があった。

同時に「期待を裏切られた」「広島で開催された意図はどこにあったのか」と非難する被爆者団体の声もあった。また「核兵器を持つ国の首脳には被爆地の広島に足を踏み入れる居心地の悪さを感じてもらいたい」という投稿もあった。

数ヶ月間に渡って、G7サミット広島に向き合ってきた広島の人々は今、何を思うのか。「やっと終わった」なのか、「やらなきゃよかった」なのか、「やってよかった」なのか。置かれた立場や自分がどう関わったのかによって、それはまちまちだろう。

今回の3日間を世界はどうジャッジするのだろうか。その答えを私たちはこれから注意深く見守っていかなくてはならない。それによって我慢、我慢の連続だった数ヶ月が報われるかどうかも、決まるかもしれないのだから。

フリーライター

約10年のWEBディレクター業ののち、2014年よりフリーライターへ。瀬戸内エリアを中心にユニークな人・スポットの取材を続ける。本・本屋好きが高じて2019年、本と本屋と人のあいだをつくる「あいだproject」を主宰。ブックイベントの企画・運営にも関わる。

イソナガアキコの最近の記事