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ノキアの5G研究開発拠点・フィンランドの教育都市オウル――優秀な人材を育む環境とは――

土橋克寿クロフィー代表取締役、テックジャーナリスト
ノキア・オウルの入り口にて【筆者撮影】

 スポーツの祭典であるオリンピックは、新たな技術やサービスが導入・披露される場として、その後の私たちの生活に大きな影響を与えてきた。古くは1960年ローマ五輪や1968年メキシコ五輪が、生中継放送やカラー放送の普及を後押しした。2020年の東京五輪に向けても、競技中継映像の立体化、乗り物のスマート化、多言語音声翻訳システムなどへの取り組みが進む中、これら全てに影響を与える通信インフラにおいて、5G(第5世代移動通信)への期待が高まっている。

■5Gの先頭に立つ北欧都市オウル

ノキアのエルヤ・サンカリ(右)とオリー・リーナマー(左)【ビジネスオウル撮影】
ノキアのエルヤ・サンカリ(右)とオリー・リーナマー(左)【ビジネスオウル撮影】

 次世代通信規格5Gの通信速度は最大10Gbps以上とされ、現行の4G(LTE)の100倍。「低遅延」「高速大容量」「同時多数接続」という特長を備えており、映像分野、自動運転、遠隔医療、ロボット遠隔操作など、幅広い領域への活用が見込まれる。

 平昌冬季五輪においても試験導入が進んでおり、同五輪メインスポンサーである韓国通信大手KTは、複数の場所で5G設備を展開、選手のライブ映像視聴サービスなどのデモを行った。そんな中、同社を含めた韓国通信事業3社(SKテレコム、LG U+)との間に5G及びIoT時代の主要技術における共同研究MoU(了解覚書)を結び、外資として韓国基地局市場ナンバーワンのシェアを持つのがフィンランド通信機器大手ノキアだ。

5GはVR(仮想現実)やAR(拡張現実)にも活かされる【ビジネスオウル撮影】
5GはVR(仮想現実)やAR(拡張現実)にも活かされる【ビジネスオウル撮影】

 定評ある快適な通信環境を備える韓国において、3社がそろってノキアとの協力関係を築く背景には、同社が長年積み重ねてきた運用ノウハウと開発力への期待がある。ノキアの5G研究開発(R&D)において、その大部分はフィンランド北部都市オウルで行われている。ノキアの本社はフィンランド首都ヘルシンキ近郊のエスポーにあるが、同社は研究開発拠点をオウルに置いてきた。実際、フィンランド国内のノキア社員6100人中、オウル在住者は2350人。このうち研究開発部門が1560人を占めている。ノキアのオウル・ファクトリーを統括するエルヤ・サンカリは、オウルが5G領域で先頭に立つ理由についてこう話す。

「まず、オウルは何十年もの間、無線技術を開発してきました。同分野においては、多くの先端技術に関わっており、世界水準の経験が蓄積されています。そして、オウルでは大学や専修学校が技術力の高い若者を数多く輩出してきました。この点は、社会や技術を取り巻く環境の変化が早まる中、組織の再生を促進していく上で非常に重要です」

 たとえば、5Gネットワークを工場に活用することで、完全に自動化された柔軟な生産システムの構築に役立つとされる。すでに各種センサー・IoTによって自動化への道を進んでいる工場もある中、5Gへ移行したからこそ工場にもたらす変化とは何かーー。その一つはより柔軟なフロアレイアウトだ。ワイヤレス接続で周囲の機器を移動して再設定することが容易になる。ノキアは異なる製品を生産する組立ラインの再構成を自動処理する方法を探究しており、レイアウトを毎週変更できるだろうと予測する。

遠隔操作で相手と会話できる自走式ロボット、ノキア・オウルにて【筆者撮影】
遠隔操作で相手と会話できる自走式ロボット、ノキア・オウルにて【筆者撮影】

 ヘルスケア業界への5G活用においては、外科医がまるでその場に存在するかのような遠隔ロボット手術に役立つ。産学官共同プロジェクト「オウル・ヘルス」では、世界初となる5Gネットワークで構築された病院を市内に立ち上げた。こういった取り組みが可能なのも、オウルでは町全域に5Gテストネットワークが張り巡らされており、容易に試せることが大きい。

 ノキアやオウル大学で5Gテストネットワークを統括するオリー・リーナマーは「オウルは同領域の実験をするために非常に有益な場所だ。連携ネットワークは広範で、無線技術の経験と歴史が積み重ねられており、公共部門との連携もスムーズに行える」と話す。フィンランド政府やノキアが、この分野を先導しようという本気度が伺える。

