樋口尚文の千夜千本 第135夜「小松左京音楽祭」によせて

(C)「小松左京音楽祭」実行委員会

小松左京のまごころを映す音楽たち

本連載では映画作品だけにとどまらず、映画音楽のコンサートなどについてもこれはというものは取りあげてきたが、来るべき「小松左京音楽祭」は、『日本沈没』をはじめとする小松左京原作とその映像化作品のファンにとってはちょっと夢のような内容である。

というのも、『日本沈没』は1973年に光文社カッパ・ノベルスから刊行され上下巻で累計400万部近くを売り切った大ベストセラーとなり、映画、テレビドラマ、ラジオドラマと作品化されたが、「小松左京音楽祭」では1973年の映画版、同年のラジオドラマ版、1974年のテレビドラマ版のサウンドトラック(おのおの佐藤勝、田中正史、広瀬健次郎と名だたる作曲家が書いた)をオーケストラ演奏するのが目玉なのである。これらの楽曲の譜面は散逸しており、完成作品から楽譜を復元するという気の遠くなる作業が必要となり、さらにはテレビドラマ版の主題歌「明日の愛」を唄った五木ひろし本人まで招聘するという凝りようだ。

今回の企画はこうした原作と派生作品に育てられ、ついには自ら2006年版の映画『日本沈没』を手がけることとなった樋口真嗣監督が思いついたものだが、折しも世田谷文学館では「小松左京展 D計画」というファン泣かせの『日本沈没』ゆかりのタイトルを冠した濃厚な展示が始まり、Netflixからは2020年にオリジナルアニメシリーズとして湯浅政明監督による『日本沈没2020』が配信されることが発表された。何も申し合わせたわけではなく、こうした小松左京と『日本沈没』にスポットをあてた企画が同時多発的に起こっていることには驚きを禁じ得ない。私はもちろん『日本アパッチ族』も『復活の日』も『果しなき流れの果に』も『ゴルディアスの結び目』も『虚無回廊』も読んではいるが、やはり『日本沈没』の与えたインパクトは格別のものがあると思う。

『日本沈没』が刊行されたのは1973年の3月だが、この直前にメディアを賑わしていたのがトイレットペーパーや洗剤を買い占めるべくちょっとした恐慌を起こす群衆の映像だった。ニクソン・ショックによる円高不況を経てオイルショックが到来、打撃を受けた日本経済は低迷期に入り、大型事業にはストップがかかり、物価は高騰していった。オイルショックとは直接関係ないはずの物資買い占めが起こったり、省エネで深夜のテレビ放送がなくなったりエスカレーターが止まったりする状況に、華々しい高度成長期を経て衣食満ち足りた日本人は一気に不安を覚えたはずだ。こういううららかな経済成長の夢に酔いしれていた日本人の足もとがぐらりと揺らいだ瞬間に、原作『日本沈没』は刊行された。そのタイミングの抜き差しならない感じは、当時ひじょうに印象的で、自分も書店に走ってカッパの上下巻を買って一気に読んだ。

この評判にのって東宝が映画化に乗り出したわけだが、同年末には正月映画として封切ることを目標にしたため、これだけの構えの大作なのに恐るべき突貫工事で創られている。大きな売り物であった特撮を担当した中野昭慶特技監督に伺っても、そのスケジュールの厳しさは相当なものであったという。翌74年には日本経済は戦後初のマイナス成長となり、ついに高度経済成長は終わりを迎え、人心の不安からオカルト・ブーム(今で言うスピリチュアルな方面への傾倒)が起こったりと、象徴的な転換点となるのだが、その呪わしき年の正月映画として『日本沈没』は実にうってつけの作品であった。

公開を急いだ甲斐があって、この映画版は大ヒットを記録する。不振を極めていた70年代の映画館はいつも閑古鳥が鳴いていたのに、『日本沈没』を公開している映画館で「人が溢れドアが閉まらない」(1950年代の邦画黄金期の様子を表す時に頻出する表現だが)という状況を初めて見たが、あの熱狂は何だったかと思う。これに先立って同年10月からニッポン放送でオンエアされていた連続ラジオドラマ『日本沈没』(岡本愛彦演出、太地喜和子、江守徹ら文学座総出演)もなかなか真摯な取り組みで、全130回をほぼ完走した。

