無根拠がマウンティングしあう映画的な昂り

まず、傑作『UNloved』『接吻』の系譜に連なる、映画的なエッセンスを凝集した万田邦敏監督の野心作の誕生を心より寿ぎたい。この愛すべき『愛のまなざしを』を実現させたのは、プロデューサーを兼ねて異色のヒロインを演じた杉野希妃だが、杉野は『接吻』を観て万田演出に惚れ込んだという。そして『UNloved』『接吻』と本作の脚本はすべて万田監督夫人の万田珠実の手になるものだが、この三部作に共通するのは圧倒的なヒロインの個性である。

『UNloved』のなぜともなく地味な暮らしにこだわって身の丈に合わないと感ずる要素を排除し、その暮らしむきを豊かにしたいという男性たちの申し出を頑ななまでに拒絶しまくる森口瑤子のヒロイン。『接吻』の弁護の余地もない豊川悦司の殺人犯になぜともなく共感し、周囲の反対をよそに獄中結婚を果たす小池栄子のヒロイン。この暮らしに満足する基準も、異性に惹かれる基準も、いかに極端とはいえ彼女たちの極私的な価値の生み出すものゆえ、誰も否定することはできない。私は最近、こんな万田作品的なヒロインの有無を言わせぬ威力とプレゼンスを現実に見た気がしたが、それは眞子内親王であった。

一方で、彼女たちに思いを寄せる男性は、『UNloved』でははぶりのいい実業家であり、『接吻』では名うての弁護士である。俗にいう人生の「勝ち組」である彼らは、言ってみればいくらでも選択肢のある人生にあってあえて「負け組」、ひいてはアウトローへの道をまっしぐらの彼女たちを「不憫」に思い、手を差しのべようとする。だが、彼女たちは自らの価値基準にのっとって、己の掟をまっとうしているだけだから、決して不幸ではない。したがって、彼らが彼女たちを「不憫」に思うことはむしろ筋違いな、さらに言えば傲慢な思いこみなのである。

だが、この地位も分別もある男たちは、社会的な規範に自らをがんじがらめにしているからこそそのポジションを得ているのであり、それをもってしての安定や豊かさに疑問を持つ由もなく、むしろ誇りにしている(万田作品にあっては、こうした立ち位置の実業家や弁護士といったエリートを常に仲村トオルが演じて秀逸)。要は「勝ち組」の彼らは「負け組」の彼女たちとは別の宇宙に棲んでいる。したがって、世俗的な価値に漬かって生きている彼らは、超俗を極めた彼女たちのことがまるで理解できない。しかし、理解もできず、服従させることもできない手ごわい彼女たち(それはきっと「勝ち組」の彼らの周囲にはまず見かけないタイプの人間だろう)との距離が、おかどちがいの恋愛感情を生み出してしまう。

こうして出会うべきではなかった別種族が出会ってしまったがゆえの猛烈な齟齬や葛藤が、万田珠実の作になる『UNloved』『接吻』に共通する愛の悲喜劇なのだが、この系譜の果てに生まれた今作『愛のまなざしを』では、やはりなぜともなく極私的な価値と思いに囚われた小悪魔的なヒロインを杉野希妃が演ずる。そして片や、例によって世俗的な信頼と安定を勝ち得ている精神科医の男性が対置され、例によって仲村トオルがこの役まわりを以て任じている。そして例によって己の掟に生きるヒロインが、社会の掟に忠実な男性の不遜を排撃し、頑なな姿勢で圧倒する物語が紡がれる……のかと思いきや、なんと今作ではそこに意外なるひねり、応用が加えられていた。

つまり、これはいわゆるネタバレにつながることなので詳述を避けるが、今回はその安定を揺さぶられるおなじみのポジションだと思われた仲村トオルが、実は強烈に己の掟に生きる破綻寸前のアウトローだということがやがて明らかになる。この精神科医は、亡くなった妻(中村ゆりが持ち前の薄幸さのイメージで存分に仕掛けてくる)への妄執が、ついに精神を病む域にまで達しているのだ。そのゆえに、なぜともなく亡妻にこだわり続ける精神科医と、なぜともなく彼に惹かれてその心を独占したいと願うヒロインが、とことんその己の思いに忠実に生きることを(なぜともなく)競り合う同士討ちの物語が『愛のまなざしを』なのである。

かくして無根拠な妄執のマウンティングが異様な昂りを見せるところに、映画の文体もいよいよ無根拠な豊かさへと開かれてゆく。『UNloved』『接吻』のホップ・ステップを経て、強烈に己に忠実な種族の物語は刺激的な新境地へと跳躍した。万田演出は低温の透徹した視線で着々とこの無根拠な葛藤を煮詰め、時として不意をつく映画的なアクションを弾けさせて間然するところない。特異な情熱に囚われた男女の関係を加速化する触媒となった斎藤工、片桐はいりら助演陣もひじょうに印象的だ。