樋口尚文の千夜千本 第119夜「若おかみは小学生!」(高坂希太郎監督)

(C)令丈ヒロ子・亜沙美・講談社/若おかみは小学生!製作委員会

アニメ的跳躍を控え濃厚なドラマ的空間へ

佳篇『茄子 アンダルシアの夏』からもう15年も経ったのかとびっくりしたが、高坂希太郎監督が久々に放った監督作『若おかみは小学生!』はおよそ想定外の素晴らしさが連続する傑作で、アニメ作品という枠を超えて今年観たさまざまな日本映画のなかでも突出した作品である。

といっても、ここにはこれ見よがしに観客を唸らせんとする物語もテクニックも見当たらず、実に据わった構えで、きつすぎず緩すぎず、泰然としたアニメ話法が紡がれてゆく。まず冒頭部分で物語の発端となる不幸な出来事が描かれるが、すでにここでバカな実写映画などにありがちなくどくどした悲劇的描写などさらりとかわし、簡潔かつ節度ある展開で観る者を引っ張り込む。

そして主人公の小六の少女・おっこをめぐって登場する、現実の大人たち(温泉旅館の裏方たち)や子どもたち(大型旅館のライバル的な娘)はごくごく安定的でわかりやすく、対するお客たちは個性的に粒だっており、メランコリックな作家の父子、セクシーでいきのいい占い師の女、どこかいわくありげな親子など、それぞれにひじょうに印象的かつ魅力的である。そこにユニークなかたちで出没する異界の子どもたちもまたそれぞれに際立ったキャラクターだが、その絡み方はあくまで現実世界の人間像、人間関係に注釈を加え、奥行きを与えることをミッションとしている。この現実と異界の人物たちのクロスするところに、おっこの精神のありようがじわじわと深掘りされてゆく(頻出する「食」という可視的なモチーフがそこでものを言っている)。

すなわちここで繰り出されるアニメ話法は、いくらでも可能な現実からの跳躍を自らに禁じ、異界のファンタジックなキャラクターたちでさえ現実世界にドラマと感情を根付かせることにのみ機能する。後半でおっこがとある運命の悪戯で心乱され、旅館の廊下をふらつきながら移動し、玄関を飛び出して占い師の女の車の前に跳び出すあたりでは、こうした話法の堆積が(ただの物語ではなく)感情を具現化した「場」を形成するに至っているのを感じ、瞠目させられた。私は実写映画以上に、自分がそのドラマ的空間にいることに驚いた。

そしてこうしたストイックというよりも健康的な節度に貫かれたアニメ話法が、最後の最後のお神楽のところでは心を許して華やかな非現実に跳躍する、というサーヴィスも(そうであってほしいという期待にきっちり応えてくれて)心にくい。ここは成長し自立しゆくおっこが、ついに異界と精神的別離を果たす儀式であるわけだが、あたかもその最後のはなむけとして甘美な非現実の花盛りを見せるようだった。

事ほどさように、本作は設定とシナリオを考えぬき、アニメ的自在さを自制しつつ着実に物語を組み立て、その果てにほんのひとときアニメ的な歌を唄うような、まことに見事な「ドラマ作品」であった。その丁寧さと的確さは、多くの実写映画が範とすべきレベルのものである。