すべての恋愛は、その二人にしかわからない「変態プレイ」である。『ファントム・スレッド』
今回は今年のアカデミー賞でダニエル・デイ・ルイスの主演男優賞を始め6部門にノミネートされた『ファントム・スレッド』をご紹介します。1950年代のファッション界を舞台に、天才デザイナーと彼のミューズである若い女性の運命の恋を描いた作品ですが、監督は『マグノリア』のラストで「カエルの雨」を降らせた天才ポール・トーマス・アンダーソンですから、一筋縄ではいかないのです〜!
ということで、まずはこちらを!
物語の舞台は1950年代のロンドン。オートクチュールの天才的デザイナーとして知られるレイノルズは、旅先で出会ったウェイトレスのアルマに一目惚れ。仕事におけるミューズとして、私生活における愛情の対象として、自分の屋敷に迎え入れます。彼が作るドレスそのままの、優雅と洗練、そしてリッチな生活に心を奪われてゆく田舎娘のアルマ。でもあらゆる面で完璧を求めるレイノルズが、真の意味で、自分の世界に誰一人として寄せ付けないことにも気づいてゆきます。
映画はここから始まる二人の恋愛の紆余曲折、え?え?ええええ~っ!と驚く斜め上の展開に至るまでを描きます。
映画は冒頭、まずはレイノルズが朝起きるところを描いてゆきます。ずーっと昔、私がドラマ脚本を書いていた頃、「“朝起きて、歯を磨いて…”から始まる物語なんて当たり前すぎ」なんてことを言われたもんですが、この映画はその例には当たりません。というのもレイノルズの“朝のお仕度”は、眉毛1本から靴下の上げ下げに至るまで気を配り、その手順さえも美しく儀式化された入念なもの、私のようなズボラからすると「朝からそこまでやったら働く前に息絶える」って感じです。
同じようなことはアルマをナンパする――これがまた紳士的でエレガントなんですが――場面でも見て取れます。田舎町のレストランで注文を取りにきたアルマに、卵はこう焼いてベーコンのかわりにこれをとか、もういろんなものを逐一指定。自身のスタイルや美意識に対する強いこだわりを持った、神経質なまでの完璧主義者なんですね。
さてそんな男の恋愛がどんなものか。
お察しの通り、相手を受け入れよう、同じ世界を共有しようなんて、全然思いません。例えば朝食で、アルマが食器の音などを少しでも立てたり会話しようとしたりすると、「私の思考の時間を邪魔するな!」って感じで、ものすごく不機嫌に席を立つ。よかれと思って用意したサプライズなんかも、喜ぶどころか「こういうの迷惑」とか言っちゃう人です。
当初はレイノルズとの出会いに、まるで自分がシンデレラになったような気持ちでいたアルマですが、そうじゃないということが分かってくる。いうたらレイノルズは「ずるい大人」の典型のように見えるのですが、ここからアルマの反撃が始まります。
それまでレイノルズの世界にすべて合わせていた彼女は、彼を無視して自分の好き放題にーーレイノルズが大嫌いなパーティに繰り出したり、別の男の視線を楽しんだりし始めます。すると今度はレイノルズがヤキモキする番で、ついうっかり彼女の行動に付き合ってしまったりする。そして自分が作り上げて来た世界が彼女に侵されてゆくことに、めちゃめちゃ苛立ち始めるのですー。
こうしたある種の恋愛パワーゲームは、ほんとに誰もが経験したことのあることだと思います。そういう押し引きの末に、別れてしまうカップルもいれば、二人だけの絶妙なバランスを見出すカップルもいる。そのあり方が独特であればあるほど、二人は互いをかけがえのないものと思えるかもしれません。
というわけで、二人が行き着くのはどんな場所か―ーここに、これまでの美しくエレガントな世界観が完全にひっくりかえってしまう展開が始まります。そこにある一種の「プレイ」は、彼らにとってはこれ以上ないほど甘くロマンティックなのですが、他人にはとうてい理解できない、もしかしたらグロテスクにさえ感じられるものです。
でも、だからなに?って話でもあるんですね。
彼の脇の下の匂いを嗅ぐのが好きとか、彼女にお尻叩かれるのが最高に幸せとか、たぶんどんなカップルも、キモいとか変態的に思われてしまいそうで、他人には言えない「プレイ」があったりするものです。その快楽を知ったことで、自分のすべてが変わってしまったかのように思えるなら、その関係こそ「愛」なのかもしれません。
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