50年後には何人で高齢者一人を支えることになるのか
団塊世代の高齢世代入りを機に、年金問題がこれまで以上に論議に登っている。内閣府の「高齢社会白書」を基に、「(実質的に生産への寄与が難しい)高齢者を、現役世代に該当する人口が支える場合の負担率」、言い換えれば「何人の働き手が1人の高齢者を支える社会となるのか」を確認していく。
今件においては現役世代(生産年齢)を15~64歳とし、高齢者を65歳以上とする。さらに後ほどの試算で用いるが、前期高齢者を65~74歳、後期高齢者を75歳以上と定める。その上で単純に人口比を計算すると、1950年時点では12.0人の生産年齢人口で1.0人の高齢者を支えていたことになる。これが2010年時点では2.8人。さらに2060年の予想人口比率では1.3人にまで減少する。
これでは若年層の負担が大きくなりすぎる。そこで高齢者を前期・後期に区分し、定年の延長や再就職者の増加など社会的状況の変化を考慮し、前期高齢者をも生産年齢人口として加算し、後期高齢者のみを支えるような状況を想定して試算した。
……が、状況に大きな変化はない。ある程度支える側と支えられる側のバランスはまともになるが、抜本的な解決策には至っていない。
このような状況に至るのは、総人口、生産年齢人口が漸減し、高齢世代人口、中でも後期高齢者が漸増していくから。
しかも今件想定は、現役世代人口全員が「支えるだけの資質を有している」のが前提。失職状態で生産の担い手として勘定できない場合、実質的な現役世代人口はさらに減り、支える人達の負担は増大する。失職者は年齢上は支える側でカウントされているが、支えるだけの収入が無いため、空手形状態となってしまうからだ。
また現在の労働市場では若年層の失業率は高く、しかも可処分所得の点でも辛い状況にある。さらに定年を引き上げる措置などを行えば、「労働機会」のパイの奪い合いは加速化する。「前期高齢者」を加算して、支える側の現役世代人口を増やしても、実質的な「支え手」は変わらない。労働機会そのものはさほど増えていないのだから。
「支える側と支えられる側のバランス調整のために定年を上げるのなら、労働機会そのものの量的・質的拡充が前提」であり、「単に定年の引き上げだけを行えば労働機会の奪い合いで”現役世代人口で高齢世代人口を支える”状況の改善には何も寄与しない」ことになる。現時点では嘱託や再雇用、非正規雇用などの経由で高齢者の雇用が促進されており、支える側(生産年齢側)の足元すら脅かされているのが実情。
例えば上のグラフは労働力調査の公開値を基に生成したもので、男性・65歳以上の就業状況別人口構成比を見たものだが、寿命の延長化などに伴い総人口数は増加し、それと共に労働者人口、特に自営業者や非正規職員・従業員の人数も増加しているのが分かる。
さらに白書では触れられていないが、実際には現役世代は14歳までの年少人口をも支える必要がある。年少人口は漸減状態にあるものの、「生活を支える」との観点では、実質的には今件の値よりももう少し厳しいものになると見なければならない。
「労働機会という名前のパイ」を増やすには、ひとえに内需拡大・労働需要の拡大が必要となる。支え手の数そのものの増加につながる少子化対策と合わせ、抜本的な施策の断行が求められる。脱成長施策など論外で、さもなくば「現役世代人口が高齢世代人口を支える」との前提すら、再検討が求められる事態となる。
そして年金制度はあくまでも受給資格の確保と、その社会保障としての受給権利行使であり、個々の年金保険料の積立金の払い戻しではない。その前提を再考慮した上で、さまざまな制度の再構築が必要な時期に来ているのかもしれない。
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