樋口尚文の千夜千本 第139夜「男はつらいよ50 お帰り寅さん」(山田洋次監督)

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撮影所監督の意地と呪術が寅を蘇生させる

1969年に始まった『男はつらいよ』シリーズが、初公開から50年を経て50作めを生んだというのは、本当に「まさか」な出来事だった。というのも、主要登場人物のおいちゃんもおばちゃんもタコ社長も御前様もキャストはこの世にはおらず、それだけでも厳しいのに当の寅さんこと渥美清が23年前に他界している。これでいったい全体どうやって『男はつらいよ』の新作をつくろうと言うのか。そんな暴挙を企画会議で意見したら、当の山田洋次監督にたいそう叱られてしまいそうな気さえしてしまう。

だが、最近はヒット作品を生み出すためなら死者さえも召喚されてしまう時代である。奇しくも往年の盆暮れのように同時に公開されている『スター・ウォーズ』の、これもアメリカ初公開から42年を経ての完結篇『スカイウォーカーの夜明け』には、亡くなったはずのレイア姫のキャリー・フィッシャーが堂々出演していて驚かされる。最近のデジタル合成は凄いなと思いきや、これはシリーズ7作目『フォースの覚醒』の未使用カットを活用した成果らしい。だが、『男はつらいよ』がそういう訳にもいかないのは、そもそもこれは50年物のシリーズとは言っても、ほぼその半分の期間は休眠していた。つまり、渥美清の死によってシリーズがスタートして26年目、1995年の第48作『男はつらいよ寅次郎紅の花』をもってシリーズはとうに実質的な最後を迎えてしまったのだ。

以来、ほぼ四半世紀もの間、『男はつらいよ』の純粋な新作は製作され得なかった。それゆえにキャリー・フィッシャーを最近まで撮影していてアーカイヴを有していた『スター・ウォーズ』シリーズどころではない難易度なのであるが、ではいったいどうやって寅さんを再び降臨させたのか。『男はつらいよ50』の試写を観たというと、多くの人が「寅さんはどういう映像になってるんですか」と興味津々に聞いてきた。最近は美空ひばりの精巧なAIが歌まで披露して観客を泣かせてしまう時代だから、私も試写の前はまさかそういうものが出てくるのだろうかと冷や冷やした。この評判のAIより14年も先駆けて、鈴木清順は『オペレッタ狸御殿』でデジタル美空ひばりを登場させて唖然としたが、もしあんな感じだとオールドファンはのけぞるだろうなと案じたりもした。

それが実際どんなふうなものであるのかは、観てのお楽しみとしておこう。ひとこと言っておくとするなら、デジタル技術が蘇生させた寅さんは、観客がつい笑ってしまうようなキッチュな仕上がりでは全くない出来で、なかなかいい塩梅の婉曲度合である。そんな寅さんは、本作では物語の随所にふと現れるイリュージョンであって、あくまで主人公は男やもめの小説家となった満男(吉岡秀隆)と難民を救済する国連の仕事で活躍するイズミ(後藤久美子)なのだ。人生のさまざまな厳しい局面に差しかかった満男は、こういう時もしおじちゃんがいたら‥‥としみじみ寅さんのポジティブで優しい人柄を思い出して、救済される。

その際、往年の寅さんの姿がいきいきとフラッシュバックするのだが、そこはデジタルリマスター作業を経た旧作の引用から成り立っている。その寅さんの逸話の断片に、観客は満男とシンクロしつつ郷愁を増幅させてゆく。しかし渥美清が生きているわけではないので、そこで見せられるのは旧作のワンポイントに過ぎず、あくまで断片に過ぎない。普通ならこういうものはドラマとして成立しないところだが、ここでシリーズ50年の歴史がものを言うわけである。観客は、長年にわたって自分が付き合ってきたシリーズ各作品の記憶をダブらせながら、断片づくしの本作を勝手に「補完」して、しみじみと感動してしまうのだ。

描かれているもの以上のことを観客が「補完」することで成立しているような映画は、はたしていかがなものか。そういう意見はもっともなことであるが、しかし私はこの作品を成立せしめたものもまた、山田監督の撮影所監督ならではの矜持ではないかと思うのだ。つまり、シリーズが途絶えて約四半世紀、あるものと言えば旧作のリマスター版ぐらいという条件下、まさに有り合わせのもので客の作品への思い入れを点火して、ひと泣かせさせてみせようではないか、という職人監督の意地がそこに見えるのである。それは金に時間にもろもろ訳ありな事情のもとで、面白い作品を即製すべしと鍛えられてきたプログラム・ピクチャーの出自だからこその手腕であり遊びごころであるに違いない。映画の出来についての怜悧な審判はいったん保留しつつ、これだけ無理な状況からでも商品をでっちあげてみせる監督のチャレンジマインドにはごく興味深いものがあった。