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「障害者あるある」の背後に~映画「インディペンデント・リビング」で知る自立生活の可能性

上映初日に監督と出演者が観客とガッツポーズ(撮影・相澤冬樹)

車いすに乗って人生が変わった

 17歳。バイクで事故って首の骨を折った。頸髄損傷。首から下はもう動かない。障害者になった自分を受け入れられなかった。「自分はダメなんだ」と引け目を感じ、家に引きこもること15年。世話をしてくれたおかんが亡くなった。どないしよう?

17歳で頸髄損傷した渕上賢治(撮影・相澤冬樹)
17歳で頸髄損傷した渕上賢治(撮影・相澤冬樹)

 そんな時、障害者の自立を助ける自立生活センターってのを教えてもらった。そこのヘルパーさんが「車いす乗ってみようや」って言う。俺は嫌やってん。ずっと寝たきりやったから。服着んのも大変やし。そしたら「服、簡単に着したんでえ」「乗ってほんで嫌やったらすぐ(ベッドに)上げたるわ」ってあっさり言うから「そんなんええの?」思て…まんまと罠にはまってしもうたんや(笑)

 これは大阪市に暮らす渕上賢治(51)の身に実際に起きたこと。映画「インディペンデント・リビング」の最初のシーンだ。車いすに乗って渕上の人生は一変した。家に引きこもっていた男が、雨の日も風の日も車いすに乗りたい乗りたいとなった。「俺はこのまま施設に行って終わりたないんや」ヘルパーの助けを受けて一人暮らしを続けた。それだけにとどまらない。「もっかい時間を進めたいねん」ついに同じような自立生活センターを設立する。自分もヘルパーの介助を受けながら、自ら支援する側に回った

車いすが渕上の人生を変えた(撮影・相澤冬樹)
車いすが渕上の人生を変えた(撮影・相澤冬樹)

 映画の終盤、渕上は自宅でたばこをくゆらせ、くつろぎながらヘルパーに語りかける。「すごい仕事やで、心から。この仕事をやるために俺は頸損(頸髄損傷)になったんやなと思えるように今はなったからな」

 ぐっとくるシーンだ。

(取材当事者の意向で“障がい”ではなく”障害”の表記を使います。文中敬称略)

介助ヘルパーの男性が映画監督になるまで

 映画「インディペンデント・リビング」の監督は田中悠輝。29歳になったばかり。

監督の田中悠輝も介助ヘルパーとして働く(撮影・相澤冬樹)
監督の田中悠輝も介助ヘルパーとして働く(撮影・相澤冬樹)

 東京で障害者の介助ヘルパーとして働く傍ら、ドキュメンタリー映画の監督として知られる鎌仲ひとみ率いる映像制作会社「ぶんぶんフィルムズ」でも働き始めた。自分が介助する障害者の活動を記録のつもりで少しずつ映像に撮りためていたところ、鎌仲から「映像を撮った人には責任がある」と背中を押され、初の映画監督に挑むことになった。鎌仲はプロデューサーとして映画作りをサポート。ベテラン編集者の辻井潔も参加し、チームで映画制作が走り出した。

 もう一人、映画作りの立役者がいる。大阪市住之江区のNPO法人「自立生活夢宙(むちゅう)センター」の代表、平下耕三(52)だ。全国自立生活センター協議会の代表でもあるが誰も”代表”とは呼ばない。あだ名は”社長”だ。

”社長”こと自立生活夢宙センター代表の平下耕三(撮影・相澤冬樹)
”社長”こと自立生活夢宙センター代表の平下耕三(撮影・相澤冬樹)

 先天性の難病で車いすが欠かせないが、持ち前のバイタリティと冗談好きのキャラクターで周囲のみんなから慕われている。映画の冒頭で登場する渕上も、最初は夢宙で支援を受け、”社長”が自ら渕上の自宅に毎日のように通った。

 悠輝は介助ヘルパーとしての活動を通して”社長”と出会い、その人柄にひかれて夢宙に通うようになった。いつもニヤニヤ冗談ばかり言う”社長”から真顔で「悠輝ならできる。悠輝に撮ってほしいわ」と言われ、何としても作りきろうと覚悟を決めた。

 こうして大阪の自立生活センターを舞台に映画作りがスタートした。知的、精神、身体、多種多様な障害があり多種多様な背景を持つ当事者たちが映画に登場することになった。

公開初日に劇場であいさつ。前列右から監督の田中、”社長”平下、渕上。渕上の後ろに立つのはヘルパーの川崎悠司(撮影・相澤冬樹)
公開初日に劇場であいさつ。前列右から監督の田中、”社長”平下、渕上。渕上の後ろに立つのはヘルパーの川崎悠司(撮影・相澤冬樹)

夢は結婚式で司会をすること

 あっすー(本名・阿部明日香)は知的と精神の障害がある。母親との2人暮らしだが、自立生活めざし夢宙の支援を受けている。

 あっすーを担当するのはえみちゃん(本名・内村恵美)。えみちゃんも車いすを使う障害当事者で、もとは夢宙の支援を受けていた。今は事務局長として支援する側に回り、夢宙のヘルパーの男性と一緒に暮らしている。

 えみちゃんの家で開かれた食事会に招かれたあっすー。2人を前に遠慮なく聞きたいことを聞く。「結婚するんですか?」えみちゃんが「結婚なあ、してほしい?」と返すと、すかさずあっすーが「うん、結婚式の司会してみたい!」そこでえみちゃんは彼氏に「あすかが結婚式で司会したいねんて」すると彼氏「うちらの?断る!」きっぱり言い切った。あっすーは「断られた」としょんぼり。でも「できる?」と聞かれると「できる!頑張ったら」あくまでめげないのだった。

