樋口尚文の千夜千本 第126夜 【追悼】 内田裕也

(写真:Natsuki Sakaiアフロ)

暴発より不発、凶悪より虚無が似合う非ロック的演技

内田裕也と沢田研二は、1970年代最もアクチュアルにして刺激的な俳優であったが、ともにシンガーである。理想的な映画俳優とはどんなタイプかと問われた大島渚が「一に素人、二に歌うたい、三四がなくて五に新劇役者」と答えていたのはつとに知られているが、これがもし理想的な舞台俳優について問われたなら大島も別の回答をしていたことだろう。大島は優れたドキュメンタリストでもあったが、きっと映画には俳優の虚実皮膜を映し出す半ドキュメント的側面があって、それがまた映画表現の武器だと解していたに違いない。そういう映画表現にうってつけの俳優例が「歌うたい」つまりシンガーであったというのは、どういうことか。

それはきっと自我を滅却して虚構の「役」になりきる職業的俳優、その典型たる新劇俳優とは違って、シンガー、アーティストと言われる種族は、当然楽曲の求めるイメージを背負いつつも、あくまで本人の魅力や存在感に軸足を置いている。その虚実の「半生」のあんばいが、ひじょうに映画に向いていると大島は考えたのだろう。まさにその実証例と言うべき、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ジョニー大倉、三上寛といったミュージシャンがぞろぞろと戦時下の軍人として出てくる大島渚の『戦場のメリークリスマス』において、拘禁所長の内田裕也が俘虜収容所長の坂本龍一と出会う場面があった。これはひらたく言うと裁判前のただ挨拶を交わすシーンに過ぎないのに、何やらとんでもなく危うい緊張感が漂う。

というのも、ロケンロールなチンピラを以て任ずる内田裕也の、芸大卒の鋭才アーティスト・坂本龍一に対するミュージシャンとしての牽制がはしなくも画面に見えて、内田が坂本をねぎらって煙草を勧めるところの(不良っぽさまるだしの)演技など、ふつうこのシナリオ描写からはひっくり返っても出て来ないものを見せてくれるのだった。これは内田に限ったことではなく、デヴィッド・ボウイの演技を見ていても、ここでそういう演技に出るかという瞬間がたびたびあって、「歌うたい」の演技恐るべしなのであった。

俳優としての内田裕也の歴史は、実は1960年代前半から始まっていて、加山雄三の『若大将』シリーズやクレージーキャッツ、コント55号、ザ・ドリフターズといった当時の人気者のプログラム・ピクチャーにちょくちょく顔を出していた。しかし、現在のわれわれが思い浮かべる「演技者・内田裕也」のイメージが急に輪郭を持ったのは1977年、内田が38歳前後の頃ではないかと思う。というのも、この年には曾根中生監督のATG『不連続殺人事件』、日活『新宿乱れ街 いくまで待って』、藤田敏八監督の日活『実録不良少女 姦』と三本の出演作が公開されているのだが、いずれも当時劇場で観ながら、台詞まわしなどは全く投げやりなのに、もうそんなことなどどうでもいいけだるさと殺気のようなものが細い体から画面に充満し、「内田裕也ってこんな演技をするのか」と瞠目させられたのを覚えている。

以後、翌78年の長谷部安春監督の日活『エロチックな関係』、79年の若松孝二監督の東映セントラルフィルム『餌食』、80年の神代辰巳監督の日活『少女娼婦 けものみち』などの主演作をこちらも目ざとく漏らさず追いかけるようになった。内田はこれらの自らの資質を活かせそうな監督の作品で自在な演技を見せてくれたが、なかでも当時レゲエの火付け役となった映画『ハーダー・ゼイ・カム』を多分に意識した感のある問題作『餌食』は、過去の遺物扱いされたロックンローラーが街のアウトローたちと出会って闇の一味に対峙する反権力メルヘンのごとき作品で、このピュアで危うさをたたえた主人公など内田がいなかったらなかなか実現が難しかったかもしれない。

こうした活躍を経てたどり着いた1981年の神代辰巳監督の日活『嗚呼!おんなたち 猥歌』と1982年の若松孝二監督『水のないプール』は、「演技者・内田裕也」の頂点をなす傑作だろう。特に『嗚呼!おんなたち 猥歌』の、売れないロック歌手の乾いた日常と虚無的に堕ちてゆくさまを一種軟体動物的な演出ですくいとってゆく神代演出は、内田を遠心的に遊ばせることでその俳優としての異色の資質をぞんぶんに発揮させていた。内田は犯罪者を幾度も演じているが、『水のないプール』の平凡な駅員が単調で不毛な昼間の時間をふと逸脱して、夜だけの不思議な犯罪者になっていく物語は、あまりにも内田に似つかわしかった。内田の場合、ただ凶暴凶悪なナチュラルボーン・キラーではなく、日常の空虚を背負っている小市民という設定がその持ち味を活かしていたのであり、ロケンロールな暴発の瞬間よりもそれ以前の窮屈に殺気や欲望を封印され、いごこちの悪そうな内田がとにかく印象深い。

そういう意味では1983年の崔洋一監督のデビュー作『十階のモスキート』は、暴走する警官を描いてそういう内田裕也の犯罪者の系譜の集大成のようであったが、1986年の滝田洋二郎監督初の一般映画『コミック雑誌なんかいらない!』ではさまざまなゴシップや事件に遭遇する芸能レポーターという役のなかに、いつもの内田裕也的な主題が仮託され、新鮮であった。すなわち、内田の演ずる役は、日常を能動的に破壊してゆくのではなく、むしろ日常にじわじわと狂わされてゆく弱者であることが多く、それこそが内田の十八番であったが、さまざまな事件の関係当事者ではなく目撃者である芸能レポーターという役は、まさにそういう立ち位置に通ずるものだった。

この後も1988年の伊藤俊也監督の東映『花園の迷宮』など記憶に残る作品は続いたが、やはりこの30代後半から40代後半あたりまでの出演作にこそ内田裕也ならではの得難い持ち味が集約されているという気がする。そしてその作品の数々で演じた内田裕也を思い出すと、ロッカーらしい暴れん坊ではなく、日常のなかでじわじわと虐げられ、狂わされ、ついに彼岸にはみ出してゆく弱き民というイメージばかりが鮮烈に蘇ってくるのである。異形の俳優に合掌。