樋口尚文の千夜千本 第123夜「多十郎殉愛記」(中島貞夫監督)

撮影=樋口尚文

殺陣が咲かすリリシズムという華

東映京都撮影所のクラフツマンシップの鑑、中島貞夫監督がなんと20年ぶりの長篇を手がけた。それがチャンバラ主体の時代劇というのを聞いて驚いたが、しかし同時代的に円熟期の中島作品に伴走してきた映画ファンにとって中島監督イコール時代劇という印象はあまりない。もちろん70年代前半には『木枯し紋次郎』『木枯し紋次郎 関わりござんせん』、後半には大作『真田幸村の謀略』も手がけているが、われわれの知る中島貞夫は、小味なロードムービーのポルノ掌篇『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』も撮るし、稀代の異色大作『日本暗殺秘録』は撮るし、痛快な即製アクション『狂った野獣』は撮るし、アメリカン・ニューシネマみたいな『ジーンズブルース 明日なき無頼派』は撮るし、社運のかかった大作やくざ映画『やくざ戦争 日本の首領』は撮るし、ATGで辛口な小品『鉄砲玉の美学』は撮るし、社外で異色のアクション『犬笛』は撮るし、女性客向けのメロドラマ『序の舞』は撮るし‥‥という感じで、もうありとあらゆる題材と条件にそって上々のシャシンを仕上げる名職人であった。

そんな次第で中島監督がとりたててチャンバラを旗印にしていたという印象はないので、20年ぶりの本格的新作があえて時代劇というのは少し意外でもあった。だが、実際にその『多十郎殉愛記』を観ていると、しばらく忘れきっていた中島監督の逸話が蘇ってきた。というのは、そもそも中島監督のデビュー作は山田風太郎原作のお色気時代劇『くノ一忍法』なのだが、そこへ至る助監督時代に山下耕作監督について、特に長谷川伸原作の時代劇『関の彌太っぺ』の制作時には大いに踏ん張ったという。これは大スタア中村錦之助主演ながら、当時の東映時代劇の系譜にあっては異質のリリシズムを放つ傑作であったが、その実現に向けて中島貞夫は山下監督に渾身で貢献した。それというのも、山下耕作のような知性派は太秦にあって貴重な存在で、その作品がマンネリを打破して道を拓いてくれることに助監督も期待をかけていたのだ。

そんな『関の彌太っぺ』はかぐわしい抒情をたたえたものとなり、お約束の終盤の立ち回りのカタルシスが省かれているのも破格であった。こんな作品づくりに傾けた想いは、中島貞夫の青春の原点かもしれない。『多十郎殉愛記』の後半は逆に激しい立ち回りづくしなのだが、そこに託されたものは『関の彌太っぺ』と同質のリリシズムなのである。中島監督がその長い殺陣を通して狙っているのは、胸のすくような活劇の快感ではなく、浪人の多十郎(高良健吾)が可憐なおとよ(多部未華子)や真摯な弟・数馬(木村了)に寄せる思いの抒情がじわっとたちこめる。高良健吾と多部未華子の生っぽくない美しさも、この時代劇的なロマンを呼び寄せる意図に大きく役立った。

大阪芸大の教え子だった熊切和嘉監督が「監督補佐」として中島監督を助けるという麗しき現場だったそうだが、この掌篇的な物語を太い筆で一気に揮毫したような、間もなく85歳の監督ならではの潔さのある作品だった。