■研究開発を促進するエコシステム

ビジネスオウルのヤンネ・ムストネン【筆者撮影】
ビジネスオウルのヤンネ・ムストネン【筆者撮影】

 フィンランド北部に位置するオウルとは、どのような街なのかーー。人口約25万人、在住者の国籍は120に及ぶ。平均年齢37.4歳と欧州内でとりわけ若く、毎夏エアギター世界選手権が開催されている。特に2014年頃からスタートアップ(急成長を図る新興企業)が増え、中でもヘルスケア&ライフサイエンス系は540社、ICT系は450社に達する。後者だけでも、セキュアリモートアクセスのTosibox、ビデオ分析のValossa、イメージング技術のSpecimなど多彩な顔ぶれだ。これらハイテク領域の専門家は1万8500人に及ぶ。

オウル郊外の人気アクティビティ「犬ぞり」【筆者撮影】
オウル郊外の人気アクティビティ「犬ぞり」【筆者撮影】

 オウルの転換点は14年前後。当時苦境に立っていたノキアのモバイル事業をマイクロソフトが買収、翌15年に大規模なリストラを行っている。オウル市内の無線エンジニアや専門家だけで数千人に達したが、この時にフィンランド政府やノキアはスタートアップ促進策を行った。例えばIoTウェアラブル開発会社Haltianは多くの従業員がノキア出身者であるし、ノイズキャンセリング機能付きイヤープラグを開発するQuietOnの共同創業者らも長年ノキアで経験を積んだ後に起業している。元々保守的だったオウルだが、大企業や研究所の出身者が次々と事業を立ち上げたり、参画することで、現在のようなスタートアップ・エコシステムが育まれていった。

「基点は50年に渡る無線技術です。オウルで開発されたICT技術は日々26億人に利用されています」

 オウル市の起業活動に重要な役割を果たしている産業支援機関ビジネスオウルのヤンネ・ムストネンはそう話す。ノキアは事業売却による雇用問題に対して、独自の起業支援「ブリッジ・プログラム」を行ってきた。同社従業員1万8000人が参加した同プログラムを経て、ICTを中心に1000社以上のスタートアップが創業している。その一方で、公的資金投入による大企業救済ではなく伸びる新興企業に目を向けた、政府の舵取りが功を奏した面も強い。

 また、オウルは教育都市としても知られており、教員養成で定評のある総合大学オウル大学や、官民で様々な取り組みを進めるオウル応用科学大学があり、学生数は2万5000人に及ぶ。オウル大学内での研究活動に基づいて創業したスタートアップは60以上を数える。

Indoor Atlasのヤンネ・ハベリネン【筆者撮影】
Indoor Atlasのヤンネ・ハベリネン【筆者撮影】

 例えば、ビデオAIのValossa、無線技術のKNL Networks、スポーツチームパフォーマンス分析のAISpotter、サイバーセキュリティ対策のCodenomicon、IoT向けソフトウェア技術のSensinodeなどだ。そんな中、屋内向け位置情報サービスを提供するIndoor Atlasは、17年8月に360万ユーロを資金調達したが、この時のリード投資家をYahoo! JAPANが担っている。オウル大学の元教授で、同社創業者のヤンネ・ハベリネンは次のように話す。

「Yahoo! JAPANには、投資以前から我々のサービスを利用いただいていました。我々のユーザーは中日米が大半を占めており、特に高層ビルの多い大型都市との相性が良い技術です。日本でも、我々の屋内向け位置情報サービスをARゲームやドローンに活用いただく事例が出てきています」

オウル市長のパイヴィ・ラーヤラ【筆者撮影】
オウル市長のパイヴィ・ラーヤラ【筆者撮影】

 多国展開するIndoor Atlasだが、今後もオウルを大きな拠点にしていく考えだという。オウル市長のパイヴィ・ラーヤラは、優秀な人材を引きつけ続ける理由についてこう話した。

「オウル市の平均年齢が若い理由の一つが、各家庭が平均して複数名の子供を産み育てていることです。そこには、政府の子育て支援や質の高い教育環境に加え、自然豊かな環境に囲まれていることも影響しているでしょう。北極圏に接した森林地帯では様々なアクティビティも楽しめます」

