安倍首相は「三つの原則」と言っていなかった――日本の代表カメラの収録から

安倍晋三首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 日中首脳会談冒頭における安倍首相の生の声を精査したところ、安倍首相は李・習両首脳に対して会談で「三つの原則」と言っていないことが判明した。従って日本が今後の日中の主導権を握る事態は存在していない。

◆日本の代表カメラの収録から

 筆者が某テレビ局の取材を受け、安倍首相が日中首脳会談で「三つの原則」と言ったか否かに関して中国側資料と照らし合わせながら回答しなければならない状況の中で、その番組スタッフにお願いして日本側の現場の取材記録を調べてもらいテープ起こしをしてもらった。番組スタッフからは共同作業だったので使っても構わないという許可をいただいたので、ここで使わせていただくこととする。

 安倍首相は11月5日の衆議院予算委員会の国会答弁(11:18:35)で、「報道を見ていただければわかりやすいことなんですが、私は習近平主席と李克強総理との会談の冒頭ですね、取材しているカメラの前で、これら3つの原則に明確に言及をして、習近平主席、李克強総理からも会談中で、同様の発言があって、これらの原則の重要性について完全に一致をしています」と言っている。

 ならば、日本側のカメラ記録を検証するのが道理だろう。

 テープ起こしをした安倍首相の発言を以下に示す。

●10月26日午前、安倍首相と李克強総理との会談における安倍首相の冒頭発言。

 ――本年の5月に、中国の国務院総理としては8年ぶりに李克強総理に訪日していただき、日中関係はまさに正常な軌道にもどったと思います。今回のわたしの日本の総理大臣としての7年ぶりの公式訪問によって、日中関係をあらたな段階へと押し上げていきたいと思います。(感謝の言葉が続くので省略)競争から協調へ、日中関係を新たな時代へと押し上げていきたいと思います(注1)日中は隣国同士であり、パートナーであり、お互いに脅威とならない(注2)第四の文書で合意したこの原則を、再確認をしたいと思います(注3)。また日中で、自由で公正な貿易体制を発展進化させていきたいと思います(注4)。今回の私の訪中から、そして更に習近平主席の日本訪問と、ハイレベルの往来を間断なくつづけていくことによって、更に日中関係を発展させていきたいと思います。

●10月26日午後、安倍首相と習近平国家主席との会談における安倍首相の冒頭発言。

 ――日中平和友好条約締結40周年という記念すべき年に中国を訪問できて本当に嬉しく思います。(感謝の儀礼的挨拶は省略)日中関係は、今回の私の訪問を契機として、競争から協調へ日中関係を新しい時代へと押し上げていきたいと思います(注5)日中は隣国同士であり、そしてパートナーであり、互いに脅威とはならない(注6)第四の文書で合意した、その合意を再確認したいとこう思います(注7)。また自由で公正な貿易体制を発展、そして進化させていかなければならないと思います(注8)。こうした原則のもとに、日中で世界からある意味では期待されている、地域や世界の平和の安定のためにともに力をあわせて貢献していきたいと思います。そういう日中の新たな時代を習近平主席と共に切り拓いていきたいと思います。

 以上が、日本の代表カメラが収録した、安倍首相の生の声である。

 国会答弁にある「三つの原則」という言葉は、ここにはない。

 つまり、安倍首相は李・習両首脳との会談で「三つの原則」とは言っていないことが明らかとなったわけだ。

 

◆「(注)」に関する説明

 しかし、安倍首相が主張しているとされる「三つの原則」の具体的内容に関しては触れている。しかも、ほぼ同じ言葉を使っていることが見て取れる。李・習両首脳との会談を対比してみていただきたい。ほぼ

  1.(注1)=(注5):競争から協調

  2.(注2)=(注6):脅威とならない

  3.(注4)=(注8):自由で公正な貿易体制

  4.(注3)=(注7):第四の文書を再確認

となっている。この「1、2、3」を、安倍首相は「三つの原則」と「心の中で!」名付けて発言し、「口に出して」言った「つもり」になっていたのだろう。

 ここで注目しなければならないのは、上記の「1」も「2」も、既に中国が常に「日本は遵守せよ」と上から目線で言うところの「四つの政治文書の原則」(1番目:1972年、2番目:1978年、3番目:1998年、4番目:2008年)の中に、書きこまれていることである。少しも新しいことではない。その証拠をお見せしよう。

●「1」に関して。これは以下の政治文書の中に出てくる。

 1998年:「双方は(中略)協調と協力を強化し」

 2008年:「双方は(中略)協調と協力を強化していくことで一致する」

●「2」に関して。これは以下の政治文書に出てくる。

 1972年:「両政府は(中略)威嚇に訴えない」(中国語では「脅威」は「威嚇」)

 1978年:「両締約国は(中略)威嚇に訴えないことを確認する」

 2008年:「双方は、互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならないことを確認した。」←今般の安倍発言と、前後の文脈まで、ほぼ同じ。

●「3」に関して。

 これは「四つの政治文書」にはないが、早くもトランプ氏が大統領に当選して以来、習近平が盛んに言い始めた言葉である。たとえば2017年1月15日の中国共産党新聞網にある「習近平、経済のグローバル化に関して語る」をご覧いただきたい。「公正」「公平」「自由」「貿易」などの言葉が無数にある。米中貿易問題発生以降は、3日に一度は「自由で公正公平で開かれた貿易体制」という言葉を発し続けていると言っても過言ではないほど、習近平はトランプに対抗して言いまくっている。

 したがって、安倍首相も同様のことを言っているのであって、目新しいものではないし、また中国が反対するわけもないのである。他は拘束力のある「四つの政治文書」に書かれている内容なので、もちろん中国側は否定しない。

 ただ安倍首相が「三つの原則」と発言していない以上、中国側がそれを認識することはあり得ないし、また確認し合う事態にも至るはずがない。

◆「第四の文書」とは何か?

