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ローリー・マキロイの快進撃を陰で支える人とモノ

舩越園子ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授
メジャー優勝の場には必ず父親ゲリーの姿がある(写真/平岡純)

米ツアーは今週から4週間に渡るプレーオフシリーズに突入する。最大の注目を集めているのは、言うまでもなく、フェデックスカップランク1位でこのプレーオフシリーズを迎えるローリー・マキロイだ。

タイガー・ウッズの時代が去り、ゴルフ界にはマキロイ時代が到来したと騒がれつつある昨今。だが、当のマキロイ自身は、人生の大きな転機に名前を付け、自分史の記録と記憶にとどめているのだそうだ。

最初の転機は2011年のマスターズ最終日。バック9で大崩れして勝利を逃した「オーガスタのあの日(That day at Augusta)」。

そして、2度目の転機は「この夏(This summer)」だ。

7月に全英オープンを制してメジャー3勝目を挙げ、その2週間後にブリヂストン招待を制して初の世界選手権タイトルを獲得。その翌週に今度は全米プロを制してメジャー4勝目と今季メジャー2勝目と出場3試合連続優勝を成し遂げた「この夏」は、マキロイにとって生涯忘れることのない夏になった。

振り返れば、マキロイのメジャー優勝の始まりは「オーガスタのあの日」から2か月後の2011年の全米オープンだった。翌2012年に全米プロを制し、2013年こそ未勝利に終わったが、今年の「この夏」は優勝トロフィーを掲げ続け、弱冠25歳でグランドスラム達成に王手をかけた。

最初の転機となった「オーガスタのあの日」から、2度目の転機となった「この夏」に至るまで、マキロイを陰で支えた人とモノを探ってみた。

【メジャー勝利の場に必ずある父親の姿】

圧勝を期待され、自らも勝利を確信していながら、最終日に「80」を叩き、15位に甘んじた2011年マスターズ。「オーガスタのあの日」を思い返すと、「この夏」とは大きな違いがある。あの日、あの週、父親ゲリーの姿が、そこには無かったのだ。

ゲリーはマキロイの幼少期からジュニアやアマチュアのトーナメント会場に同行し、励ましたり、相談に乗ったりしてきた。父と息子でありながら、メンタル面などゴルフの技術以外の部分でケアや叱咤激励が自然に行なえる存在だ。しかし、あのマスターズの週だけは、そこにゲリーの姿がなかった。

あのときマキロイは「オーガスタに家を借りて、友達と一緒に過ごしたい」と両親に告げ、幼馴染みだった当時の恋人も伴っていた。それゆえ、父親ゲリーも母親ローズィーもオーガスタには出向かず、北アイルランドの自宅のテレビの前で息子を応援していた。

しかし、あの大崩れした最終日の夜、マキロイの傷ついた心を受け止めてあげられたのは、結局、父親ゲリーだけだった。

「オーガスタが真夜中になったころ、息子が電話をかけてきた。多くは語らなかった。何かを学びさえすれば、負けは必ず勝ちに変わる。私はそれだけを息子に伝えた」

その2か月後、マキロイはコングレッショナルで開催された全米オープンを2位に8打差で圧勝した。ウイニングパットを沈めたマキロイが固く抱き合ったのは父親ゲリーだった。

以後、メジャー大会の会場には必ず父親ゲリーの姿がある。2012年の全米プロを圧勝したときもゲリーがいた。「この夏」の全英制覇のときは初めて母ローズィーが18番グリーンで息子とハグをかわしたが、もちろんゲリーもそこにいた。そして、全米プロのときも――。

「たった1度、オーガスタのあの日だけ、私はあの場に居なかった」と、ゲリーも残念そうに振り返る。この父親こそが、マキロイのメジャー勝利を陰で支える最大の存在だ。

ハグするときだけ出てくるが、それ以外は控えめで親しみやすい父親だ(写真/平岡純)
ハグするときだけ出てくるが、それ以外は控えめで親しみやすい父親だ(写真/平岡純)

【一緒に旅しながら話をするスイングコーチ】

もう1人、ここ最近のメジャー大会の会場でマキロイにぴったり寄り添っている人物がいる。マイケル・バノン、55歳。マキロイのスイングコーチだ。

バノンはマキロイと同じ北アイルランドの出身。マキロイが8歳のときから手ほどきを始めたが、バノン自身がアカデミーを創設し、他の生徒を持っていたため、当初はマキロイの専任コーチというわけではなかった。

