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フィル・ミケルソン、4年半ぶりの復活優勝がもたらした意味

舩越園子ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授
優勝争いでもファンサービス。そんなミケルソンの復活優勝がもたらしたものは大きい(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

「すごく意味のある優勝だ」

 メキシコ選手権最終日。ジャスティン・トーマスとのプレーオフを制し、勝利したフィル・ミケルソンが感慨深げにそう言った。

 

 47歳8か月16日での優勝は世界選手権シリーズにおける最年長優勝だ。2013年の全英オープン以来、4年半ぶりの復活優勝。メジャー5勝のミケルソンにとって、今大会の優勝は米ツアー43勝目。これでフェデックスカップランキングは17位から3位へ浮上。明日発表される世界ランキングはトップ20入りすると見られている。

 

 なるほど、いろんな変化、いろんな意味をもたらした優勝である。だが、ミケルソンの今回の勝利には、こうした数字以上の大きな意味がたくさんあった。

【フラストレーション】

 振り返れば、昨年のこの大会のころのミケルソンは、あまり元気がなかった。相棒キャディだったジム・“ボーンズ”・マッケイが不慣れなメキシコの水に当たり、腹痛を起こして途中でリタイア。ピンチヒッターで急きょバッグを担いだのが、ミケルソンの実弟ティムだった。それでも7位に食い込んだのはさすがだったが、以後の大会でミケルソンの表情は沈みがちになった。

 6月の全米オープンは長女の高校の卒業式と日程がぶつかったため、欠場。メジャーで勝つことを常に目標に掲げていたミケルソンが、とりわけキャリア・グランドスラムがかかっている全米オープンに出ない道を選択したこと、その直後に25年間の相棒だった“ボーンズ”とのコンビを解消し、弟ティムを新たな相棒に選んだことは、ミケルソンの胸中に何かもやもやしたものがあることを如実に物語っていた。

 2013年の全英オープンを制して以来、勝てない日々が3年、4年と続いていたこと。30歳代のころから悩まされてきた関節炎が悪化し、クラブを握ることが辛くてたまらない日々が彼の心をどうしても暗くした。

「勝てるレベルに戻れる実力があるとわかっていながら、そうできないことが、僕のフラストレーションを膨らませていった」

 戦うモチベーションが低下したこと、引退さえ臭わせる発言をしたことさえあり、ミケルソンの今後が心配されていた。

【必ず来ると信じ続けた】

 転機となったのは、昨年9月のプレジデンツカップを控えていた夏の終わりごろだった。

 愛国心の強いミケルソンは米国チーム入りを強く望んでおり、キャプテンのスティーブ・ストリッカーに「やれるというところを見せてくれ」と言われた途端、発奮して2試合で好成績をマーク。チーム入りが叶ったプレジデンツカップで米国チームの最大のポイントゲッターとなって大活躍した。

「あの大会で僕の自信が蘇った」

 そして今年。その自信を今度は成績に変えるべく、年明けからミケルソンは気勢を上げていた。フェニックスオープン5位、ペブルビーチ・プロアマ2位、ジェネシス・オープン6位。そして、このメキシコへ。

「ここ3週間、自分をいい位置に置き続けて、近いうちに必ず優勝できると信じていた。そうなる自信があった」

 自分を信じて好機到来を待ったミケルソンに4年半ぶりの勝利が訪れた。

【支え、支えられ、勝つことができた】

 自分を信じ続けた心以外にミケルソンの支えになったものは、間違いなく彼の周囲にいる「人」である。

「妻や子供たち、マネージャー、コーチ、そしてキャディをしている弟。みんなのサポートのおかげで、ここまで乗り切れた」

 だが、ミケルソンを支えた「人」は、それだけではなく、もっともっといたはずだ。

 

 最終日最終組がスタートした1番ティはミケルソンを応援するファンの割れるような拍手と歓声に包まれていた。ロープ際では地元の幼い子供たちが「フィル!フィル!ウィン(win)!」と叫び続けていた。

 2度目のメキシコで、これほどの人気を博していたのは、もちろんミケルソンがすでにスーパースターだからではあったが、さらにもう1つ、彼がこの大会で過ごした昨年と今年の合計14日間において、どれほどファンサービスを行なってきたかの表れでもあった。

 初出場で初優勝に王手をかけていたインド出身の21歳、シュバンカル・シャルマが3日目の朝に挨拶をしようと近寄ってきたら、ミケルソンはシャルマをメディアと勘違いし、「あとにしてくれ」と一度は追い払いかけた。が、すぐに自分の勘違いに気付き、「ごめんね。いい1日をすごそうね」と謙虚に声をかけた。

 最終日は優勝を競い合っている相手であるシャルマに5番ホールでルール上の処置を手取り足取り教え、テレビ中継用のケーブルをシャルマと一緒になって動かす良き先輩ぶりも披露。その光景にメキシコの人々は見入っていた。

 シャルマは最終日にスコアを伸ばせず、9位に終わったが、ミケルソンは「彼が21歳かどうかなんて気にしていなかった。一人のすばらしいプレーヤーとして、僕はミスター・シャルマを相手に優勝争いをした」と、若き新人に対してもリスペクトを払った。

 最終日のスタート前、パット練習用のグリーンから1番ティへと歩き出したミケルソンは、近くに立っていたメディアの私にさえ「ハイ!」と笑顔で声をかけてきた。

「グッドラック、フィル!」

「サンキュー!」

 これから優勝争いをするというのに、そんなやり取りを笑顔で行なえる選手は、ミケルソン以外には、まずいないだろう。

 優勝会見が終わり、壇上で何十枚ものフラッグにサインを始めたミケルソンに近寄り、もう一度、声をかけた。

「おめでとう、フィル!」

「サンキュー!」

 サインをする手を止めて自ら握手を求めてくれたミケルソン。まだ熱気が残っていた彼の手のぬくもりを感じたからこそ、こうして彼の復活への道を書きたい、日本の人々に伝えたいという衝動に駆られる。

 ミケルソンと選手、ミケルソンとギャラリー、ミケルソンとメディアの間のそんなやり取りや光景を、ファン、とりわけ子供たちは、きっとどこかから見ている。

 そして、ミケルソンにサインや握手を求め、それが叶い、言葉も交わすことができた子供たちは、その瞬間、そのぬくもりを決して忘れることはない。一生懸命に「フィル!フィル!」と声援を送り続ける。まるで自分のことのように必死になってエールを送る。

「ファンのサポートが僕の力になった」

 支え、支えられ、達成された復活優勝。ミケルソンという素晴らしき選手が、そうやってゴルフのすばらしさ、プロゴルファーの在り方を世界に示してくれたこと。

「これは、もっともっといいことの始まりだと思う」と言って夢を広げてくれたこと。

「オーガスタに行く前に勝てて良かった」と、来たる4月のマスターズに期待を抱かせてくれたこと。

「すごく意味のある優勝だ」――「なるほど」と、大きく頷かされた。

ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年に独立。1993年渡米後、25年間、在米ゴルフジャーナリストとして米ツアー選手と直に接しながら米国ゴルフの魅力を発信。選手のヒューマンな一面を独特の表現で綴る“舩越節”には根強いファンが多い。2019年からは日本が拠点。ゴルフジャーナリストとして多数の連載を持ち、執筆を続ける一方で、テレビ、ラジオ、講演、武蔵丘短期大学客員教授など活動範囲を広げている。ラジオ番組「舩越園子のゴルフコラム」四国放送、栃木放送、新潟放送、ラジオ福島、熊本放送でネット中。GTPA(日本ゴルフトーナメント振興協会)理事。著書訳書多数。

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