松山英樹の心の目が捉える異次元の絵とは何か?松山流、全英オープンへの備え方
今年の全英オープンの舞台、ロイヤル・バークデールの土の上で、松山英樹の姿を最初に見たのは火曜日の朝だった。
練習ラウンドを行なった松山は、グリーンを取り囲むバンカーにあえてボールを投げ入れ、そこから打ち出す練習を幾度も繰り返していた。18ホールを回り終えると、その足で練習場へ向かい、今度はショートゲーム練習場へ。
そこには練習用のバンカーもあった。コース上にあるものと同じような形状の練習用バンカーは、アゴの部分がほぼ垂直に切り立っているが、背丈がすっかり隠れてしまうような深いポットバンカーではなく、しかし米ツアーのコースでよく見かける平べったいバンカーとは、また異なる。
全英オープン開催コースで見かけるバンカーの中では、バークデールのバンカーの大きさや深さは、あえて言うならミドル級。とはいえ、ひとたびつかまってしまったら、絶体絶命に思える形状ではある。
松山はその練習用バンカーの中にボールをいくつも投げ入れては打ち、バンカーの淵のすぐ外側に立って膝を折り曲げて中腰になったり膝をついたりしながら、いろんな姿勢で何度も何度もショット練習をした。
松山は日頃から練習熱心。だが、これほどバンカー練習を繰り返すのは米ツアーにおいても他のこれまでのメジャーにおいても珍しい。いつもとは異なる「unusual」なその光景は、果たして何を意味しているのか。
そんな疑問を抱きながら水曜日の練習ラウンドを眺めた。
この日も松山はバンカー練習を繰り返した。そのたびに、レーキでバンカーをならしていたのは彼に付き添って来ているダンロップ・スポーツ・エンタープライズの小田桐悠人氏。
あるバンカーから数回ショットしてバンカーの外へ出た松山は、入れ違いにバンカー内へ入る小田桐氏に、小声で一言。
「あっざーす(ありがとうございます)」
世界ランキング2位のトップスターになっても、こういう場面での礼儀は怠らない。それは、松山のいつも通りの「usual」な姿ではあったが、バンカーをならす作業がそれほどまでに忙しくなる状況は、明らかにいつもとは異なる「unusual」だった。
【水や砂を「地続き」に!?】
ロイヤル・バークデール入りから松山に密着しているテレビ関係者が、こんなことを言っていた。
「土日はラフの練習ばっかりしていたけど、ここ数日はバンカーの練習ですよね」
我々ペン記者のいわゆる囲み取材より先行して行なわれたテレビのインタビューで松山は、グリーンを外したときはラフよりバンカーのほうがチャンスがあり、そこがこれまで4度出場した過去の全英オープンとは異なるといったことを答えたという。
なるほど。それを知って大きく頷けた。ロイヤル・バークデールのグリーンの周囲には、前述したようなミドル級のバンカーが少ないところで2~3個、多いところでは5~6個以上も口を開けている。
それを脅威と考えれば、バンカーを徹底回避する攻め方が自ずと強いられ、そう感じながらプレーすることは少なからず重圧になる。
だが、バンカーを「避ける」ではなく「活かそう」と思うことができれば、もはやバンカーは脅威ではなくなり、チャンスをもたらすラッキーアイテムにさえなりうる。
もちろん、ミドル級とはいえ、英国リンクスにそびえるバンカーを「活かせる」「活かそう」と思うためには、高い技術と万全の準備が求められる。だからこそ松山は通常の試合の開幕前とは異なる「unusual」なほどのバンカー練習をしているのではないかと、そう思えた。
そういえば、2002年の全英オープンを制したアーニー・エルスにメンタル面の指導をしていたスポーツ心理学者は、当時、こんなことを言っていた。
「池が不得意な人が『池がある、池がある』と意識すると、池は大きく感じられる。だが、心の中で池を埋め立て、そこにあるのは池ではなく地続きの広場なんだと自分に言い聞かせ、地続きの広場の絵を心の中に思い描けば、心理状態も結果も必ず変わる」
松山は日頃からバンカーショットが得意なほうだから、この心理学者が言った例とは少しばかり意味が違うのだが、この心理学者の説を汎用すれば、バークデールのグリーン周りでバンカーが口を開けている実際の風景と松山の心の目が見ているグリーン周りの絵柄は、かなり異なっているのではないかと思えてくる。
彼の心の目が見ている絵柄の中で、バンカーはピンに寄せるための花道の一部になっているのではないか。バンカーはグリーンへの地続きの道。彼がバンカー練習をするたびに、バンカーが1つ、また1つと埋め立てられ、そうやって彼は勝利へにじり寄っていく。
そんな不思議な世界が広がっていった。
【「unusual」を「usual」へ】
開幕前の最終調整の練習ラウンドを松山は9ホールで終えた。
6月の全米オープンで2位になったばかりの松山の名は当然のごとく優勝候補の1人に挙がっている。周囲からは「松山はナーバスになっている」「機嫌が悪そう」「イライラしているみたい」といった声が聞こえてきていたが、練習ラウンド中に彼が垣間見せた表情や仕草は、いつも通りの「usual」で、特別に緊張したり身構えたりしているようには見えなかった。
そう思って声をかけると、やはり彼は普段通りに取材に応じた。オフを取った先週、スーツ姿で観戦したテニスのウインブルドンは「(僕は)場違いでした」と言って、取材陣を笑わせる余裕さえ見せた。
そんな中、「バンカー練習をいつも以上に行なっていましたよね」と同意を求めてみると、松山は即座に首を横に振った。
「あのぐらいは誰だってやることです」
いつも以上にバンカー練習を行なっていたことは事実。いろんなシチュエーションを自ら作り出し、幾度もバンカーショットを試していたことも事実。
だが、バンカーを徹底練習した彼の中では、もはやバンカーはハザードとしてのバンカーではなく、すでにチャンスが開ける幸運の扉。徹底準備したからこそ、もはやバンカーは勝利に続く幸運の道。松山の目が見ているバークデールは、彼にしか見えない異次元の絵になっているのではないか。彼の即座の返答を聞いたとき、そう感じられた。
開幕前にそこまでやるのは、松山にとっては当たり前で、いつも通りの「usual」なのだ。他のトッププレーヤーたちだって、そうやって備えるのは当たり前のこと。
「あれぐらいは誰だってやることです」
彼のあの返答には、そんな意味合いが秘められていたのではないか。
工夫と努力と練習で、メジャー大会ならでは、全英オープンならでは、ロイヤル・バークデールならではの「unusual」を、いつも通りの「usual」へ近づけていく。そうすることで平常心が得られ、実力を発揮できる。それが、メジャー初制覇を狙う松山英樹なりの備え方なのではないか。
そう考えれば考えるほど、明日からの4日間が楽しみでたまらない――。