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元AV監督が描く「ミャンマーの過激格闘技」映画に人々が共感する理由〈前編〉

藤村幸代フリーライター
頭突きありの過激ルールに挑む理由は(写真提供=映画「迷子になった拳」製作委員会)

「映画にぶん殴られて痛い。でも『だけど生きろ!』とエールをもらえた」

「人の人生を追体験したような迫力で脇汗が止まりませんでした」

「人は簡単には変わらない。勝っても負けても変わらない。じゃあどうやったら変われるのか? その答えがこの映画にはありました」

上映規模でいえば大作とは言えない作品ながら、観た人の評判がすこぶるいいと聞くドキュメンタリー映画『迷子になった拳』。上は、映画の政策実行委員会に届いた感想の一部だ。コメントに「ぶん殴られて」や「勝っても負けても」のワードがある通り、本作は格闘技、しかも「地球で最も過激な格闘技」と言われるラウェイを題材にしている。

このミャンマーの伝統格闘技が過激とされるゆえんは、ひとえにルールにある。いや、「ノールール」と言うべきか。というのも、パンチや蹴り、肘打ち、膝打ちといった通常のキックボクシングやムエタイのルールに加え、頭突きや脊髄への攻撃など「禁じ手」とされる技も認められているのだ。しかもグローブは禁止、許されている装着は拳に巻くバンデージ(包帯)のみだ。

映画の中にも、たしかに血しぶき飛ぶ試合のシーンはあるのだが、実はそこが本筋ではない。本編を通じて描かれるのは、日本に興行の形で本格上陸してまだ日の浅いこの“新興格闘技”を「チャンス」ととらえる日本人選手、興行主、そして選手を取り巻く家族や関係者たちの悪戦苦闘、七転八倒の記録だ。

ラウェイを踏み台にK-1などの大舞台を狙う選手もいれば、ラウェイを日本に定着させるべく、ライバル組織を蹴落とさんばかりに奔走する関係者もいる。皆に共通しているのは、居場所を「ここ」と決めた覚悟と爆発的な野心。今田哲史監督(45)が言うところの「ピュアな欲望」に突き動かされる人々は、最初こそ猥雑に、毒々しく見えるのだが、映画を見終わる頃には登場人物のすべてに愛おしさを感じてしまう。

今田氏は、学生時代にハンセン病元患者の“その後”を追った『熊笹の遺言』(2004)を世に出した後、10年間アダルトビデオ(AV)の監督として活躍、丹念にインタビューを重ねるなど「ドキュメントAV」という自身のスタイルを確立させた。至近距離まで迫ったり、少し離れたりしながら一貫して人間を見つめ続けてきた今田氏だからこそ、ラウェイを取り巻く人々の人間臭い魅力を惹き出せたのだろう。

そんな今田監督に、ラウェイを題材にしたきっかけから、AV業界と格闘技業界の「欲望」の違い、「人はなぜ闘うのか」の答えまで話を伺った。

『迷子になった拳』で監督を務めた今田哲史さん(撮影=ふくだしげる)
『迷子になった拳』で監督を務めた今田哲史さん(撮影=ふくだしげる)

ラウェイだからこそ全部撮らせてくれた

――「世界でもっとも過激な格闘技」とも言われるラウェイを映画の題材にしたきっかけから教えてください。

物語の主軸のひとりである金子(大輝)選手は、2016年に初めてミャンマーに行っているんですが、すでに当時からその姿を撮っていた制作会社があったんです。その一方、僕はちょうど10年間やってきたAV製作の仕事をやめたときでした。それで、あるインタビューのなかで「今度格闘技とかプロレスを撮ってみたい」と答えたら、偶然にもそれを見た制作会社の方が僕に監督の依頼をしてくれたんです。

――試写会の舞台挨拶でもおっしゃっていましたが、子供時代からプロレスが大好きだったそうですね。

そうなんですよ。当時好きだったのはテリィ・ゴディとかスティーブ・ウイリアムスとか。だから、いつかプロレスや格闘技のドキュメンタリーを撮りたいと思っていたので、この話が来たときは「ああ、インタビューで答えておいてよかったな」と思いました。

――夢をかなえた第1作の題材がラウェイ。まさに知る人ぞ知るというか、格闘技ジャンルのなかでもとりわけディープなものになりました。

でも、ラウェイでよかったと思っています。たとえばプロレスの場合、控室には絶対に入れなかったりするじゃないですか。その点で、ラウェイは全部見せていただいて、全部撮らせていただいたという思いが強いんです。それがほか(の格闘技ジャンル)でできたのかというと、総合格闘技にしろ、ボクシングやキックボクシングにしろ、できなかったんじゃないかと。

――たしかに、映画のなかでは選手を試合に出したいプロモーターと、体重差のある試合は危険だからやらせたくないというミャンマー人トレーナーとの、かなり踏み込んだ交渉シーンも出てきます。

