「香港新世代」が突き付けた、中共一党支配を異常と見る視点

「香港新世代」が突き付けた、中共一党支配を異常と見る視点

香港デモの拠点は完全に撤去された。香港人の大多数は中華民族で、中共による強権的統治を嫌い大陸から亡命した者が多い。その洗礼を受けていない若者の目には、中共の一党支配は異常に映る。「香港新世代」の新しい視点だ。香港デモは「同じ中華民族が、もし共産主義の洗礼を受けてない状況に置かれたなら、何を選び、何を求めるのか」を示した好例だと位置づけることができる。

◆「香港新世代」の息吹――「価値観」における世代間ギャップ

香港の総人口700万人強のうち93.6%が中華民族(中国系華人)で、そのほとんどは中国大陸の広東省から来ている。第二次世界大戦が終結し、1946年から大陸で国共内戦(国民党と共産党の内戦)が再燃すると、少なからぬ中国人が戦火を逃れてイギリス領だった香港に逃れた。

1949年に現在の中国、中華人民共和国(新中国)が誕生すると、中国共産党による統治を嫌った中国人がやはり香港に逃れているが、最も分厚い層を構成しているのは、新中国誕生後、毛沢東の独裁の下で「反革命分子」狩りが始まって以来の亡命者たちだ。

1950年に朝鮮戦争が起きると、敗北した国民党の残党が大陸内でうごめき始めたため、毛沢東は1951年から「三反(さんはん)(反汚職、反浪費、反官僚主義)運動」を、52年からは「五反(ごはん)(反賄賂、反脱税、反国家財産横領、反手抜き・原料詐称、反国家経済情報窃盗)運動」を開始して、数百万人を逮捕投獄した。

実際は「反革命分子」に脅威を与えるための運動だったと言っていい。

1956年になると、毛沢東は人民に「言いたいことは何でも正直に言っていい。党を批判しても構わない」という趣旨の運動を展開しておきながら、翌年、毛沢東を批判した者をすべて労働改造所(反革命的思想を持った者を投獄し学習させる収容所)に送り込んだ。釈放されたのは改革開放が始まってからである。

こういった毛沢東思想の洗礼を受けた者たちの一部は、欧米だけでなく香港や台湾に逃亡した。

香港にいるこの年代の人々は、中国共産党による一党支配の怖さを経験しながら、一方では改革開放(78年)以降、「金儲けをしてもいい」というトウ小平の号令によって、突然「銭に向かって進み始めた中国大陸人民」と、心理的にあまり変わらないところがある。

すなわち、「中国共産党の一党支配体制」の洗礼を受け、「許されなかった金儲け」を経験している分だけ、「金儲け」に邁進する。

特に中国大陸は「経済」により香港市民を大陸に食い込ませる戦略により香港市民を取り込んだため、中高年層は、民主を求めてはいるものの、中国大陸なしには経済的に生きていけない状況になっている。

ところが香港の中国返還後に物心ついた若者たちは「一党支配」という世界を知らない。その「したたかさ」も、まだ知らない。

筆者は、この群像を「香港新世代」と呼ぶことにしたい。

香港新世代は「一国二制度」の下で、今のところ香港では制限を受けていないインターネットなどの世界により、「普遍的価値観」を身につけている。

この普遍的価値観こそは、中国中央が最も忌み嫌う価値観で、これは三権分立や普通選挙の概念を生む。そのため中国では「社会主義的核心的価値観」を必死になって植え付けている。

もしトップダウンの思想教育がない状態で、「中華民族」を「人類の思考空間」に放ったとしたら、おそらく香港デモの中核となった「香港新世代」が持つ価値観こそが、中華民族の価値観となるだろう。

これは「中国」という国家の枠組みで考えると、歴史上初めて出現した現象かもしれない。

香港新世代は、中華民族でありながら、そして自分を中華民族と認めながら、「香港人」として西側自由諸国の普遍的価値観に基づいて、「他者」として中国中央を見ている。

その新世代の目には、中国共産党による一党支配は、到底受け容れられるものではないだろう。

これは中国以外の外国で生まれ育った中華民族に共通した感覚であるかもしれないが、香港新世代の場合は「中国」という国家の枠組み内での、ひと塊としての群像である。

香港が中国に返還された1997年に、仮に0歳~5歳だったとして、2014年、新世代の年齢は17歳~22歳。

まさに今般の雨傘デモに参加した年齢層だ。

この世代の価値観と、中共の圧政から逃れてきた中高年層との間には、埋めることのできない断絶がある。

オキュパイ・セントラルという手法による失敗以外に、実はこの「断絶」こそが、今後を含めて抗議運動の趨勢を決めるものであり、また、史上初めての発信となるであろう。

それは台湾の若者による「ひまわり革命」とも共通の要素を持っており、この価値観とパワーを、世界がどうのように受け止めていくかが、東アジアの方向性を決めていくと言っても過言ではない。

◆香港基本法における制約の壁を破れるのか?

