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「グリーン成長」の次のパラダイムは何か?

江守正多東京大学 未来ビジョン研究センター 教授
(写真:ロイター/アフロ)

「脱成長コミュニズム」を掲げる斎藤幸平さん(経済思想家)の「人新世の『資本論』」が40万部を超えて読まれている。筆者も斎藤さんと直接話す機会を含め、この議論から刺激を受けてきた。

筆者は現時点で「脱成長」を信奉するほどではないが、少なくとも「グリーン成長」に無批判に突き進むのはまずいという理解に至った。

実は「脱成長」の議論は学術的にかなり盛り上がってきているが、日本では、斎藤さんの本を褒める人も貶す人も無視する人も、これをほとんど知らないだろう。

最近、日本環境共生学会学会誌に何か書かねばならなくなったので、この機会に、「脱成長」について、わりと真面目に論文を読んで、理解したことをまとめてみた。元記事も無料で公開されているが、少しでも多くの人の目に触れるように、ここに転載させて頂く(長文ご注意)。

1.はじめに―主流化するグリーン成長

脱炭素社会を目指す新しい経済戦略が世界的に主流化してきている.2015年に国連気候変動枠組条約の下で採択されたパリ協定では,長期目標として「世界平均気温の上昇を産業化以前を基準に2度より十分低く抑え,さらに1.5度未満を目指して努力を追求する」ことが合意された.また,2018年に気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が「1.5度地球温暖化に関する特別報告書」において2度の温暖化と比較して1.5度ならば多くの影響を回避できることを詳細に評価したことを受け,1.5度を目指すべきという国際社会の認識が高まった(IPCC, 2018).そのためには,2050年前後に世界全体の人間活動による二酸化炭素(CO2)排出量を実質ゼロにし,CO2以外の温室効果ガス排出量も大幅に削減する必要がある.

日本においても2050年までに脱炭素社会を目指すことが2020年10月に菅義偉首相(当時)により宣言され,翌年5月に成立した改正温暖化対策推進法に明記された.この流れの先駆けとなった「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略」(2019年6月閣議決定)では,「環境と成長の好循環」「ビジネス主導の非連続なイノベーション」「グリーンファイナンスの推進」といった言葉が躍り,日本の経済戦略が「グリーン成長」路線に大きく舵を切ることを印象付けた.2020年12月に経済産業省が策定したのは,その名もずばり「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」である.

旧来は,環境保全は経済成長のブレーキという認識であり,環境と経済という二律背反する目標の間でバランスをとり,妥協点を見つける必要があるとする考え方が主流であった.一方,グリーン成長路線においては,環境保全は経済成長のアクセルであり,環境保全に貢献するビジネスが市場からも評価され,成長できるという考え方に変わった.この転換は経済戦略における大きなパラダイムシフトといえる.

この背景には,気候変動の深刻化の認識の高まりに加えて,再生可能エネルギー(再エネ)や蓄電池などの対策技術が価格競争力を持つようになってきたことがあると考えられる(Schmidt and Sewerin, 2017).2020年半ばまでは米国のトランプ政権がこの流れに抗っていたが,バイデン政権の成立により,つっかえ棒が外れたように世界的に流れが加速した印象がある. 

2.グリーン成長シナリオへの批判

グリーン成長の考え方で脱炭素化を目指す際には,GDP成長とCO2排出(一般的には他の温室効果ガスも含むが,本稿では主にCO2に注目する)のデカップリング(切り離し)が成功することが前提となる(Haberl et al., 2020).つまり,旧来の経済システムではGDPの成長に伴ってCO2排出もほぼ同じ割合で増加したが,グリーン成長ではGDPが成長しつつCO2排出がより小さい割合でしか増加しないか(弱い,または相対的デカップリング),またはCO2排出が減少する(強い,または絶対的デカップリング)と期待される.脱炭素化を目指すために必要なのは強いデカップリングである.

GDPとCO2のデカップリングは,単位GDPあたりのエネルギー消費量の減少(GDPとエネルギーのデカップリング)と,単位エネルギー消費あたりのCO2排出量の減少(エネルギーとCO2のデカップリング)の2つの組み合わせにより起こる.前者は,個々の機器ならびに社会システム全体のエネルギー効率の向上やサービス産業への移行等により実現する(交通を例にとれば,自動車の燃費・電費の向上,カーシェアリング,公共交通機関への移行など).後者は,エネルギーの脱炭素化により実現する(再エネ起源の発電・燃料の割合の増加など).実際に,欧州の多くの国や英国で近年のGDPとCO2の間に強いデカップリングの傾向が確認されている(Haberl et al., 2020)

しかしながら,世界全体での,2050年の脱炭素化に間に合うようなスピードでのデカップリングには疑問が投げかけられている.欧州の環境市民団体のネットワークであるEEB(2019)は,デカップリング楽観論への反駁として以下の7項目を提示している.