■専門技術者を良きプレゼンターにした仕組み

PBPの出場者【筆者撮影】
PBPの出場者【筆者撮影】

 オウルで毎年2月に開催されるPBP(ポーラー・ベア・ピッチング)では、起業家が凍ったバルト海に開けた穴に半身を沈め、氷点下の水温に耐えながらピッチ(自身の製品やサービスを簡潔に紹介すること)を行う。このコンセプトは世界各地のコンテストの中でも特に極端なものだが、今年はフィンランド、エストニア、フランス、アイルランド、ラトビア、ノルウェー、ロシア、ベトナムなどから広く応募が集まり、最終予選には12チームが参加した。

 このPBP設立の背景にも、世界最大の携帯電話メーカーだったノキアの苦境が関係している。その厳しい状況はフィンランド、特に研究開発拠点だったオウルの士気を大きく削いだ。PBP設立者のミア・ケンパーラは「私たちはまさにアイス・ホール(凍った湖に開けた穴)の中にいるような思いでした」と当時を振り返るが、この13年末の状況がPBPのアイデアを生んだという。

PBP設立者のミア・ケンパーラ【筆者撮影】
PBP設立者のミア・ケンパーラ【筆者撮影】

「状況を悪化させていたのは、地元エンジニアが技術革新に飢えているにもかかわらず、専門用語を使わずに一般消費者に向けてアイデアを説明することに慣れていなかったことです。起業家が市場に適合することを支援、投資を引きつける方法を考える中で、起業家をアイス・ホールに入れたらどうだろう?と思いつきました。彼らはより良いプレゼンターになり、的を射たピッチを強制的にするようになると」

 私たちが、このコンセプトから学べることもあるだろう。長くなりがちなビジネス会議やビジネスメールにおいて、議論や要点をまとめていく上で役立つかもしれない。街おこしという観点からみれば、温泉地で開催する独自展開もいいかもしれない。

 PBPのピッチに時間制限はないが、最長記録は4分53秒だ。今年のPBPでは、温室最適化のArtisun、旅行者向けサービスのCotio、防水軽量3DプリントのCastPrintらが上位3社として入賞した。PBPはスタートアップがまさに雪だるま式で成長していく上で、注目を集めるのに最適なステージの一つだ。

雪が激しく降る中、PBPの審査を行う投資家たち【筆者撮影】
雪が激しく降る中、PBPの審査を行う投資家たち【筆者撮影】

 14年2月の第一回PBPには、30社の新興企業が参加している。その時に受賞したローミングサービス提供会社Urosは現在、8カ国に海外オフィスを持ち、100カ国以上でモバイルサービスを展開している。14年から16年にかけて640%を超える年平均成長率を遂げた。

 次回のPBPは19年2月下旬に予定されているが、もし日本国内でフィンランドの起業文化に接してみたいなら、18年3月28-29日に東京ビッグサイトで開かれるフィンランド発祥の世界最大級スタートアップイベント「Slush Tokyo」に参加してみるのもいい。昨年の参加者数は5000人を超え、学生ボランティア主体、グローバルな参加者、交流を促す仕組み、クールな会場デザイン、会場内公用語が英語などの特徴を持つ。(詳細は過去記事「教育改革進むフィンランドーー学生主体の欧州最大級テックイベントとは」にて)

Supercellのイルッカ・パーナネン【筆者撮影】
Supercellのイルッカ・パーナネン【筆者撮影】

 筆者が16年末、世界的人気ゲーム「クラッシュ・オブ・クラン」などを開発するSupercellのヘルシンキ本社を訪れた際、同社CEOのイルッカ・パーナネンは取材の中で「最良の人々が最良のゲームをつくる」と繰り返していた。オウルのエコシステムは、市民の特性を理解した上で、その成長を促進させる最適な仕組みを作り上げた好例といえる。

クロフィー代表取締役、テックジャーナリスト

1986年東京都生まれ。大手証券会社、ビジネス誌副編集長を経て、2013年に独立。欧米中印のスタートアップを中心に取材し、各国の政府首脳、巨大テック企業、ユニコーン創業者、世界的な投資家らへのインタビューを経験。2015年、エストニア政府による20代向けジャーナリストプログラム(25カ国25名で構成)に日本人枠から選出。その後、フィンランド政府やフランス政府による国際プレスツアーへ参加、インドで開催された地球環境問題を議題に掲げたサミットで登壇。Forbes JAPAN、HuffPost Japan、海外の英字新聞でも執筆中。2018年7月に株式会社クロフィー設立。

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