樋口尚文の千夜千本 第116夜「カメラを止めるな!」(上田慎一郎監督)

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ゾンビのように映画が立ち上がるその瞬間

『ロープ』に『エルミタージュ幻想』に『ワルツ』に『バードマン』にと、映画監督は全篇ワンカットの映画に惹かれるようである。全篇とまでいかずとも、『旅芸人の記録』や『ションベン・ライダー』や『ゼロ・グラビティ』などでは印象的なワンシーン・ワンカット(もしくは数シーン・ワンカット)が試みられた。もちろんこれらの作品には正確なワンシーン・ワンカットではなく、周到にそのように見えるつなぎにした作品も含まれるが、こうしてデジタル撮影機材が進歩するとかつてに比べればずいぶんワンシーン・ワンカット撮影も楽になったような気がする。それでもこの手法には変わらぬスリリングさがあるのは、カメラが小型化・軽量化して自在にさまざまなところに立ち回れるようになっても、人物の配置や出入りや台詞のタイミングなどの「段取り」という部分はかつてと何ら変わらぬ手作りの工夫にかかっているからだ。多くの監督がこの手法に惹かれるのも、おそらくこの縛りが作品にプリミティブな人肌の臨場感を担保してくれるからだろう。

こうして作り手にとっては蠱惑的なワンシーン・ワンカットだが、描かれるものとの切実な結びつき、平たく言えばその手法に訴える「必然性」がないとまるで据わりが悪いものになる。たとえば主題=方法が鋼のように組み合わさった『日本の夜と霧』などはバクハツ的にその威力が発揮されていた。最近全篇ワンカットが話題になっていた松居大悟監督『アイスと雨音』は大変な労作だが、実は観ているあいだじゅうなぜこの題材で全篇ワンカットが選ばれ、そこで描かれる展開もなぜこのことが大変な思い込みと盛り上がりで描かれなければならないのか、腑に落ちなかった(この熱気の雰囲気に呑まれた若いお客さんはしたたかに感激していたが)。だが、実はこの手法と内容がまさに「無根拠」である点において(「無根拠」に物語も人物も走り出した点において、というべきか)、まさにこれは「青春についての映画」ではなく「青春そのものの映画」であったのだなと時間差で気づいて申し訳なかった。大昔、『アイスと雨音』より百倍も青臭さみなぎるワンシーン・ワンカットの自主映画を撮ってPFFで上映したら、シネフィルの論者から「こういうのはハシカだからね」と言われて殺意を催したが、いくら青春を遠ざかって熱さに不感症になってもそういう腐ったオトナにだけはなりたくないものである。

さて、そんな「無根拠」な青春そのものを疾走する松居監督の作家的な全篇ワンカットとは対照的なそれを軸にした映画が上田慎一郎監督『カメラを止めるな!』だ。これはまさに全篇ワンカットという手法をめぐる映画とメタ映画を融合させるという画期的な試みで、しかしそれが全く作家的なアプローチではなく徹底して娯楽的なもてなし三昧で描かれている点において、『アイスと雨音』とみごとに好対照をなしており、ぜひ両作を見比べて映画について考えて頂きたいところだ。『カメラを止めるな!』ではまず冒頭から全篇ワンカットのゾンビ映画がまるまる描かれるのだが、これは正確にはテレビの単発ホラー番組という設定で、なぜ全篇ワンカットなのかといえばいかにも業界クン的なプロデューサーが単にそのほうが売りとして面白いから、と現場ディレクターの心配も意に介さず決めてしまったからに過ぎない。言わばここで本作は、全篇ワンカットという手法には確固たる動機が必要なものなのだが…という意識をちゃんと見せたうえで、このほとんど「無根拠」な撮影にしぶしぶなだれこんでゆくのである。

この壮大なるアヴァンタイトルの序盤「ゾンビ映画」は、いかにもインディーズ映画に毛が生えたようなチープな雰囲気や、それで油断させつつもけっこう凝ったアイディアや出色のロケ地をもって、ホラー作品としてもそこそこよく出来た風味ある作品になっている。このレベルでじゅうぶんにホラービデオとしてのスタンダードな商品価値はありそうである。ただそれはあくまでこういうジャンルの努力作という範疇のものなのだが(それをパロディではなくごくマジメに作り上げているところがよく、またそうでなければならない)、観ていてこの全篇ワンカットという手法がらみでいろいろ気になる点がたまっていく。それが中盤から一転、スタッフの背景、企画のきっかけから始まって言わばメイキング的に撮影完了までをたどることとなって、この「ゾンビ映画」を観ている時のさまざまな疑問のポイントに痒いところに手が届く感じで注釈が加わっていく。そしてけっこう怖かった「ゾンビ映画」の成立過程は、真逆のおかしさとせつなさを噴出させるのだった。

そしてわれわれが笑いのなかで気づくのは、一本の映画が実にさまざまな思い(濃い情熱もあれば納得いかない憤懣もあり)と途方もない段取りと、思いがけない偶然のいたずらと‥‥気の遠くなるような要素の数々が猥雑に絡まり合うところに、辛うじて像を結ぶものだということなのだ。それを生硬さも堅苦しさもなく、あくまで娯楽的なサービス精神をもって描き出しているところに好感を抱く。しかし、「ゾンビ映画」のしがない監督を描いた沖田修一監督の秀作『キツツキと雨』もしかりだが、このチープでえげつなくてアホらしい「ゾンビ映画」の撮影現場というのは、どうしてこうも観る者を惹きつけるのか。おそらくそこに、こんなものが映画になるのかどうかの作り手、演じ手の精神性、映画成就への祈りみたいなものが見え隠れするからだろう。