樋口尚文の千夜千本 第91夜「花筐」(大林宣彦監督)

主演の常盤貴子、筆者。

吸血鬼だらけのフェイクと風狂の詩

大林宣彦監督の新作『花筐』の0号試写を見せていただいた。映倫審査も兼ねている、本当にまだスタッフ、キャストを中心とするお身内だけの最初の上映であり、公開も年末に近いというので、ここに早々に感想を記すことはまだ慎みたいところだが、しかしどうしても今大枠の感想は書いておきたい。いやむしろ、書かねばならない。それはなぜかというと、いま79歳の大林監督が(ご本人が公言しておられるので記すが)癌と闘っているからである。

誤解なきように言えば、そんな大林監督は目下もあいかわらずエネルギッシュで今日明日にどうこうなんて雰囲気は片鱗もないどころか、まだまだ映画を作るとおっしゃっているくらいの元気さである。昨年8月下旬の佐賀県唐津市での『花筐』のクランクイン直前に、大林監督は「肺癌で余命三か月」と宣告された。ところが、たまたま処方された新薬が奇跡的な効果をもたらし、無事にハードな撮影・編集を乗り切って『花筐』は出来上がった。もっとも、こうして新薬で劇的に進行が阻まれたとはいえ、癌はあいかわらず大林監督と共存しているわけで、これはもう今の状態がどうこうという以前に、とにかく『花筐』の感想を捧げておかずにはいられないわけである。

そんな急いている雰囲気からも察していただけることであろうが、『花筐』はとてつもない映画である。上映まで間があるし、あまり細かな内容を知らずに観てほしいので、本稿ではまだ大枠の感想に留めておくが、とにかくこれはけたはずれの異様な熱気を帯びた比類なきアンダーグラウンド映画である。以前「『花筐』は大林映画の系譜でいえばどの作品に似ていますか」と監督に尋ねた際に「『HOUSE』ですかね」と言われてこれはとんでもない事になりそうだと期待を膨らませたのだが、なるほど劇場用映画の第一作『HOUSE』の根底にあった(商業性の陰に隠れていた)映画的な思想や生理といったものがここでは存分にもろ出しになっている。

そういえば門脇麦が山崎紘菜とどういうなりゆきか抱擁接吻し、「眠りたい・・」と囁くくだりは、『HOUSE』の池上季実子と大場久美子と全く同じであったので驚いたが、しかしこの思想や生理は『HOUSE』さえ通過してその発祥地である『EMOTION=伝説の午後=いつか見たドラキュラ』にも遡行してゆくのだった。だから、ずっと着物姿だった常盤貴子(鬼気迫る美しさ……)が白いワンピースで矢作穂香とお揃いになる時、この二人は『いつか見たドラキュラ』のエミとサリに見えて来る・・・とすると、これは吸血鬼映画なのか。いや待てよ、これは壇一雄原作『花筐』であって、昭和12年、本作中でもふれられる山中貞雄同様に応召して大陸に渡る前の壇が著した出世作である。松林のなかの学校で繰り広げられる男子たち、彼らを囲む女性たちの錯綜した思いが織りなす「愛の平行四辺形」的な耽美の物語。映画『花筐』も、奇異なる速度と調子でもって、その原作の大筋はなぞられている気もする。しかし同時に、冒頭で激しく喀血した矢作穂香の血を常盤貴子が吸い尽くす・・・にとどまらず、全篇これ吸血の儀式、血の契りのオンパレードでもあるのだ。このキテレツさが、妙にまた蠱惑的だったりする。

この感覚はいったい何だろうか。そう言えば『いつか見たドラキュラ』でもジュール・ラフォルグの耽美の詩と吸血の儀が歌われたそばから、三味線をかついだ和風のガンマンがさすらっていた。あの大林キッチュとしか言えない奇妙な同居が、ここではしたたかに異様さと迫力を増して再演される。ゆくりなくもこの映画で引用される中原中也は、ジュール・ラフォルグを畏怖し迂回していたらしいが、それもラフォルグの美しさとあまりの訳わからなさゆえのことらしい。とすると、映画『花筐』はそれに通ずるものがあったと言えるだろう。かくして私は、壇一雄原作の文芸映画とは縁もゆかりもない、バンカラと『血とバラ』と『オルフェ』の記憶が混然とした大林流『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』を目撃することとなったのだった。

そんな次第で、これは唐津の「古里映画」というかたちを成立上の名目としているが、舞台が長岡の時も、芦別の時もそうであったように、まるでここに唐津的なる匂いが無いところがあっぱれだった。小学校時代まで唐津で生まれ育った私が言うのだから間違いない(ちなみに、癌が発覚した大林監督に奇跡の新薬をもたらしたのは、私が生まれた病院なのである!)。何もきかずに観ていたら、到底これが唐津を舞台にしているとは気づかないだろう。確かに松原は出てくるし、曳山も出てくるし、あの唐津市民にはなじみ深い浜からのぞむ島の画も(実際の地理関係を無視してまでも)頻出する。けれども、ここに出てくるのはどこでもないどこか、いつでもないいつかの吸血鬼たちが棲む「唐津の・ような街」であって、大林宣彦は「古里映画」は撮るよとは言いつつも、「ご当地映画」を撮るとはひとことも言っていないわけである。

ちょうど今回の0号試写に山田洋次監督も見えていたので思い出したが、山田監督も「唐津映画」を撮っている。私が唐津から東京へ出る小学生最後の年に、その『男はつらいよ 寅次郎子守唄』のロケ隊が唐津に来て曳山を撮っていたのを見た記憶があるが、普通はそういうのどかな「ご当地映画」がみんな好きなはずなのである。しかし、大林流「古里映画」はそんなふうに観客を甘やかしてはくれない。そもそも壇一雄自身も、この原作の舞台は空想上の唐津であると言っていたようだが、しかし壇にしてもよもやこんな「唐津の・ような街」を想像していたとは到底思えない。このように大林監督は、地方拠点の映画を作りつつも、それは観光誘致的な「ご当地映画」とは真逆の、美しくも不穏な「古里映画」・・・ずばり言えば「大林映画」を生み出すことに渾身で注力する。それでもって大林監督が「唐津映画」ならぬ「吸血鬼映画」(!)を作り上げたことに、唐津市民は決して不服を言ってはいけない。ここにはいわゆる唐津の片鱗もないが、大林監督が唐津を口実にここまで奇異な情熱に満ちたアートフィルムを拵えることに「共犯」できたことを誇りにすべきである。

しかし今や唐津は映画館が一軒もない街になって久しい。今から40年前の夏、私は東京銀座の試写室で『HOUSE』を観て、心底大林監督の作風に魅入られて、その後里帰りした折に唐津東宝大劇(東宝映画『社長えんま帖』もまた唐津の「ご当地映画」の典型だが、曳山や松原とともにこの失われし劇場が映っている)という映画館でもう一度『HOUSE』を再見、微熱を抱えて東京に戻り大林監督に会いに行った。その時、実は劇場用映画の第一作として唐津を舞台に『花筐』を撮ろうとしていたんですと大林監督から聞かされて、本当に驚いた。あの『HOUSE』に始まる壮大な映画的円環がこうして幻の処女作に回帰した、というのはすでに映画のような話であるが、あれから40年を経た大林監督がからだは癌に侵されつつも、精神は格段に無政府状態とフェイクと風狂の度を増しているところが何より嬉しく、刺激的であった。