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樋口尚文の千夜千本 第47夜「東京の日」(池田千尋監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。
(写真:毎日新聞デジタル/アフロ)

不審者の映画をしばらく見ない

そもそも人間なんて本当は何を考えているのか判らないのだから、そんなふうに描けば映画も自ずと玄妙な感じになってきて面白さも保証されるのだろうが、なかなか今どきの作品ではそういうよく判らない魅力のある人物像をふらふらとのさばらせるのも難しいようである。しかしかつては『浮雲』であれ『東京物語』であれ、誰もが名作と呼ぶ高名な作品であっても、虚心に観ているとちょっと得体のしれない人物がのうのうと主人公をやっているという例はふんだんにあったのだが、たとえば今時の『HERO』のような映画には判りやすくひたすら割り切れた人物しか出て来ない。もちろん『HERO』という映画はあらかじめそういうつくりが狙いなのだから、それに不満を言うのは全くもってお門違いなのだが、ここで言いたいのはあらゆる劇映画が『HERO』のようになってはまずいだろうということである。

近ごろ、西島秀俊と加瀬亮の微妙な共棲感覚を描いた『東南角部屋二階の女』の池田千尋監督が東映で撮った青春物『先輩と彼女』を期待して観に行ったら、全篇にやや痴呆症的に幼稚な高校生の恋愛模様が描かれるのはいいとしても、その痴呆症的な少年少女たちがどこも映画内の人物としてスリリングな生命感を持たないのが勿体なかった。この生命感とは、人物が映画内で確実に生きている、つまり次に何をやらかすのかなと期待させる感じがあるかどうかによってもたらされるだろう。それゆえに私は『先輩と彼女』を観ながら、それをないものねだりのように思いつつも、ずっと高校生の淡い三角関係、四角関係を鮮やかに描いていた相米慎二の『翔んだカップル』のことばかり考えていた。

『翔んだカップル』に出て来た子どもたちは(後の『台風クラブ』ではそのモードが全開になるのだが)こいつらが何を考え、何をしでかすのか・・・そのやらかす事自体がたとえ日常に他愛ないやり取りであれ・・・常に予断を許さない「わからなさ」があって、ひじょうにいきいきとしていた。その人物たちの活気が、ひいては映画の文体を活性化して豊かにしていた。『先輩と彼女』は東映作品ということであるいはさまざまな制約や注文があったのか今ひとつ弾けていなかった池田千尋監督だが、近作のインディペンデント作品『東京の日』では大いに気を吐いている。下北沢のカフェで働くフリーターの青年・本田(佐々木大介)がスーツケースひとつで故郷を飛び出して上京してきたアカリ(趣里)と、恋愛に基づく同棲ではなく例によって不思議な共棲を開始する・・・そこまではなんとなくありそうな題材である。

多くの観客はそつのない好青年の本田が、どこかエキセントリックで謎めいた感もあるアカリの頑なな心をほどいてゆく物語であろうと予測するに違いない。ところがまさにそこがこの作品のトラップであって、これは意外や無言で不器用に自らを語らないアカリがどんどんまともな感覚の健気な女性に見えてくるのに対し、一見こざっぱりしたいい男の本田の呆れかえらんばかりの優柔不断さ、しまりのなさが炙り出されてゆくのだ。すなわち『東京の日』はどう考えてもアカリというヒロイン主体の優しい物語であるようでいて、映画が進みゆくうちにまさかの本田(という重度のダメ人間)をめぐる極めてシニカルな物語であることが露呈してゆく。このトラップに気づいたあたりで、やおら本作の面白さにエンジンがかかる。

しかしこの本田という、やってくる女性は拒まず、しかし相手に何も執着せず、また別の女と特段強い動機があるわけでもなく何となくの同居を始め・・・という青年は、一時が万事で就職に関してもずっと煮えきらないまま、彼の将来を案ずる好意にも本気で応えない。このどこまでもダメな青年に、一見爽やかで好ましいマスクの佐々木大介が扮しているのがひじょうに面白い。また、池田千尋監督の演出がとても細やかで、彼を決してあからさまにダメ男の類型としてカリカチュアせず、ひたすら「よくわからない人」として描いているのがとてもいい(カフェの女店長との微妙な男女関係も本田が彼女の弱さにごく自然につけこんでいる感じが出ていて秀逸だ)。逆にアカリが本田に寄せる気持ちの変化も、池田監督は食事の準備の描写などを通してごく静かに、且つ確実に描いてみせる。

こんな積み重ねあってこそ、あらゆる人間関係を引き受けず、なりゆきまかせにブイのように漂っている全く何がしたいのかつかめない本田に、ついにアカリが怒りの叫びをぶつけるところがとても効いてくる。ずっとフーテンみたいな感じに見えたアカリと、好青年を装い続ける本田の位置関係が一気に逆転して、ともかく二人は目の前の人生のケジメをつけることにするのである。この二人の動静を凝視しつつ、しかし舞台を少し拡張して、アカリがつとめるバーを第三のスポットとして描いているのも印象的で、そのオーナー役の香川京子とママ役の渡辺真起子を本田を眺める外部のまなざしとして導入しているのもよかった(またこの二人の起用にはひときわ池田監督の愛着を感じた)。

というわけで近ごろ珍しい得体のしれない人物が中心化した作品として『東京の日』は鮮やかだったが、最後に強調したいのは、本作で意外にも受けの演技に転ずるアカリ役の趣里が、『おとぎ話みたい』『水の声を聞く』などの異色作を経て一段といいニュアンスを出していることだ。何気ない厨房でのしぐさなど、ちょっとした演技が記憶に残る。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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