Yahoo!ニュース

アップルウォッチがスイス製腕時計を破壊?市場開拓のチャンスにすぎない

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:ロイター/アフロ)

 2月23日、フォーブズに「アップルに破壊されたスイスの時計業界」と題する記事が掲載された。

 記事によれば、昨年のApple Watchの販売数は、すべてのスイス製腕時計の販売数よりも多い。Apple Watchの販売数は3070万個で、前年の2250万個から約820万個増加。一方、スイス製腕時計全体の販売数は前年比13%減の2110万個、つまり約270万個減少したことになる。これをもってスイスの「腕時計業界」が、今後もアップルの影響によって破壊されるとの論調である。

 比較対象がスイス製腕時計のみである点や、それゆえ数字の増減が合わない点に気づけば、相当雑な記事だと思うだろう。しかし、論点を変えてみれば、記事で言われていることは的外れともいえない。すなわち、「腕時計」という用途・領域に限ってみれば、たしかに市場には大きな変化が生じているのである。

スイス腕時計の価値は何か

 記事には、Apple Watchが発売された2015年、LVMHモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトンの時計部門社長、タグ・ホイヤーのCEOを務めるジャンクロード・ビバーが、スイスの時計業界はApple Watchを恐れていないと発言したと紹介されている。理由は、Apple Watchは1000年後、あるいは80年後に修理できないし、子供に受け継がれたり、地位の象徴となったりすることもないからであった。

 この発言は、全くのところ正しい。事実、スイス製の腕時計は、まず高級な装飾品であり、よって80年後のアンティークであり、1000年後の芸術品だからだ。したがってApple Watchは、直ちに脅威とはなり得ない。飾りものに機能性や便利さを追求する者は、ほとんどいない。アンティークや芸術品には、資産価値がある。

 しかし高級腕時計が装飾品であるがゆえに、Apple Watchは市場の変革者といえる。なぜなら、人間の手首は二本しかなく、しかも多くの場合、腕時計は片手にしかつけないからだ。高級腕時計は腕に取りつけることで、腕時計としての装飾品たりうる。腕にはめず、家に置いておくばかりでは、絵画や宝石と違いがなくなってしまう。

 便利なApple Watchこそが、通常「腕にはめるもの」との観念が人びとに定着してしまえば、腕時計は骨董趣味と同じ扱いになる。その市場は、現在の腕時計市場よりも小さいことは、容易に想像がつくであろう。だからApple Watchは、直ちに脅威とはなり得ないが、高級腕時計の存立理由を全く変えてしまう恐れはあるのだ。骨董品ではなく実用的な腕時計を名乗るかぎり、「腕にはめるもの」としてのポジションだけは、失ってはならない。

 とはいえApple Watchは、デジタル機器メーカーの商品ラインナップにすぎない。高級腕時計の分野への進出を食い止めれば、今後も業界は維持されよう。そればかりか、スマートフォンなどのモバイル端末が台頭してから、若い人たちの間では、腕時計そのものを使用する習慣がなくなってしまった。Apple Watchのおかげで、彼らがそれなりの地位についたときに、再び腕時計にお金を使うようになるかもしれない。

スイス腕時計業界の第二の転換へ

 当初からAppleは、高級腕時計の分野にも参入しようと試みてきた。初代Apple Watch Editionは、最低128万円という価格で販売されている。しかしAppleは、装飾品としてのブランドを確立していない。ゆえに当初の目論見は、成功が難しかったのだ。いまでは高級ブランドHermesとコラボレーションしたApple Watch Hermesが存在するばかりである。価格は139,800円からだ。

 だからこそ、すでにブランドが確立している高級腕時計ブランドは、本腰を入れて攻勢に出たほうがよいのだ。Appleは、今後も次々と高級ブランドとコラボを重ねて、Apple Watch自身のブランド価値を高めていくだろう。修理ができないから大丈夫、などということはない。外見のデザインが残っていれば、中身はいくらでも代替可能だ。

 Apple Watchを大人しくさせておくには、高級腕時計分野のスマートウォッチを展開するしかない。反論はわかっている。これまでつくり上げてきたブランドが壊れるというのだろう。だからこそ各社は、新しいブランドの構築を目指すのだ。既存の価値は維持しつつも、新たな動きを打ち出すことで、攻めと守りを同時に実現するのである。

 見方を変えれば、Apple Watchは脅威ではなく、市場開拓のチャンスなのだ。間違ってはいけないのは、もともと腕時計は、その便利さのゆえに発明されたことだ。クォーツ時計が汎用化し、低価格化したとき、スイス時計メーカーは逆に高級路線に移行した。だがそれは、機械式にこだわったからというよりは、独自路線を貫いたからであろう。Apple Watchの模倣ではなく、別の技術を用いた商品の開発が求められる。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

遠藤司の最近の記事