  1. 資源開発が進めば進むほど,より質の悪い資源が残るため,同じだけの資源を開発するための環境負荷は上昇する.
  2. 機器の効率が向上すると,節約された分の資源や所得を別の消費に使うため,効率向上の効果が一部相殺される(リバウンド効果).
  3. 問題解決のための技術が別の問題を生み出してしまう(例:電気自動車の普及によるリチウム,コバルト等の採掘問題).
  4. サービス産業の資源・エネルギー消費が過小評価されている(例:データセンターのエネルギー消費).
  5. 現状でリサイクル率は徐々にしか上昇しておらず,リサイクルにもエネルギー消費を伴う(リサイクルの限界).
  6. 技術の変化が十分に「破壊的」でないか,十分なスピードで起こらない.
  7. 国内で経済成長を享受しつつ,排出やその他の環境コストは国外へ(多くは高所得国から低所得国へ)移転している.

議論を要する項目もあろうが,筆者から見て少なくとも2と7は本質的な問題であり,特に現在いくつかの国で観察されるデカップリングを評価する際には7の効果を割り引く必要があるのはそのとおりだろう(Haberl et al., 2020)

では,グリーン成長を前提としつつ,世界全体で2050年前後に脱炭素化する絵姿は定量的に描けないのだろうか.実は,それは可能であり,IPCCにより評価されているシナリオは,まさにそのようなものである.IPCCの第6次評価報告書で用いられるSSPシナリオの世界総計GDPは,いずれのシナリオでも2100年まで成長を続けると想定されており,2050年前後の脱炭素化の前提となる「持続可能社会」シナリオ(SSP1)では,2100年の値は2020年の5倍程度に成長する(Riahi et al., 2017)

Keyßer and Lenzen(2021)は,そのようなシナリオを前提に2050年前後の脱炭素化を実現する場合,以下の3つのうちいずれか,もしくはその組み合わせを仮定する必要があることを定量的に分析している.

  1. GDPとエネルギーの急激なデカップリング
  2. 再エネへの移行の急激な速度
  3. 「負の排出」技術の大規模な利用

前述したリバウンド効果などのデカップリングへの疑問点を考慮すると,1の実現可能性には懸念が生じる.2については,再エネのコスト低下傾向や政策における主流化等を考慮すれば従来ありえなかった速度と規模での再エネの普及を期待することは可能である.しかし,再エネ設備の生産能力の増強が追い付くかどうかや,再エネ設備の建設に必要な資源・土地利用の急増が環境や社会にかける負荷への懸念がある.3は多くのシナリオ中では主にCO2回収貯留付きバイオマスエネルギー(BECCS)が想定されているが,エネルギー作物の大量栽培による土地や水を通じた食料との競合や生態系への負荷が懸念されている(Fuss et al, 2018).将来的には直接空気回収からの炭素貯留(DACCS)が視野に入るが,実用的なコストで大規模に利用できるようになるかは不確実である.

3.脱成長シナリオ

このように,現状で描出されている,2050年前後に世界全体で脱炭素化し1.5度未満の温暖化に整合的なシナリオは,いずれも社会-技術的な実現可能性に大きな懸念のある仮定の上に成り立っている.この状況を打開するものとして,「脱成長」シナリオを提案する研究者の声が近年目立つようになった(Keyßer and Lenzen, 2021; Hickel et al., 2021).

「脱成長」(degrowthまたはpost-growth)は,エネルギーと資源の利用(throughput)を計画的に減少させつつ,社会の不平等を是正し幸福(well-being)を向上させることは可能であるという仮説の下,そのような社会経済システムへの移行の実現を唱道する理論ならびに社会運動である(Kallis et al., 2018; Hickel, 2020).この立場は,経済成長の必要性を自明視する現在の社会経済システムが格差や環境破壊を拡大してきたことへの強い批判に根差しており,成長を止めることにより社会の幸福をむしろ改善しようとする新しい社会経済のビジョンにその特徴がある.脱成長の仮説の実現可能性については活発な議論が行われているが,それについては後で述べる.

