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ジイさんバアさんの起業家コミュニティ「シニア・プラネット」が最高すぎる

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロイメージマート)

 2月25日、MITテクノロジーレビューに「ライバルはウィーワーク、65歳以上の起業家が集う高齢者コミュニティを訪ねた」と題する記事が掲載された。

 「自分が75歳になった時のことを想像してみてください」。シニア・プラネットの設立者、トム・キャンバーは語る。注意を向けられるのは若い人ばかりで、仕事をしたくても求人がない。社会とのつながりは絶たれ、生きがいを見いだすことができない。人は老いていくと、社会からのけ者にされるようになるのだ。

 シニア・プラネットは、そのような高齢者がテクノロジーによって社会と再びつながりを持ち、道を切り開いたり、起業したりするのを支援する場である。高齢者たちを脇に追いやろうと企む世界の中で、道を切り開くための支援をしている。あるいは、キャンバー自身が「最後の差別」と呼ぶ、年齢差別の問題に取り組んでいるのである。施設のガラスのドアには、「堂々と老いる」と書かれている。

 センターを訪れる人のほとんどは、緊急通報ボタンや転倒検知ペンダントなど、持ち歩きたいと思っていない。そんなものは余計なお世話なのだ。彼らの5分の1は、テクノロジーを使って仕事をし、金を稼ぎたいと思っている。PayPalで支払いを処理し、WixでWebサイトを作り、役者オーディション用の動画をメールで送りたい。自分のお店を開き、雑誌を出版したいのである。

 以上が記事の要約だが、是非とも元記事を読んで頂きたい。実のところ、少なからぬ高齢者はアイディアの宝庫である。彼らはこれまで、様々な経験をしてきた。世の中の酸いも甘いも知っており、多様な問題意識をもち、課題解決の方法にも長けている。そのような人的リソースを活かさない世の中は、どうかしていると言わざるを得ない。

高齢者こそ起業に適している

 筆者はYahoo!ニュースを執筆し始めた頃から、高齢者の生きがいの記事を書いてきた。反復も多いが、高齢者が起業すべき理由と意義を、再度述べることにしたい。

 中小企業庁の中小企業白書を見ると、わが国の起業家のうち60歳以上の割合は、なんと32.4%にも達している。反対に30歳未満は、11.9%にすぎない。

 実際、心理学者のミハイ・チクセントミハイは『クリエイティビティ』のなかで、晩年になると人の生産性は向上しているとの見解を述べている。生産性とは、労働時間あたりの生産価値である。したがって、単に時間当たりの活動量を詰め込むばかりでは、生産性は向上しない。それよりも、何が高い価値をもたらすかを判断する力のほうが、近代化の進んだ社会においては、生産性を左右するといえよう。

 高齢者は、脳が衰えているといえるのだろうか。心理学者のレイモンド・キャッテルによれば、知能には大きく分けて、二つある。一つは流動性知能。素早く反応し、短い時間で即座かつ正確に計算する能力である。これは生得的で、学習によって大きく左右されることはない。ピークを迎えるのが早く、高齢になると能力が落ちるようだ。もう一つは結晶性知能。これは、おもに学習に依存する。熟慮性に関係し、年々鍛えられていくのが、結晶性知能だ。

 結晶性知能こそは、年齢とともに向上する。そして創造性、イノベーションに関わるのは、この結晶性知能なのだ。チクセントミハイの言うように、創造的な人は90歳になってもなお、向上し続けている。いわゆるスーパー高齢者とは、歳を経てもなお前向きに行動し、あるいは「年寄り」などとのレッテルをはねのけながらも、自分の人生を歩み続けてきた人の最終的な評価なのである。

死ぬまで格好よく生きる

 人生に挑戦するのに年齢なんて関係ない。そもそもこの世に時間などない。それは人間が勝手に作ったものだ。私は時計師だからそのことがよくわかる。フランク・ミュラーの言葉である。

 老後の備えに2000万円が必要だと言われる。はっきりいって、これほど硬直的で、悲観的で、くだらない見解はない。人は自分を発揮して生きている限り、何かを生産し続けることができる。実際、昔の人は死ぬまで働いた。否、筆者の知る答志島の漁師たちは、よほど元気に働いている。生きることは何かを生み出し、それで飯を食うことである。老後に生産を止めてしまうこと自体、大きな間違いなのだ。

 時代は変わる。社会を構成するものは変わっていく。しかし、人間が生きるということそのものは変わらず、高齢者の方々は人生のベテランだ。ゆえに、新しい知識を身につけさえすれば、ずっと価値を発揮し続ける。「若いもんには負けない」という言葉では、なお足りない。高齢者こそ、若い人よりも秀でた才を持ちうるのだ。

 葛飾北斎は90歳で生涯を閉じるまで、実に様々なことに挑戦した。一生のうち、なんと3万点を超える作品を残している。北斎は何度も名前を変えたが、墓に刻まれた最後の名前は「画狂老人卍(まんじ)」。狂ったほど画に打ち込んだ男の死にざまが、そこにはある。北斎が72歳の時の作品『富嶽百景』に残した言葉を紹介することで、記事を終えたい。

己 六才より物の形状を写の癖ありて 半百の此より数々画図を顕すといえども 七十年前画く所は 実に取るに足るものなし

七十三才にして やや禽獣虫魚の骨格 草木の出生を悟し得たり

故に 八十六才にしては益々進み 九十才にしてなお其の奥意を極め 一百歳にして正に神妙ならんか

百有十歳にしては 一点一格にして 生るがごとくならん

願わくは長寿の君子 予言の妄ならざるを見たまふべし

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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