しかし問題は、香港政府には中国中央と取り交わした「香港特別行政区基本法」(略称:基本法)があるということだ。

この基本法が制約するものは、大きく分けると二つある。

一つ目は、「一国二制度は2047年を期限として一国一制度に移り、香港は完全に、100%中国大陸化するということ」で、二つ目は、「基本法の解釈権と改正権は全人代(全国人民代表大会)常務委員会にある」と、基本法に明記してあることだ。

1984年、英中両国は共同声明を発布し、90年に基本法を承認し合っている。英国も、英国植民地としての香港政府も、「この条件で香港を中国に返還します」と誓ったのである。

だから、基本法と中国返還を「是」としない香港人は、海外に亡命してしまった。

全人代常務委員会は今、基本法に基づいて、基本法を「中国に都合の良い方向で」解釈し、中国大陸における選挙と同じ方式(候補者を中国共産党礼賛者に絞るという方式)の「民主選挙」を実施させようとしている。全人代はこれを2017年から実施させるべく解釈権と改正権を行使しているが、仮に2017年から実施しなかったとしても、2047年には「必ず」100%、中国大陸方式に切り替わる。

そのことを基本法は約束している。

戦争や革命でもない限り、あるいは中国共産党の一党支配が崩壊しない限り、1997年から50年間だけ「一国二制度」を保つのみ、という条件は変わらない。ただ単に、2047年に突然一夜にして「一国二制度」から「一国一制度」に全てを変えるのか、それとも2047年までに全人代常務委員会の解釈権と改正権に基づいて漸近的に徐々に「一国二制度」から「一国一制度」への橋渡しをしていくかの違いがあるだけなのである。

たしかに香港新世代は2010年に中国中央が2015年から香港においても実行させようとした愛国主義教育の抗議デモには成功した。2015年からの実行を延期させることに成功している。

しかし民主主義国家で遂行している普通選挙を行わず、「候補者に制限を加えた上で、一人一票の選挙を行う」というのが、中国大陸で実行されている「民主選挙」で、この方法により中国共産党は、大陸における一党支配体制を今日まで維持してきた。この中国式の「民主選挙」方式は一党支配維持のための最も根本的な手段である。

実は全人代常務委員会は2007年に「2017年から香港の行政長官選挙を一人一票の民主選挙にする」と宣言している。しかしこの「民主選挙」とは「中国式の民主選挙」のことを指し、まさか「候補者に制限を加える」とは、新世代は考えていなかっただろう。

だからこそ「騙された」という思いが強く、なおさら強く抵抗している。

しかし中国中央がこの「中国式民主選挙」を覆すことは絶対にない。

となると、「真に民主的な普通選挙を要求する」としてデモを展開してきた新世代たちは、「基本法を撤廃せよ」と言っているのに等しいことになる。 

香港特別行政区にとっては憲法のような基本法を、中国中央が撤廃させるはずがない。

それでもなお発信する新世代の価値観。

勝利のない闘いのようでありながら、もしかしたら新しいパワーを、世界に広げていく可能性を秘めているかもしれない。

香港新世代の政治意識の高さは、時代がもたらした新しい現象だ。

異質な体制が迫っているが故に、彼らは命を賭けて民主的投票行動を手にしたいと渇望しているのではないだろうか。

翻(ひるがえ)って、日本は体制も事情も全く異なるが、それにしても今般の52%という、戦後最低の投票率は注目すべきだろう。

その原因として、自ら勝ち取った民主主義ではなく「アメリカから与えられた民主主義」にすぎないからとか、政治に希望を抱いていないからとか、日常を「平和だ」と感じていて政党選択の必然性を感じていないからなど、理由はいろいろあるだろう。そのような中、とりわけ今般の低投票率は、選択すべき二大政党としての野党が育っていないことに最大の原因があるように思われる。選挙する側もされる側も、日本には香港新世代が望んでやまない普通の民主選挙があることを噛みしめ、その権利を最大限に発揮できるようになることが強く望まれる。