脱成長の仮説を前提とすれば,世界総計でGDP成長の無い将来シナリオを描くことができる(この際,現在の高所得国のGDPは減少し,低所得国のGDPは増加することが想定されている).この条件下であれば,既存シナリオの懸念点である,GDPとエネルギーの急激なデカップリング,再エネへの急激な移行,負の排出技術の大規模な利用のそれぞれへの依存度を緩和し,シナリオの社会-技術的な実現可能性を高めることができる(Keyßer and Lenzen, 2021)

一方,当然ながら,現状の社会経済システムから脱成長への移行には政治的な実現可能性において大きな課題があるため,脱成長シナリオを単純に最良の解として期待することはできない.しかし,検討すべき重要な選択肢の一つとして,今後の気候変動シナリオ研究に脱成長シナリオを含めるべきだと,擁護者たちは主張している.

脱成長シナリオの提案は,気候変動分野のみならず,生物多様性分野においても行われている(Otero et al., 2020; Lundquist et al, 2021).気候変動問題においては,CO2排出量を減らすこと自体は再エネや負の排出技術等の開発・普及の問題に還元する立場をとることができ,エネルギー・資源の利用拡大との両立を想像することが比較的容易である.一方で,エネルギー・資源の利用拡大が生物多様性に負荷をかけることを技術によって大規模に回避することは想像しにくいため,脱成長シナリオは生物多様性分野において,より強い注目を集めるかもしれない.

4.脱成長の政策とグリーン・ニューディール

では,脱成長の社会経済システムへの移行はどのように達成できると構想されているのだろうか.脱成長の擁護者たちは,脱成長への移行を促すためにはトップダウンの政策を提案するだけではなく,ボトムアップの社会運動が重要であることを強調する(Kallis et al., 2018).その上で,脱成長を促す政策提案として挙げられるものは,無償の公共サービス(ユニバーサル・ベーシックサービス),所得上限の規制,労働時間短縮,企業経営の民主化などである(Keyßer and Lenzen, 2021)

これらのいくつかは,米国民主党左派などが掲げる政策パッケージである「グリーン・ニューディール」(GND)と近い部分があるため,その違いを整理して見ておきたい.GNDは,簡単にいえば,気候変動対策などの環境分野を中心に莫大な公共投資を行うと同時に,格差や失業などの社会問題を抜本的に解決することを目指した政策提案である.

D’Alessandro et al.(2020)は,グリーン成長,GND,脱成長の3つの政策パッケージそれぞれの効果を,フランスを例にして経済モデルにより分析した.その研究で考慮された政策を,3つの政策パッケージの共通部分と違いがわかるように整理したものを図1に示す(あくまでこの研究で考慮された政策とその分類であり,一般的には細部が異なりうることに注意).

図1 グリーン成長,グリーン・ニューディール,脱成長に含まれる政策の例(O’Neill, 2020より)

3つの政策パッケージはいずれも脱炭素を目指すため,炭素税,エネルギー効率向上,再エネの促進は共通する.グリーン成長とGNDは必要な投資を経済成長により確保するために消費を促進する一方で,脱成長では消費や輸出を抑制し,富裕税をかける(ただし,富裕税はGNDの提案にもしばしば含まれる).また,グリーン成長では労働生産性の向上を促進するが,格差と失業の抑制を目指すGNDと脱成長では就業保証と労働時間短縮の政策がとられる.

D’Alessandro et al.(2020)の結果によれば,グリーン成長ケースでは温室効果ガス排出量は削減できるが,格差と失業は悪化する.GNDケースでは同様な排出削減を達成した上で格差と失業も改善するが,政府の債務が増加する.脱成長ケースでは他の2つよりも排出削減と格差や失業の改善に大きく成功するが,政府の債務はさらに増加する.この結果を見るかぎり,グリーン成長が社会問題の側面において抱える弱点が確認されたと同時に,脱成長が資金調達において抱える課題が指摘されたといえる.

5.脱成長への批判と反論

資金の問題以外にも,脱成長への批判や疑問は誤解も含めて多く存在する.それらの批判に対して脱成長の擁護者たちがどのように反論しているかを含めて,重要そうなものを簡単に紹介しておきたい.

一つめは,脱成長は結局のところ「不況」を意味するのではないかということだ(Hickel, 2020).不況においては多くの人々の生活が困難になり,誰も好き好んで不況を起こしたいとは思わない.これに対しては次のような反論がある.脱成長は不況と異なり,環境への負荷が大きいと同時に人々の生活にとっての重要性が低い経済活動(例:SUV車,兵器,広告による消費喚起,計画的陳腐化)を選択的に抑制する.一方で,生活に必要な経済活動(例:医療,教育,介護)は促進し,公共サービスとして無償提供する.不況においては格差が拡大し失業が増えるが,脱成長では逆に格差の是正と就業保証に取り組む.

