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樋口尚文の千夜千本 第60夜「ディストラクション・ベイビーズ」(真利子哲也監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。

これは映画を純化させるテロルである

これまでも真利子哲也監督のインディペンデント・フィルムには瞠目させられたが、本格的な商業映画としては最初の作品になる『ディストラクション・ベイビーズ』を観てから、ずっとうかつに語りたくない気持ちが続いて、試写を観てひと月も経とうというのに何も書き出せずにいた。しかしその間、この作品のことを忘れたことはなく、細部の描写まで鮮やかに私にとり憑き続けて、まるで印象が薄らぐこともなかった。

あるひなびた港町の小さな造船所に暮らす泰良(柳楽優弥)と将太(村上虹郎)の兄弟がいる。ナイーブな弟に対して、兄の泰良はとにかく暴力的である。辺鄙な町から姿を消した泰良は、地方都市の繁華街に現れて、相手がチンピラだろうがヤクザだろうがお構いなしに喧嘩を売って暴れまわる。そのありさまに惹かれた裕也(菅田将暉)は、いつしか泰良と行動を共にし、彼をさらなる暴力へ焚きつけ、自らも無差別的に通りがかりの人びとを襲う。そして、彼らがそのなりゆきで強奪した車にたまさか乗っていた那奈(小松菜奈)もそのまま連れまわされ、三人の道行はいよいよ読めないものになってゆく。

差し障りのない範囲内で筋書きを語ればざっとこんな感じだが、とにかく軸は全篇を通して、いくら殴り飛ばされても死神のように蘇って、対峙した連中をみな血祭りにあげてゆくモンスター・泰良の動静である。まず彼が正反対のおとなしい弟の将太とどういう関係にあって、なぜ喧嘩に血道をあげているのか、そういうことは一切語られず、観る者の心の準備なしにいきなり全ての事件は始まってしまう。ただ彼らの住むわびしい町や造船所の景観といったものが、かすかなドラマ性を提示して、二人をめぐる環境の逼塞ぶりは何となく伝わってくる。

以後もとにかくこの調子で、内懐で勿体付けて語るふうでもなく、まったく当たり前のように人物たちの状況はふれられず、そんなそばから暴力の活劇描写がわれわれの躊躇を追い越して進行してゆく。泰良のなぜともない暴力の連続を目撃して、これまたなぜともない共感を覚えてしまう裕也のように、われわれ観客も不安と胸騒ぎとともにとぼとぼと泰良の暴行現場に後のりする。真利子哲也監督は実に振りきっているなあと驚嘆するのは、暴力シーンがひたすら続くことよりも、その当事者たちの状況の省略の容赦なさゆえである。おおかたの観客には、いったいなんで泰良がこんなに暴れまくっているのやら、さっぱりわからないかもしれない。泰良がわからないということは、将太も裕也もみんな実はよくわからない、ということだ。ただ彼らが発作的に暴力に向かう衝動は、妙にわからなくもない。ちょっと北野武の『ソナチネ』や藤田敏八の『八月はエロスの匂い』といった映画を観ていた時の気分を思い出す。

もちろん、このわからなさが舌足らずゆえのことではなく、隅々まで犀利に計算された結果だということは、はっきり理解できる。そしてまた、わからないと言っても、厳密に言えば、泰良と将太の関係も、泰良に対する裕也の思いも、やっかいな展開に巻まこまれてしまった那奈の心境も、ぎりぎりなんとはなしに想像できなくもない境目にある感じで、真利子監督と脚本の喜安浩平はこのドラマがドラマでなくなるぎりぎりの地点に踏みとどまりながら、気持ちいいくらいの思いきりで暴力描写を積み上げてゆく。この発作的な騒乱を、さまざまな視線がとらえてSNSで思い思いの身勝手な物語をまとわせようとするが、彼らの無言の暴力の前にあっては、そんなコトバのから騒ぎがいかにも虚しい。いや、この厳粛なる暴力にふれるとたとえばこれが若者の「リアル」だなんて薄っぺらい言葉もぶっ飛ばされそうである。

濾過された暴力衝動がもっともらしい物語をうっちゃって突っ走り続けるこの映画は、したがって全くからっぽと言っていいかもしれない。ただし、映画は口実としての物語から遠心的にからっぽになった瞬間にとびきり美しく弾けるものだ。だから、映画がからっぽだというのは決して誹謗ではないのだが、ここまで全篇からっぽで「何が悪い?」と挑発してくる映画もちょっと珍しいだろう。そう思った時、待てよ何かこんな作品に出会ったことがあるなと思いきや、それは石川淳の小説「荒魂」だった。怪物的なパワーをもつ呪われし子・佐太が、けちな連中がひしめく俗世を蹴散らして、革命騒乱じみたアナーキーな暴れん坊ぶりを発揮し続ける奇篇。「佐太がうまれたときはすなはち殺されたときであった。そして、これに非情の手を下したものは父親であった」という冒頭の一文など、まんま泰良という怪物的な主人公にもあてはまりそうではないか。

この小説は1960年代半ばの発表時には、呆気にとられた評論家に「面白いが、なかみは空洞」と茫然とされたが、時を経るごとに評価は高まった。『ディストラクション・ベイビーズ』の試写の後も茫然とした顔をいくつも見たが、泰良という荒魂を即座に、無条件に愛せる見手が増えてゆくことを祈るばかりだ。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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