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内定が欲しかったら、絶対に内定を欲しがってはならない

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 1月30日、東洋経済オンラインに「就職活動で「内定が決まらない人」の5大特徴」と題する記事が掲載された。

 この記事はよく的を射ているから、就活生は読んでおいてほしい。記事によれば、「内定が決まらない人」は、以下の5つの特徴を持っている。あるある、という感じだ。

1. 求人を「業界」でしか見てなく、「職種」を見ていない

2. 就活ノウハウや敬語を重要視「しすぎ」ている

3. 競争率が高い「人気求人」ばかりエントリーしている

4. 事前に準備をしすぎて「ロボット」のように回答してしまう

5. 志望動機が「楽しい」「好き」の一点張り

 特徴を羅列するとこういうことになるのだが、ようするに彼らは、仕事をするということにリアリティを感じていない。したがって、例えば大手電機メーカーで働きたいとか、総合商社に勤めたいとは言うものの、そこで何をするのかが明確ではない。それゆえ志望動機が、その企業や仕事が好きとか、社風がいいとか、あるいは面白みを感じるなどといった、希薄なものとなってしまうのである。

 そのようにして、仕事で目指すものが明確でないのに、就活のアドバイザーから面接の作法やらルールを教えてもらい、ネットで内定者の模範解答を検索するなどして、いわゆる就活スキルは身につけていく。そうであるから面接官に少し深い質問をされれば、メッキがはがれてしまう。そうならないために、回答の事前準備に時間を費やしたり、模擬面接官のフィードバックに頼りすぎてしまうことで、さらに皮相的な回答をするようになる。ますます内定から遠くなる、というわけである。

 そういう学生の場合、内定の決まらない原因を知り、それを取り除くよりも、最初に原則を知っておいたほうがよいように思われる。原則はこうだ。「内定が欲しいのであれば、内定を欲しがってはならない。」

内定は、自分を表現した後に出る

 頑張っているのに内定が出ない学生が陥りやすいのは、頑張る方向性を間違ってしまうことである。すなわち、内定の出た人や優秀な就活生の真似事ばかりしてしまい、彼らの使う言葉、やっていること、立ち振る舞いなどを模倣することばかりに目を向けてしまうのである。

 なぜそうなるのか。落ちる理由がわからないからである。そのため、自らの改善点が明確にならない。「同じようにやっているのに自分だけ受からないのは、スキルが足りないからだ。」「直すべきところはたくさんある。」そのように思い込んでしまうあまり、細かいところばかりに目がいってしまう。いわゆる、木を見て森を見ない状況に陥ってしまうのである。果てはエントリーシートや面接回答の言い回しの微修正ばかり行ってしまうことさえある。それらの言葉からは、面接官の言葉を借りれば、その人のことが何も伝わってこないのである。

 便宜的にこういった学生を「意識高い系就活生」と呼ぶことにしたい。いわゆる意識高い系と、本当に意識の高い学生の違いは、能力の高さとか、知識や経験の豊富さといったものよりも、何らかの目標に向かって、実際に頑張っているかどうかのほうに本質がある。目標があったから頑張って知識や経験を得てきたのだし、それゆえ社会人として必要な能力を身につけることができたのである。表面上だけ真似しても意味はない。同じ言葉を用いていても、そこから発せられる言葉の重みは全く異なってくる。だから意識高い系という言葉は、取り繕うばかりで中身が伴っていない若者のことを指し、彼らは嘲笑の的となるのだ。

 本当に意識の高い学生のもつ目標は、社会における自己の立ち位置や役割に向けた目標である。社会人あるいは会社員は、自分とは異なる誰かのために貢献することで、存在意義をもち、また生活の糧を得る。それを意識して行動している学生が、意識の高い学生だ。彼らは将来いかなる貢献をなす人物になりたいかが明確である。意識高い系と呼ばれないためには、まずもって、自分が本当に目指すものを見出し、それに向けていまから努力することである。

 内定が欲しいのであれば、絶対に内定を欲しがってはならない。内定は、人生に向き合ってきた結果として得られるものだ。だから、内定が出ないときにやらなければならないことは、自分とは何であるか、どこに向かっているのかを理解しようと努めることである。

「最初から」自分に向き合ってみる

 不安が頭をもたげると、人は目的ではなく、原因のほうにばかり目が行きがちになる。そのため、内定が出ないときにこそ、強く意識して、自分の人生をどうしていきたいのかを、改めて考えてみる必要がある。

 基本的に、自己PRと志望動機は、別の項目に分かれているだけで一つのストーリーだ。すなわち、自分はどういう人間であって、これから社会でいかなる価値を出していくのかを答えるのが、自己PRと志望動機である。あるいは、学生時代に頑張ったこと(エピソード)の観点からいえば、社会でこのような価値を出していくために、学生時代にこういう人間になろうとして、なにを頑張ったのかを語るのである。そのような一貫性は、意思の強さとみなされる。到達地点が明確であれば、意思の強さは、意志として表される。

 「もう一度」自分に向き合う、というのではいけない。なぜなら、内定が出ないということは、それまでの自分の道筋と、これからの自分の目指すものとが、一つの流れになっていない可能性があるからである。したがって、「最初から」改めて、自分に向き合ってみたほうがよい。本当に将来、自分はそのようになりたいのか。別のものになりたいのに、虚栄心や待遇の良さ、安定などを理由に、そうなりたいと思い込んでいるのではないのか。自分に嘘をついているのではないのか。

 重要なことは、誰に、どのように貢献するのかという観点から考えることである。世の中には困っている人がたくさんいて、彼らの悩みは千差万別だ。困っていること(問題)があるから、解決する手段(課題)が存在する。すなわち、仕事が存在するのである。これまで何度も述べてきたが、仕事とは困っている人を助けることである。どの領域で助けたいかが業種を定め、どのように助けたいかが職種となる。イメージがつかないのは、仕事についての知識がないからだ。いかなる業種があって、職種があるのかを理解するために、業界研究や職種研究が必要となる。

 内定のない学生の場合、自己の強みは何かという観点から考えるのは危険である。なぜなら強みは、場面、状況によって、弱みに変わりうるからである。プロレスラーの体躯は、マラソン選手にとっては弱みだ。不安の中にいるときには自己を守ろうとして、自分の持っているもの(スキル)に固執してしまい、目的があいまいになってしまう。だから、まずは目指す業種や職種を明確にして、過去の自分の経験から培った力を、そこでどのように生かすかを考えたほうがよいのである。

 内定を欲しがってはならない。自己の目的に到達するための仕事につくことを目指すのである。自分の目指すものを語ることができるようになれば、その言葉には深みが生じ、結果として内定が勝ち取れる。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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