だが、「オーガスタのあの日」以後、マキロイのスイングを見る機会を増やし、2011年全米オープン圧勝の陰の立役者として世界中から注目を浴びた。2012年からはアカデミーを離れて、マキロイ専任コーチに正式就任。そのわずか2か月後、マキロイを全米プロ圧勝へ導いた。

そして「この夏」も、父親ゲリーと2人でマキロイのラウンドに付いて歩き、ロープ際からマキロイの一挙一動を見つめるバノンの姿があった。

そのバノンとの関わり方を、マキロイ自身は、こう語った。

「最近は、スイングのみならず、コースマネジメントや戦略をマイケルと話すようになった。どんな状況なら、どんなクラブを選び、どんなショットで、どう攻めるか。僕がティーンエイジャーのころは、バノンとの会話のすべてがスイング技術のことだったけど、最近は以前より一緒に旅する機会を増やしてもらい、旅の途上でマイケルとそういうおしゃべりをする」

スイングコーチに求める役割、スイングコーチとの関わり方も変化している。いや、進化させている。それが、マキロイの快進撃の陰の支えになっている。

【秘かなるミックスナッツ】

ミックスナッツを食べ始めたらメジャー2勝を挙げた!?(写真/平岡純)
ミックスナッツを食べ始めたらメジャー2勝を挙げた!?(写真/平岡純)

「ここ数年、トレーニングを増やした。ここ8週間で筋肉が3キロ増えた。今、僕の体重は人生で最も重い」

全米プロ開幕前、そう語っていたマキロイは、近年、栄養やカロリー摂取にも大いなる興味を示しているという。

そのせいなのかどうか。ラウンド中、マキロイが何かを頻繁に口に運んでいるという噂がカメラマンの間で流れ始めた。

その「何か」の正体は、ミックスナッツだった。マキロイはパッケージ部分を手で隠すように持ちながら食べていたため、このナッツの製造販売メーカーと契約関係にないことは容易に推測された。

だが、契約してもいないのに、全英制覇のときも全米プロ制覇のときも、マキロイの手に頻繁に握られ、口に運ばれたこのナッツには、どんな秘密があるのか。

実を言えば、マキロイがこのナッツを好むようになったのは、「この夏」より少し手前の今年の5月だった。他選手が食べているのをたまたま見かけてサンプルをもらい、以後は「メーカーに毎月オーダーして取り寄せている」とは、マキロイのマネージャー氏の言。そして、試合のときは、このナッツをゴルフバッグに欠かさず忍ばせ、栄養補給している。

全英のときも松山英樹のすぐそばでマキロイはナッツを食べていた(写真/平岡純)
全英のときも松山英樹のすぐそばでマキロイはナッツを食べていた(写真/平岡純)

噂好きでゴシップ紙が大流行りする英国メディアが、マキロイとこのナッツの秘かなる関係を見過ごすはずはない。北アイルランドでは、あっという間にナッツの製造販売メーカーの社長があちらこちらの媒体で引っ張りだこになり、全米プロ直後にはラジオに生出演していた。

ワイルドッソンという名のこのメーカー。創設者の社長は30歳代の北アイルランド人だ。「数年前、皮膚がんと診断され、治療のために仕事を失った。以後、健康に気をつかうようになり、本当に体にいい食品を求めて自分で会社を立ち上げた」そうだ。

マキロイが食すれば、ナッツのメーカーの社長のこんな秘話までもが、マキロイの故郷の北アイルランドから海を越え、こうして日本へも伝わっていく。ナッツの売れ行きがうなぎ上りであることは、もはや言うまでもないだろう。

マキロイの成功を陰で支える人とモノ。その1つとなれば、陰にも光が当たっていく。それほど、マキロイ効果は今、世界中で高まりつつある。

ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年に独立。1993年渡米後、25年間、在米ゴルフジャーナリストとして米ツアー選手と直に接しながら米国ゴルフの魅力を発信。選手のヒューマンな一面を独特の表現で綴る“舩越節”には根強いファンが多い。2019年からは日本が拠点。ゴルフジャーナリストとして多数の連載を持ち、執筆を続ける一方で、テレビ、ラジオ、講演、武蔵丘短期大学客員教授など活動範囲を広げている。ラジオ番組「舩越園子のゴルフコラム」四国放送、栃木放送、新潟放送、ラジオ福島、熊本放送でネット中。GTPA(日本ゴルフトーナメント振興協会)理事。著書訳書多数。

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