そう、そんな交渉の現場なんて、撮れたとしても「出しちゃダメだよ」とあとから言われたりしますよね。とにかく、何を撮っても文句を言わないというのが、2つのプロモーション組織に共通した潔さでした。何でしょうね。格闘技にしては体重契約も比較的ゆるかったり、運営サイドの人たちも、競技というよりも文化を輸入するという考えもあったりしたのかなと思いますね。もっと競技化していたら、たぶんカメラにも規制が入っていたと思うんですよ。

――ラウェイに関しては、日本での興行の“型”というか、ビジネスモデルがまだ確立されていない。それが撮影にはむしろよかったのかもしれませんね。

前例がないですもんね。あとは「宣伝になるなら」という考えもあったと思うんですよ。「いいように世の中に出してくれたらいいな」と。宣伝になったかは分からないけど(笑)、でも「ラウェイ」という言葉は広がったと思います。

ミャンマーの伝統文化としても根付くラウェイは一面、「地球で最も神聖な格闘技」とも言われている(写真提供=映画「迷子になった拳」製作委員会)
ミャンマーの伝統文化としても根付くラウェイは一面、「地球で最も神聖な格闘技」とも言われている(写真提供=映画「迷子になった拳」製作委員会)

AVの世界にはないピュアで剝き出しの欲望に惹かれた

――逆に、撮影中にラウェイならではの難しさはありましたか。

難しかったです、ラウェイのプロモーション組織であるZONEもILFJもライバル組織ですし。

――映画では組織間の対立や、その間(はざま)で苦悩する関係者の姿もとらえています。

でも、その対立だけにフォーカスするのではなく、ほかに聞きたい言葉ってたくさんあるわけです。たとえば、どういう思いで、なぜそこまでして「ラウェイ」という競技を運営したり、実際に選手として出ていたりするのか。そういう思いを知りたいというほうが大きかったから、どちらの組織が正しいとか悪いとかではなく、また自分の思い入れによって下駄をはかせたりせず、あるがままを素直に撮ったつもりです。

――その自然体の撮影スタイルもあってか、選手をはじめ登場した人たちはカメラをあまり意識せず、あるときには本音をぶちまけたりもしていて。アニメに出てくるような“クセが強め”な人も多かったです。

とくに金子くんに関しては多かったですね。たとえば、途中で金子くんが格闘技の指導を仰ぐラーメン屋さん。フィクションであのラーメン屋さんが登場しても、あまりにも漫画的すぎるし、廃墟みたいなところで練習しているのも「格闘技を全然知らない監督が作ったんだろう」と思うはずのシーンじゃないですか(笑)。でも、それを真面目にやっているというのが、ドキュメンタリーだからこそ余計に面白いんじゃないかな。フィクションだと成立しないシーンになっちゃうと思います。

――日本では新興格闘技ということもあって、そこに群がる人たちが余計に濃いのかもしれません。

決して上から見ているということではなく、単純に人として面白い人が多かったですね。僕はAV製作のところにいましたが、逆にあそこまで剥き出しの人たちってあまり見たことがなくて。

――世間ではAVの世界も「欲望渦巻く」というイメージが強いと思いますが。

でも、AV監督や関係者はどちらかというと「欲望を撮る」人たちだから、撮り手まで欲望を剥き出しにしていたら本当に頭のネジが外れてしまっている業界になっちゃうので(苦笑)、すごく真面目だったり、ちゃんとしている人が多いんです。だから、僕には格闘技業界の人がピュアに見えた。ここまで欲望を出すんだ、みたいな。そこはすごく新鮮でしたよね。きっと格闘技は夢を売る商売だから、余計に裏は“えぐみ”があるのかもしれない。それはアイドルを撮っているときも思ったことです。格闘技の場合は余計に、興行側の人も指導者も選手にしても、思いに対して声に出すし、剥き出しな人が多い気がしますね。

――「人間の欲望」はある意味、この映画で撮りたかったもの?

でもあります。撮りたいなという思いはあったし、欲望を隠さないのがいいとか悪いではなく、人間そのものの部分でもあるわけじゃないですか。それは自分の撮りたかったものだったし、実際撮らせていただいた気がします。(後編へ続く)

フリーライター

神奈川ニュース映画協会、サムライTV、映像制作会社でディレクターを務め、2002年よりフリーライターに。格闘技、スポーツ、フィットネス、生き方などを取材・執筆。【著書】『ママダス!闘う娘と語る母』(情報センター出版局)、【構成】『私は居場所を見つけたい~ファイティングウーマン ライカの挑戦~』(新潮社)『負けないで!』(創出版)『走れ!助産師ボクサー』(NTT出版)『Smile!田中理恵自伝』『光と影 誰も知らない本当の武尊』『下剋上トレーナー』(以上、ベースボール・マガジン社)『へやトレ』(主婦の友社)他。横須賀市出身、三浦市在住。

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