Yahoo!ニュース

江沢民の古巣「一汽」トップ落馬――自動車最大手の董事長

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

長春にある中国の自動車最大手国有企業「一汽」(イーチー)の董事長・徐健一が落馬した。一汽は江沢民元国家主席がスタートを切った古巣。WTO加盟の際に中国が最も力を入れた企業だ。その道筋と落馬の意味を考察する。

◆江沢民スタートの地――中国第一汽車集団(一汽)

江沢民(1926年~)の実父・江世俊は日本の傀儡政権であった汪兆銘政府の宣伝部副部長を務めていた。国民党特務機関の一員でもあった。だから家は裕福で、小さいころからピアノ、ダンスや書道などを学ぶ裕福な生活を送り、大学も日本軍関係の子弟が行く南京中央大学に通っている。専門は電機学。日本軍系列だったので、外国語として日本語も学び、多少の日本語を話す。

酒が入って酔いがまわると、「月が出た出たぁ~、月が出たぁ、ヨイヨイ。三池炭坑~の、上に出たぁ~」と、三池炭坑の「炭坑節(たんこうぶし)」が出てくることで有名だ。 

ところが日本が敗戦すると、突然出自を偽り、実父の腹違いの(父親の妾の)弟で中国共産党の革命幹部であった江上青(江世候。1939年戦死)の養子であったと偽り出自を隠ぺいした。

46年4月に江沢民はあわてて中国共産党に入党し、革命烈士の子息として何とか生き延びている。47年に上海市にあるアメリカ資本の「海寧洋行」傘下の食品工場で動力科学技術工程師として働き始めた。49年5月に上海市が中国人民解放軍によって解放されると、この工場は「上海益民食品一廠」と改名。

本来なら、このまま一介の工場労働者として終わるはずの一生だったが、なんとこの工場の社長が、現在の習近平政権下で中共中央政治局委員を務めている汪洋(現在、国務院副総理)の母親だったのである。父親の汪道涵(1915年~2005年)は当時、華東軍政委委員会工業部部長で、上海軍管会の重工業部門を担当していた。

汪道涵は、江沢民が養子に行ったと偽っている江上青の戦友だった。

中華人民共和国建国後、第一機械工業部の副部長(副大臣)になっていた汪道涵は、戦死した戦友を弔うために、まず江沢民を第一機械工業部の上海市直属機関である第二設計分局の電器科長に任ずる。53年のことである。江沢民、出世の第一歩が始まった。

ソ連の協力により第一次五カ年計画がスタートし、54年には第一機械工業部が自動車工業振興の任を担うことになった。すると汪道涵は早速江沢民を五カ年計画の大きな柱の一つである長春の「一汽(第一自動車)」に派遣した。一汽に派遣しておけば、その後、中央政府に呼びやすくなると考えたからだ。

こうして、こんにちの江沢民の地位がある。

◆WTO加盟のために必死になって力を入れた自動車産業

中国がWTO(世界貿易機関)に加盟するに当たって、WTO側は自動車などの輸入の際の関税引き下げを絶対条件とした。当時、たとえば100万円の日本車だと、2倍近くの関税がかかり、中国では200万円以上出さないと買えない。その関税を引き下げ、安い価格で高性能の日本車を販売すれば、中国の国産車は壊滅的打撃を受ける。

そこで中国は「東北大振興」という国家プロジェクトを掲げて、何とか国産車、特に乗用車(自家用車)の技術 を高めようと国を上げて邁進し始めた。それまでは軍用車や輸送トラックなどに力を入れていて、乗用車は外車に頼ることが多かった。

筆者が取材した当時(21世紀初頭)、長春市の市長だった祝業精は、この乗用車技術導入のために、先進諸外国と交渉をしていた責任者だった。

日中国交正常化以降は日野自動車をはじめ、スズキ、いすゞ、ダイハツなどが技術協力をしていてくれたが、90年代にWTO加盟のための技術協力を呼び掛けたとき、名乗りを上げたのはドイツのフォルクスワーゲンだった。「フォルクス」は大衆という意味で、「ワーゲン」は車という意味。まさに「大衆の車」の技術が欲しかった。こうしてフォルクスワーゲンは、中国では「大衆」という名で広くいきわたるようになる。

◆一汽は、江沢民にとって「別荘」のようなもの

その一汽、初期のころは必死だった。

しかし江沢民が上海閥として利権集団と化したころになると、一汽は江沢民の「北の別荘」のような位置づけになってしまう。

それが大きく目立ち始めたのは、中国が14%台を越えるGDP成長率を示し始めた2007年あたりからだ。これはつまり、江沢民利権集団の腹心・周永康がチャイナ・ナイン(胡錦濤時代の中共中央政治局常務委員会委員9人)入りした年である。

今般落馬した徐健一は、その周永康の親族がアウディ販売店を出すに当たって便宜を図っている。祝業精・元長春市長と会ったとき、筆者は実はこの徐健一・元董事長にも会っている。彼はそのとき、ドイツの高級車アウディの話ばかりしていた。

今ではA6L、A4L、Q5、Q3の4車種を生産している。

そのアウディ車販売などを通して、あの徐健一氏が周永康とつながり、江沢民の北の別荘地で腐敗にまみれていたとなると、なんとも言えぬ気持になる。

一汽が建てられたその地は、まさに1948年9月に食糧封鎖された長春を脱出するために潜った二重の包囲網「チャーズ」があった場所だ。

餓死体が敷き詰められていたあの荒野の高粱(こうりゃん)畑は、何という歴史を見てきたことだろう。革命のために犠牲になった数十万の中国の民の死体の山の上で、民を助けるために戦ったはずの共産党が、腐敗の温床と化している。

そこは、江沢民がスタートした古巣であり、砦の一つだった。

そこにメスが入ったことは、習近平政権の腐敗撲滅運動が新たな段階に入ったことを意味する。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。2024年6月初旬に『嗤う習近平の白い牙』を出版予定。

遠藤誉の最近の記事