「情理」兼ね備えた大河オールスタア映画の醍醐味

横山秀夫の人気原作はすでに2015年春にNHK土曜ドラマとして映像化されており、これがすでに見応えある力作だった。このドラマ版『64』は、2005年にやはり土曜ドラマ枠で横山原作の『クライマーズ・ハイ』を映像化して成功させた脚本の大森寿美男、演出の井上剛というメンバーが再結集した作品でもあり、主役の県警の三上広報官にピエール瀧を据えるという思いきったキャスティングにも攻めの姿勢がうかがえた。対して映画版『64』は、TBSやWOWOWでドラマの「横山秀夫サスペンス」シリーズを手がけた久松真一と、監督の瀬々敬久の共同脚本で、奇しくもドラマ版『クライマーズ・ハイ』の主役のデスクに扮していた佐藤浩市が三上役である。

さて、そんなに触りようのない原作ゆえ、ドラマ版も映画版もストーリーにさほど大差はない(後半のある重要な一点を除けば)のだが、両者は予想外に大きな印象の違いを残す。というのも、NHKドラマ版はピエール瀧を筆頭に、新井浩文、段田安則、高橋和也、尾美としのりほか濃いバイプレーヤーたちが(柴田恭平や吉田栄作といった二枚目スターもいるのだが)強烈に個性を発揮する異色の作品であった。対する東宝映画版は、佐藤浩市をはじめ綾野剛、瑛太、永瀬正敏、三浦友和、奥田瑛二、仲村トオル、小澤征悦、柄本佑ほか文字通りオールスタアの布陣である。この映画版は前後篇およそ4時間の長尺で、すでにあのよくできたドラマ版を観ているのでいささか分が悪いようにも思われたのだが、これがまた圧倒的な面白さで全篇ぐいぐいと惹きつけられた。長尺にわたるので試写も前後篇を分けて別日に観られるはからいになっていたが、到底がまんできずに一気に観たあげく、さらに別日にもう一度通して観たくらいだ。

ドラマ版がくだんのピエール瀧はじめバイプレーヤーたちの個性的な演技と暗くビターな演出で占められていたのに対し、映画版は佐藤浩市の三上広報官をはじめ揃いも揃ったスタア俳優たちの大振りな演技と、正調のダイナミックな演出で前後篇押しまくる一大娯楽篇となっていた。ストーリーラインは同じなのに、とにかく人物が(人物の顔が、と言うべきか)主役の原作ゆえ、ドラマも映画もキャストの方向性が変わるとここまで作品のたたずまいが変わってくるのだなと改めて考えさせられた。

そして、この緊張感みなぎるオールスタア映画版の「貌(かお)」となる佐藤浩市は、近年『愛を積む人』や『起終点駅ターミナル』などでも渋い好演を見せていたが、このたびはまさに4時間の大河警察ドラマの「構え」を作る役回りである。それはただ個人プレーで力演を披歴するということではなく、大きい器としてでんと存在感を見せるというかたちで、そこに入れかわり立ちかわり登場する主張激しき猛者どもの力演を引き立てつつ、自分も攻めていかねばならないという正確な意味でのスタアのポジションを引き受けることである。

そんな「構え」のもとで、まず警察内部の悪玉善玉の対立図がテンション高き演技の連続で描かれる。悪代官的なワルの刑事部長、その下でただマシンのように命令に忠実な捜査一課次席、彼らの頂上に鼻持ちならぬエリートとして君臨する県警本部長と警務部長ら、徹底した悪役たちの主張しまくる演技がドラマを沸騰させ、さらに刑事部と警務部それぞれにあって、もう少々複雑な立ち位置で三上に余地を残すいぶし銀の捜査一課長と警務課調査官ら玉虫色のオトナたちが膠着する事態を転がしてゆき、広報室の諏訪係長(綾野剛)、三雲巡査(榮倉奈々)といった若者たちはシンプルな善玉のパートを清々しく演ずる。

この警察内部の対立図の一方で記者クラブ内の秋川キャップ(瑛太)と彼に味方する地域の記者たち、彼を誹謗する中央の記者たち(実はこの記者軍団をよく見ると、川瀬陽太、宇野祥平、奥野瑛太、菜葉菜らそうそうたる演技派の面子がこれでもかと召喚されていて圧巻)といった報道側の組織内の対立構図も、県警の「天領」化をめぐる中央―地方の対峙とともに描かれ、暗躍する警察サイドであれ、それを威勢よく突き上げる報道サイドであれ、組織―個人をめぐる圧力、軋轢でみんながタイヘンな目にあっている状況が縦軸横軸で細かく描かれてゆく。

そして、こうした筋目というか組織の「理」をめぐって対立、反目が演じられる大河物語の時々で、思わぬ活躍を見せる蔵前主任(金井勇太)や必死で男気をみせる落合捜査二課長(柄本佑)、罪悪感に煩悶し続ける科捜研の日吉(窪田正孝)といった脇役たちに印象的なスポットがあたり、さらに娘の行方がわからない三上の妻・美那子(夏川結衣)、娘を誘拐された雨宮(永瀬正敏)や目崎(緒形直人)、心的な傷で立ち直れない日吉を案ずる母・雅恵(烏丸せつこ!)といった家庭の様子にも踏み込み、ドラマの「情」の側面を重層的に補強してゆく。

ちなみに、こんな警察という特殊でハードな「組織」の題材がなぜこんなにも面白いのか。それは、組織の内側の掟やヒエラルキーの「壁」を口実にして、ふつうの人間関係のドラマよりも感情が過剰に増幅され、劇的になるところだ。組織暴力の閉鎖社会を描く実録やくざ映画がサラリーマンに受けるのも、いつも組織内で感ずる不条理や疑問、それに対する反感を大いにデフォルメして描いて昂らせてくれるからだ。実際、警察映画『64』の面白さは実録やくざ映画とほぼ同質のもので、さまざまな癖のあるキャラクターたちが野心と欲望むきだしにぶつかりあう『仁義なき戦い』が、全ての「傘」となる菅原文太という存在によって成立していたように、『64』の賑々しい曲者どもの男騒ぎをまとめあげているのも、佐藤浩市のスタアとしての「器」であったと言えるだろう。

しかしながら・・・かつて佐藤浩市の父・三國連太郎は今村昌平監督『復讐するは我にあり』で熱演の緒形拳とぶつかりあって強烈な印象を残したが、今その時の三國と同じ齢になった佐藤浩市が実に緒形の息子・直人と文字通りとっくみあって演技の火花を散らしている、その素敵すぎる偶然の符合が、映画ファンにはたまらないもうひとつの「大河ドラマ」を見せてくれるのであった。