次に,低所得国(global Southの意味で南側)には成長が必要ではないかという批判についてである(Hickel, 2020).これについて脱成長の擁護者は,脱成長は高所得国(global North,北側)に適用すべきであり南側の国は成長すべきであると明確に述べている.しかし,この問題はそれほど簡単ではなく,北側の国が消費を抑制すると,南側から北側への輸出が減少し,南側の国が不況に陥ることが懸念される.これに対して脱成長の擁護者は,そもそも現状の貿易の南北構造は,北側が南側の労働力や資源を安く買いたたき,環境負荷も南側に押し付けることで成り立っているのだから,その状況を是正し,北側が南側に対して正当な対価を支払うべきだと主張する.北側の脱成長の一部はその結果として実現すると考えられる.つまり,南側に正当な対価を支払うようになれば,北側は今までのペースでは成長できないはずなのである.

最後に,GNDとの違いに再び注目し,脱成長社会がどのように環境分野への投資や公共サービスに必要な資金を調達するのかについて見てみたい(Mastini et al., 2021).第一に,環境や社会に「有害な」分野(例:兵器,化石燃料補助金)の政府支出の削減に加え,脱成長により環境や社会の状態が改善すればその効果による政府支出の削減(例:医療費や雇用保険の削減)もありうるとしている.第二は既に挙げた富裕税の徴収を大胆に行う.第三に,中央銀行による信用創造(Sovereign Money Creation)という方法が提案されており(Boait and Hodgson, 2018),これによれば債務を増加させずに政府が資金調達できるということだ(詳細は筆者の理解の範囲を超える).

6.おわりに―次のパラダイムシフトは来るか

このように見ていくと,脱成長の社会経済システムを実現するためには,現状の世界の常識が大きく転換する必要があり,脱成長をたとえばGNDと同列な,一国内で構想可能な「政策パッケージ」の一つと見なすのは適切でないように思える.GNDは現状の資本主義システムの下で提案可能だが,脱成長は資本主義システムを世界規模で大きく書き換えるプロジェクトである点でGNDと質的に異なるのだろう(Mastini et al., 2021)

筆者が本稿で取り上げたテーマに関心を持ったのは,御多分に漏れず,斎藤幸平による「人新世の『資本論』」がきっかけである.日本国内では,脱成長は斎藤の専売特許のように取り上げられており,多くの読者を惹きつけている一方で,これをプロパガンダと見なして距離を置く人が学術研究者の中には少なくないかもしれない.しかし,学術誌を検索すると,環境科学の分野で脱成長をテーマにした論文が実に多く出版されていることに気が付く.筆者は,国内でもこのテーマの学術的な議論が真剣に行われる必要があると感じ,専門外であることを省みず,筆者なりに理解した内容を本稿で紹介させて頂いた.

今後,IPCCで評価されるような主流の気候変動シナリオ研究に脱成長シナリオが加わることになるかはわからない.これまでのIPCCのシナリオコミュニティの議論を振り返ると,2度より十分低い目標のシナリオが提案された際(十数年前)も,1.5度未満目標のシナリオが提案された際(数年前)も,「政治的な要請を意識してそのようなシナリオを含めるのは,政策的に中立というIPCCの原則に反するのではないか」という議論があったのを思い出す.しかし,そのたびに逆に「そのようなシナリオを意図的に除外するほうが政治的だ」という反論があり,結局シナリオは追加された.脱成長シナリオについても,今後同様の議論が起きるような予感がしている.

筆者自身は現時点で,グリーン成長路線のみで脱炭素を目指すことの危うさに同意している.しかし,次に来るべきパラダイムについては確信が持てていない.脱成長はうまく実現するならば魅力的なビジョンだが,実現するとしても時間がかかりそうだ.仮に30年かかるとしたら,2050年までの脱炭素化には間に合わない.その場合でも,移行期において部分的に実現する脱成長的な「要素」がグリーン成長の課題を緩和するのに貢献するかもしれないし,あるいは思わぬ形でもっと早くパラダイムシフトがやってくるのかもしれない.いずれにせよ,グリーン成長の課題を直視した人たちによる創造的な議論が,今後国内でも活発に行われることを願う.

(初出:江守正多(2021)「グリーン成長」の次のパラダイムは何か, 環境共生, 37 (2), 135-140.)

東京大学 未来ビジョン研究センター 教授

1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。同研究所 気候変動リスク評価研究室長、地球システム領域 副領域長等を経て、2022年より現職。東京大学大学院 総合文化研究科で学生指導も行う。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書 主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」「地球温暖化の予測は『正しい』か?」、共著書に「地球温暖化はどれくらい『怖い』か?」、監修に「最近、地球が暑くてクマってます。」等。記事やコメントは個人の見解であり、所属組織を代表するものではありません。

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