 問題は、上記の「4」である。

 安倍首相が言っている「第四の文書」の意味が最初は理解できなかった。「四」という数字があるなら、一般的には「四つの政治文書」を連想する。事実、中国側は翻訳に困ったのだろう、「第四の文書」を、すべて「四つの政治文書」と翻訳している。

 習近平との会談に関しては、11月14日付のコラム<安倍首相、日中「三原則」発言のくい違いと中国側が公表した発言記録>にリンク先を示した通りで、李克強との会談に関しては10月26日付の国務院の「中国政府網」に書いてある。ここでも「四つの政治文書」と翻訳されている。

 しかし安倍首相たるものが、「四つの政治文書」を「第四の文書」と勘違いする訳がないだろう。おまけに李・習両首脳との会談で同じ言葉を使っているということは、安倍首相はよほど「第四の文書」にこだわっているものと推測した。

 そこで、ハッとした。

 安倍首相はひょっとしたら、「四つの政治文書」の「四番目の文書」を指しているのではないか。だとすれば2008年5月7日に公表した「胡錦濤・福田」会談で出した共同声明だ。もちろん署名入りの正式文書である。PDFをダウンロードする作業を省けば、たとえば日本語で書かれた「チャイナ・ネット」の「四つの政治文書」で見ることができる。

 これをご覧いただければ分かるように、そこには、「四」の冒頭に「四  双方は、互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならないことを確認した」とある。また「五の(4)アジア太平洋への貢献」には「双方は、中日両国がアジア太平洋の重要な国として、この地域の諸問題において、緊密な意思疎通を維持し、協調と協力を強化していくことで一致するとともに、以下のような協力を重点的に展開することを決定した」と断定的に書いてある。これは拘束力のある「原則」なのである。

 ということは、安倍首相は李・習両首脳との会談において、あくまでも「四つの政治文書」のうちの「四番目に書いてある原則」を李・習両首脳と確認したのであって、一切、「三つの原則」に関しては触れてもいないし、「確認し合ってもいない」ということが結論される。

◆なぜ安倍首相は「三つの原則」を確認したと言ったのか

 それならなぜ、安倍首相は「三つの原則」を確認し合ったと、国会でまで答弁するに至ったのだろうか。これは安倍首相に聞かなければわからないことではあるが、国会で「(李・習との)首脳会談で“三つの原則”を提起し、確認し合った」という趣旨の答弁をしている以上、われわれ日本国民には国会答弁の正当性の有無に関して考察する資格はあるだろう。

 そこで時系列を見てみよう。

 (1)10月26日、李首相との会談を終えて今から習主席との会談に入る前というタイミングで、フジテレビが安倍首相を取材した。そのとき安倍首相は「今後の日中関係の道しるべとも言える三つの原則を確認しました」と高らかに言ってしまった。気分が高揚して、勢い余って言ってしまったのだろう。

 (2)言ってしまって、日本国民の知るところとなってしまったら、もう「そうだったことにするしかない」。それなのに習主席との会談後、西村官房副長官が「三つの原則という言葉は言ってない」と、正直に白状してしまった。

 (3)西村氏は非難を浴びたが、安倍首相が「言った」と表明している以上、それに合わせるしかないので西村氏は前言を翻した。

 (4)結果、「○○の上塗り」を重ねざるを得ず、遂に国会答弁という、責任を追及される場でも、更なる「上塗り」をしてしまったということではないかと、推測するのである。

 少なくとも安倍首相は、自分が「三つの原則」と心の中で決めている内容三項目を、会談できちんと表明しているのだから、それで十分だったはずなのに、フジテレビの取材で誘われるように言ってしまったのが、つまずきの元と言わざるを得ない。フジテレビも罪深いことをしてしまったものだ。

◆日中関係の主導権に影響

 何が重要かというと、安倍首相が「今後の日中の道しるべ」として、「三つの原則」を表明したか否かによって、日本に主導権があるか否かが決まってくるということだ。それも拘束力のある「原則」でなければならない。この有無は、日中関係においては、日本国民の運命と尊厳を決めていくことになる。

 もし、安倍首相が言うように、日中首脳会談で安倍首相が提起した「三つの原則」が中心になっているとすれば、日中関係の主導権は日本側にあることになり、将来への不安あるいはリスクが、多少は軽減する。

 しかし、もしそれが事実と異なるのであれば、日中関係はあくまでも中国主導型の非常に危ういものとなり、日中が接近すればするほど、その危険性は高まっていく。

 われわれ日本国民が見せられているのは「虚構」に過ぎないということになる。それを「日中の道しるべ」などという言葉を用いて、あたかも「日本が主導権を握っている」かのように、国民に対して虚勢を張って見せるのは、一国のリーダーとして適切な言動ではないだろう。

 それはふと、日本国民に日本軍が連戦連勝と宣伝してきた、あの戦争時代を想起させる。だから拘(こだわ)るのだ。拘らなければならない。

 なお、外務省のホームページの「安倍総理の訪中(全体概要) 平成30年10月26日」には、「三つの原則」という言葉どころか、その具体的な内容さえ削除してある。安倍首相が非難される危険性を招く言葉を、文書として残したくなかったのだろうか。その配慮を、気の毒に思う。