記者になったわたしと、消えた女子球児

写真:アフロ(写真:アフロ)

女子野球選手は増えたが

 全国で夏の選手権大会県大会が開催されている。甲子園大会は今年で100回記念ということで、高校野球の特集をテレビや新聞などで見る機会も増えた。

「たった一人の女子部員がスタンドで応援」などという記事を見かけることも多い。高校野球で硬式野球部に所属している女子選手は増えているのか。正確な数字はわからないが、近年では女子硬式野球部の活動も盛んだ。部数がまだまだ多くはないために県予選こそないが、春と夏に全国大会も開催されている。女子野球選手がプレーする環境は徐々に変わり始めている。

 不定期ではあるが、女子硬式野球部の取材をさせてもらうこともある。そんなとき、必ず思い出すのがある女子野球部員のことだ。30年近く前、ある都立高校の硬式野球部に女子選手が入部した。日本で初めて、男子の野球部に入部した女子選手だった。

記者になりたかったわたしに訪れたチャンス

 当時、わたしはジャーナリスト養成専門学校を卒業したばかりで、就職先を探して専門学校の就職相談室をよく利用していた。スポーツ関連の編集部に就職したかったのだが、なにしろ求人が少なかった。会社を辞めてジャーナリスト養成専門学校に入学したわたしには、年齢のこともありのんびりと就職先を探す余裕はなかった。

「とりあえず書いたものを持って編集部に売り込もう」

 そう考えて、「ホームラン」という雑誌の編集部に電話をかけた。

「記者になりたいんです。作品を見てもらえませんか?」

 勇気を出してそう切り出すと、編集長は「一度、会社に来てください」と言ってくれた。わたしは喜び、専門学校の課題で書いたものを持って、すぐに編集部を訪ねた。

 会ってくださった編集長はこう言った。

「実は、○○高校に日本で初めてとなる、女子の野球部員がいる。取材をお願いしたんだけれど、断られた。もしかしたら同じ女性の記者だったら、受けてくれるかもしれない。その選手の取材に行ってみますか?」

 チャンスが欲しかったわたしはすぐに「はい」と答えた。そして取材の調整を待った。

野球を辞めてしまった「彼女」

 数日後、編集長から電話があった。

「その女子選手、野球部をやめてしまったらしいんだよね」

 ああ、これでわたしのチャンスも途絶えたと思った。

 しかし、一度声をかけた手前、気の毒だと思ってくれたのだろう。編集長はそのあとすぐに、日大三高の取材にわたしを行かせてくれたのだ。現場に一度も出たことのないわたしに、よくぞ任せてくれたと感謝している。その後、誌面になった記事を持って、ほかのプロ野球関連の出版社を訪ねた。そうやって徐々に仕事を増やし、現在のわたしがいる。

 しかし、思うのだ。

 その女子選手はなぜ野球部をやめてしまったのだろうか。新聞に載った記事を一度、編集長に“資料”として見せてもらったことがあった。「日本初」ということで、おそらくたくさんの取材が殺到したのだろう。注目される状況に嫌気がさしてしまったのではないか。そう考えると今でも胸が痛む。

 野球の現場は2018年を迎える今でも、女性にとっては働きやすいとは言い難い。女子トイレが遠いなどという環境の問題はもとより、男性編集者や男子選手にこびて「女を売りにしている」と言われる恐れもあるため、言動にはとても気を使う。(もちろん男性記者も気を配っているとは思うが)

 わたしは「女性であることを売りにしたことはない」と胸を張って言えるが、ふと、その女子球児の一件を思い出すと、そもそも記者としてのスタートは「女性であることを特権として」いただけた仕事だったのではないか。

 わたしが男性記者だったら、あのとき編集長はわたしを使ってくれただろうか。

 そんなことがぐるぐると頭の中を駆け巡る。

もしあの女子球児が女性でなかったら?

 そして消えた女子球児が「女子」でなかったら、メディアに追いかけ回されることもなく、ずっと野球を続け、甲子園を目指せたのではないか。

 女性記者とか、女子選手とか、性別を取りざたされることがないくらい、野球界に女性が増えて、活躍する世の中になってほしいと思う。

 そして、あの消えた女子球児が、せめて、今でも野球を好きでいてくれたらいいなぁと思う。

 連日、熱戦を繰り広げる高校野球のニュースを見ながら、そんなことを願っている。