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全英オープン最終日 松山英樹が世界に築いた立ち位置

舩越園子ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授
メジャーで続けざまのトップ10入りで得られた収穫は大きかった(写真/中島望)

フィル・ミケルソンが72ホール目でバーディーを奪い、勝利をほぼ確実化してガッツポーズを取る姿を、松山英樹はじっと見つめていた。

そのとき、松山の視線は何と言っていたのか?

「ミケルソン、すげえ!」「かっこいい」の類であるはずはない。彼の目はあからさまに「くっそー!」「オレがあそこに立ちたかった!」と悔しげに言っていた。

【異質で稀有】

メジャー4大会の出場資格を得る上で日本ツアーの選手は常に手厚く優遇されている。その優遇の度合いは世界の中でも群を抜いており、だからそのぶん日本人選手はメジャーに多く出ることができている。

とりわけ全英オープンには日本人が出場できる枠が毎年5~8人分ほどもあり、大挙してやってきては大挙して予選落ちしていくことの繰り返し。過去の数えるほどの例外を除けば、それが日本人選手の世界における現状、いや惨状だった。

だが、松山には「参加することに意義がある」的な考えはない。アマチュアのときでさえ、マスターズでローアマに輝いて実績を残し、プロになった途端に自力で出場権を掴んで乗り込んだ全米オープンは10位、そして全英オープンは6位。

日本から見れば、それは立派すぎるほど立派な成績である。だが、松山自身は「もっと上位に行きたかったという気持ちが強い」と、むしろ悔しさを露わにしていた。

だから、彼の表情は冴え渡る笑顔では決してなかった。ミケルソンを見詰める視線には、ライバル意識?悔しさ?ジェラシー?

彼のそんな感情が伝わってきた。

振り返れば、この大会で予選ラウンドをともに回ったときも、松山はミケルソンに臆したり卑屈になったりという態度を見せず、憧れ感も見せなかった。

日本人選手の多くは、そんなとき必ず「緊張しました」「握手してくれて感激しました」「次元の違いを感じました」「サインもらっちゃいました」などと、同じ出場選手でありながら恥ずかしげもなく言ってきた。

だが、松山が口にしたミケルソン感と言えば、「ショットは曲がっていたけど、パットで入れにいく姿勢はすごい」というもの。相手が米ゴルフ界のスーパースターであっても、臆したり卑屈になったりはせず、しかし学べるもの、盗めるものは、ちゃっかり頂戴する。そんな松山の姿勢は、これまでの日本人選手とは、かなり異質で稀有だ。

【相互作用】

3日目にスロープレーで1打罰を科せられながら、最終日は「もう忘れました」と気持ちを切り替え、上位を狙って好プレー。その陰にもミケルソンから盗み取ったものがあったようだ。

そう、異常気象で日照りが続き、グリーンが干上がりすぎてコントロール不能なほど固く速くなっていたミュアフィールドのグリーンで、ミケルソンが2日目に4パットを喫した姿を松山はまじまじと眺めていた。

だが、ミケルソンは、そうやって瞬間的に沈んでも、耐えしのび、「4パットしても、そのあと決めてくるところが(自分と)違う」。そんなミケルソンのネバーギブアップの精神と気持ちの切り替えとカンバック力。

優勝したミケルソンと6位にとどまった自分との差は、そこにあるのだと松山は言っていたけれど、松山のほうも3日目の1打罰のショックから立ち直り、最終日は好プレーでカンバックを見せた。そうやってミケルソンから学んだことを早々に生かしたあたりは松山のすごさ、彼の武器だ。

逆に、ミケルソンも松山を眺めて感じたものがあった。

大詰めでスコアを落とし、メジャーで惜敗を繰り返してきたミケルソンにとって、上がり数ホールをバーディーで絞め括ることは常に課題だった。それを、全英初出場の弱冠21歳でプロ1年目の松山に目の前であっさりやってのけられ、自分はボギー。そんな初日のラウンド後、ミケルソンはショックを隠せない表情で松山を讃えた。

「彼のカンバック力はすごいね。上がり2ホールでバーディーフィニッシュは僕がやりたかったことなのに……」

聞いていた数人の米国人記者たちは笑っていたけれど、ミケルソンはかなりの真顔で私にそう言った。あのときのミケルソンの真顔には、松山に対する小さなジェラシーが明らかに感じられた。

【築いた立ち位置】

カンバック。それはミュアフィールドにやってきたミケルソンのキーワードだった。6月の全米オープンで6度目の惜敗を喫し、「とても残念だ。立ち直るまでには時間がかかる」と言ったミケルソンにとって、この全英オープンは自らの復活をかけた戦いだった。

前週のスコティッシュオープンで優勝してから乗り込んだとはいえ、ミュアフィールドにやってきたときのミケルソンはショックから立ち直り切れていない傷心のミケルソンだった。

そんなタイミングで同組になったのが松山で、その松山は2連続ボギーを2連続バーディーに変えてしまうカンバック力をいきなりミケルソンに見せつけたのだ。ミケルソンにとって、それはそれなりの衝撃で、だからこそ松山の印象を尋ねた私に対して彼は饒舌に語ってくれた。

最終日。17番、18番で2連続バーディーを奪い、勝利を手に入れたミケルソンの勝ち方は、初日に松山のプレーぶりを見て「僕がやりたかったことだ」と言った締め括り方そのものだった。

2連続バーディーで勝利をほぼ掌中へ。(写真/中島望)
2連続バーディーで勝利をほぼ掌中へ。(写真/中島望)

初日に松山のカンバック力を間近に眺めたことが傷心のミケルソンにとって小さな励みとなったことは確かで、それが彼の全英勝利につながる小さな一因になったとすれば、松山の存在感はミケルソンの中ではすでに多大だ。

3日目に松山の一打罰の出来事に同組で接し、松山のために声を大にして擁護までしてくれたジョンソン・ワグナーだって、あのときは質問も反論もできないのに怒りだけは露わにしていたアジアの若者が、翌日は笑顔さえ覗かせながら好プレーで6位になった姿を遠くから眺め、驚いたはず。ワグナーの中でも松山の存在感はすでに多大だ。

そうやって着々と選手たちの中での存在感を高めている松山。経験を重ね、実績を積み上げつつある松山。全米オープンと全英オープンの続けざまのトップ10入りは、単なる好調の「波」や「勢い」によるものじゃない。松山は勢いで飛んだり跳ねたり踊ったりはしない。

彼の歩みは、一歩一歩がしっかり、ずっしり。その歩みを眺め、ライバル意識や悔しさやジェラシーを覚えつつある選手が世界のプロゴルフ界で着実に増えつつある。

「世界との差は少しは縮まったのかな」

間違いなく縮まり始めている。世界の舞台に自分の立ち位置を築いたことは、松山にとって最大の収穫だった。

ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年に独立。1993年渡米後、25年間、在米ゴルフジャーナリストとして米ツアー選手と直に接しながら米国ゴルフの魅力を発信。選手のヒューマンな一面を独特の表現で綴る“舩越節”には根強いファンが多い。2019年からは日本が拠点。ゴルフジャーナリストとして多数の連載を持ち、執筆を続ける一方で、テレビ、ラジオ、講演、武蔵丘短期大学客員教授など活動範囲を広げている。ラジオ番組「舩越園子のゴルフコラム」四国放送、栃木放送、新潟放送、ラジオ福島、熊本放送でネット中。GTPA(日本ゴルフトーナメント振興協会)理事。著書訳書多数。

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