「身の丈にあった場所」で戦い、自力で進む大切さ
今週17日から4日間、日本ツアーとアジアンツアーの共催大会、「SMBCシンガポールオープン」がシンガポールのセントーサGCで開催される。
戦いの舞台がアジアでありながら、出場選手の顔ぶれを見ると、欧米出身者が多い。その理由は、今大会の上位4名に今年の全英オープン出場権が与えられるからだ(注:有資格者を除いて12位タイ以内に入るという条件付き)。
今年の全英オープンの舞台は名門ロイヤルポートラッシュだ。その土を踏むことを夢見て、シンガポールに足を運んだ選手たちとは、日本からは石川遼や池田勇太、今平周吾。欧米からはマスターズ覇者のセルジオ・ガルシア(スペイン)や欧州ツアーの新鋭、マシュー・フィッツパトリック(英国)、そして、全米プロ覇者のデービス・ラブ(米国)とその息子ドゥルー・ラブも出場する。
【有名な父親の下に生まれた息子】
古くからのゴルフファンなら、デービス・ラブのことは、きっとよくご存じのことと思う。ラブの父親は全米屈指の名ゴルフインストラクターだったデービス・ラブ・ジュニア。プロ入り当初のラブは「あのラブ・ジュニアの息子のラブ三世」と呼ばれていた。
それはラブにとって「最初のうちは少なからずプレッシャーだった」と、その昔、ラブ自身が当時の心境を明かしてくれたことがあった。
だが、「有名な父親の下に生まれた息子」は、そのプレッシャーを跳ね除け、1986年から米ツアー参戦開始。1997年全米プロを含む米ツアー通算21勝を挙げ、世界ゴルフ殿堂入り。ライダーカップやプレジデンツカップ出場歴は合計12回。ライダーカップ・キャプテンは2度も務めた。
すでにシニア入りしている54歳のラブ。先週は米ツアーのソニーオープンに出場し、若者たちを押しのけて7位タイに食い込んだばかりだ。ここ数年のラブの日程通りなら、今週は同じハワイで開催されるチャンピオンズツアーの大会へ向かうところだが、そうではなくラブがシンガポールへ向かったのは、息子ドゥルーの未来を思えばこそだ。
【自分のレベルで戦ってほしい】
自分自身が「有名な父親の息子」という立場でプロゴルファーになったことで、「プレッシャーもあったが、恩恵もあった」と、ラブが語ってくれたことが、今、鮮明に思い出される。
「立派なプロゴルファー」の息子ゆえ、自分も「立派なプロゴルファー」にならなければというプレッシャーは「辛くもあり、モチベーションでもあった」とラブは言った。
だが、父親の知名度のおかげで他の若者より試合出場のチャンスを多く得るなど、「恩恵も授かった」と彼は言った。
自身が父親になり、息子がプロゴルファーになっている今、ラブは自分と息子の在り方を熟考している様子。今週、現地で米メディアのインタビューに応えたラブが、とても興味深いことを言っていた。
「息子には身の丈にあった場所でプレーしてほしい。無理に高すぎるレベルへ行く必要はない」
息子ドゥルーは現在、米ツアーの下部組織であるウエブドットコムツアーの出場資格獲得を目指している“レベル”にある。
その息子を父親の七光りによって、もっとハイレベルのウエブドットコムツアーや米ツアーの大会に推薦出場させる道は、あると言えばある。だが、ラブは、そうすることが息子のためになるとは思っていない。
過去に何度か、そうやって推薦出場させてもらったドゥルーは、高すぎるレベルの大会に挑んだことで、日程的にも無理や狂いが生じ、打ちのめされて自信も失い、その結果、技術面も乱れ、「すっかりボロボロになっていた」。
そうなるよりも「自分のレベルに合った場所で戦ってほしい」というのが、ラブの親心だ。
とはいえ、やっぱり息子をなんとかして導いてあげたいという親心はどうしても広がるらしく、このシンガポールオープンに父子で一緒に出場することは「親の導き」の部分。だが、頑張って上位入りして全英オープン出場権を手に入れることは「自力で道を切り拓いてほしい」という親の願いが込められた部分。
自力で手に入れるものなら「自分なりのレベル」だと思える。そうやって出場するのであれば、メジャー大会の全英オープンだって“息子に合ったレベル”ということになる。そうなってほしいというのが、父親としての想いなのだそうだ。
90年代の終わりごろ、ジョージア州シーアイランドのラブの自宅を訪ねた際、まだ小学生だったドゥルーと一緒にパットの練習器具を使って遊んだことが思い出される。あのときの子供は今ではすっかり大きくなり、プロゴルファーになっているが、昔も今も温かい愛情を注ぎ続ける父親の想いが伝わってきて、「なるほど」と頷かされた。
なるほど――目標を高く掲げることが前進のパワーになることは、もちろんある。だが、いきなり高みを目指して足を踏み外してしまわぬよう、「身の丈にあった場所」を踏みしめながら着実に進んでいくことの大切さを、父親ラブが息子に注ぐラブ(愛情)の中で教えられた気がしている。