思えば小松左京は『日本沈没』を東京オリンピックの1964年に書き始めているので、なんとなく経済成長の栄華の絶頂にいる日本人に祖国喪失のシミュレーションを突きつけて我に返らせようという意図から始まっているかもしれない。そのわずか二十年足らず前に、「一億玉砕」などとふざけたことを言っていた連中に「護るべき国体」が本当になくなってしまったらどうなるのか、という問いかけをしたかったという旨のことを小松左京が書いていたと記憶する。だが、執筆に年月を要し、世界情勢も変わるうちに、世の中は本当に「日本は大丈夫なのか」という危機感と不安にまみれることとなり、原作『日本沈没』はよりいっそうのリアリティをもって受け入れられることになった。

公開当時に映画『日本沈没』を観ていて、原作との肌ざわりの違う、ある意味では原作の紙背にひそむものをぐいぐい掴み出している気もした。というのも、原作はそのほとんどが「D1」「D2」という二つの「D計画」を軸にしたシミュレーションドラマであり、論文のごとき資料やデータが満載のクールな作品である。だが、こうしたハードSF的な側面ばかりが前面に押し出されたら、ここまで映画『日本沈没』は多くの観客に共感をもって迎えられたかどうか。この点については、脚本を手がけた名匠・橋本忍のフィルターがものを言っていると思う。

橋本は、たとえば松本清張原作『砂の器』の映画化に際して、ほんの数行にすぎなかった親子の遍路の話を大きく膨らませて原作とはまるで違うメロドラマに仕立てて、作品を大ヒットに導いた。この前後の『人間革命』『八甲田山』においても、橋本は原作から大衆性のツボとなる部分を見出し、そこを作品の魅力の柱として抽出拡大することで興行価値を生んだ。こうした映画『砂の器』『日本沈没』をめぐる橋本忍という存在の重要さについては拙著『「砂の器」と「日本沈没」 70年代日本の超大作映画』(筑摩書房)に詳しいが、なんと『日本沈没』が推理作家協会賞(!)を受賞して『砂の器』の松本清張から『日本沈没』の小松左京が贈賞されて喜んでいたのは快哉であった。

その橋本は小松原作の柱であった怜悧なシミュレーションドラマの側面に見え隠れする、日本という国土を失うことへの民族の底知れぬ悲嘆、そして再生への切々たる思いをぐいぐいと表に引っ張り出した。田所博士(小林桂樹)、山本総理(丹波哲郎)、渡老人(島田正吾)といった未曾有の国難に対峙する人々のエモーショナルな名台詞の数々はファンの心にとりついて離れないほどだ。こうした脚色は決して小松左京が作品にこめた意図を裏切るものではない。橋本忍は『砂の器』の場合も相当大胆な脚色を施したとはいえ、作品の根本にある松本清張の怨念や悲哀については大切に扱い、それを増幅してみせたのであった。したがって『日本沈没』の場合も、映画にあって時として激情とともに人物たちから迸る「日本なるもの」への思いと悲しみは、小松左京が原作に託したものをそのままに輪郭づけたものなのだ。

それが昭和6年に生まれ思春期は軍国少年として過ごし、敗戦によるナンセンスなまでの価値の転換、そして荒野からの奇跡的な経済発展という日本のありように伴走してきた小松左京に、きっと地鳴りのように響いていた内なる思いだろう。だが、シャイな関西人である小松左京は時としてきわめて戯作的でもあるから、こうした思いを『日本沈没』においてさえむき出しにはしなかった。『日本沈没』はまさに膨大なデータを駆使して読者に、すわ日本壊滅もありやと思わせんと遊びまくった壮大な嘘ばなしであり、その小松左京一世一代の知的遊戯のなかで「日本なるもの」への執着や愁いは控えめに透けてみえるばかりであった。橋本忍は、さしずめその物語の裏に隠れた小松左京のまごころを熱く抽出してみせたというわけである。

1973年版『日本沈没』の佐藤勝による大陸的なスケールのスコアもこうした狙いにシンクロしつつ書かれているし、テレビドラマ版『日本沈没』の主題歌「明日の愛」もしかりである。山口洋子作詞、筒美京平作曲で五木ひろしが唄うこの演歌が和製ハードSFドラマの主題歌というのは、当時とても意外であった。しかし番組を観ていくうちに、五木ひろしの哀切な歌声が小松左京の「日本なるもの」をめぐるまごころを代弁していることに気づかされるのだった。

小松左京は1970年の大阪万博のプロジェクトに飛び込んで、テクノロジーが生み出す日本の晴れがましい未来像を描き出すことに注力し、そのわずか3年後には小説『日本沈没』で日本が壊滅するカタストロフを念入りに表現して読者を戦慄させた。小松左京をこのやっかいな「創造と解体」のビジョンづくりに駆り立てたものは、こうした脚色や音楽によって明らかにされてゆく「日本なるもの」への田所博士級の思い入れなのである。