左があっすー、右がえみちゃん。夢宙の受付で(撮影・相澤冬樹)
左があっすー、右がえみちゃん。夢宙の受付で(撮影・相澤冬樹)

 もっともこんな愉快なやり取りばかりではない。障害者が自立をめざす時、必ずと言っていいほどぶつかる家族との葛藤。あっすーも母親とどう親離れするかに悩んでいる。同時に母親もあっすーとの子離れに悩む。

 本作では、その親離れ、子離れの緊迫した場面をカメラがしっかり捉えている。そして親子の緊張が高まった場面でえみちゃんはどうサポートしたのか?親も子も救われるそのやり取りはまさに“神対応”と言うしかない。さすが自立生活センターのベテランスタッフ。これぞ必見の場面である。

ボケた会話がおもろい…けど背景には奪われてきた社会経験の機会

 山下大希(たいき)は脳性マヒと知的の障害がある。ちょっと前、18歳まで山奥にある障害者施設で暮らしていたため世の中のことがほとんどわからない。何かものを頼んだりお礼を言ったりする時は相手の方を向いて話す、ということも知らない。映画では、たいきがそっぽを向いて「ありがとうございます」と言って、やんわり注意される場面が紹介される。

夢宙での試写会終了後、たいきに声をかける”社長”(撮影・相澤冬樹)
夢宙での試写会終了後、たいきに声をかける”社長”(撮影・相澤冬樹)

 たいきは渕上が立ち上げた大阪市天王寺区の自立生活センター「ムーブメント」の支援で自立生活をめざすことになった。担当した介助ヘルパーの川崎悠司も若い。同世代の気安さで、まずは打ち解け合うため興味のある話題を振る。例えば女の子の話。施設では女の子と2人になってはいけないというルールがあったという。だから女の子とのつきあい方をほとんど知らない。じゃあ今はどうやって?スマホでつながった人と通話できるアプリを使って話をするという。例えば…

女の子「たいきくんやん、おはよう、何してるん?」

たいき「ちょっときょうは見に行ってきてん(クリスマスの)イルミネーション

女の子「あれは彼女といくもんやん

たいき「でも楽しかったで」

女の子「え~まじ眠たいって」

 女の子と何とか会話を進めようとするが、どうしてもかみ合わず、すっかり浮いてしまう。川崎が横でどんなふうに言えばいいかアドバイスするが、たいきは充分理解せずに会話を続けるから、とんちんかんな受け答えになってしまう。そこで川崎が思いっきりずっこける。まさにボケとツッコミ。漫才を見るようで、劇場でも観客がたびたびドッとウケていた。

初日はほぼ満席で100人あまりが詰めかけた(撮影・相澤冬樹)
初日はほぼ満席で100人あまりが詰めかけた(撮影・相澤冬樹)

 このように随所にちりばめられた「障害者あるある」が笑いですくい取られ、映画の面白みにつながっている。そして笑いの後にふと、たいきが施設で社会経験の機会を奪われてきたことに思いが至る。映画の目線は常に「自立生活」の可能性に向けられている。

れいわ新選組の重度障害当事者が国会議員になったことの意味

 映画「インディペンデント・リビング」の一般公開は全国のトップを切って大阪・十三(じゅうそう)の第七藝術劇場で今月(1月)始まった。普通は東京から始まるが、今回は映画の舞台に合わせて大阪でのスタートとなった。聴覚障害者向けに全編に字幕が入っているほか視覚障害者向けに音声ガイドも受けられるバリアフリー映画だ。

上映の口火を切った第七藝術劇場の名は映画を七番目の芸術と捉えるところから(撮影・相澤冬樹)
上映の口火を切った第七藝術劇場の名は映画を七番目の芸術と捉えるところから(撮影・相澤冬樹)

 初日の劇場あいさつで監督の悠輝は語った。

「僕がすごい大きいなあと思ったのは、参議院議員に重度の障害の方が2人通られて、ずっと自立生活運動だったり障害当事者の運動が盛り上げてきたところがようやく一つの結果になったんかなと。いろんな問題がだんだんと白日の下にさらされる中で、いいタイミングで映画を公開できたかなと」

「いいタイミングで映画を公開できた」と語る監督の田中悠輝(撮影・相澤冬樹)
「いいタイミングで映画を公開できた」と語る監督の田中悠輝(撮影・相澤冬樹)

 その後に”社長”が続けた。

「今回れいわ新選組の人たちもそうでしょうけど、やっぱりこれまで置き去りにされてきた重度の障害者の存在をみんなが捉えていくのが大事なんちゃうかなと思います。この映画は(障害者)本人も含めて家族も周りの人も人生観が詰まっている映画やと思うんですけど、実際にれいわ新選組の当事者の人たちが議員になったというところでいろんな動きが出てきた気がしますし、我々もこの映画を機会にいろんな人たちに我々の活動を知って頂けたらと思います」

 そして一言。

「ほんまにたいきくんがほとんど笑い取っとったよね(笑)俺ら全然笑い取ってなくて。映画館てすごいな。みんな笑うところ笑ってくれて、俺ら笑いなかったもんな(爆笑)全部主役持っていかれてるなと思って…」

 映画では笑いを取れなくても、この劇場あいさつで笑いを取るあたり、さすが大阪人である。

「笑いが取れなかった」と笑いを取る”社長”(撮影・相澤冬樹)
「笑いが取れなかった」と笑いを取る”社長”(撮影・相澤冬樹)

しめだす「円」含めいれる「円」…「生きる証し」の映画

 劇場あいさつでも紹介された重度の障害のあるれいわ新選組の参議院議員舩後(ふなご)靖彦もこの映画を見てパンフレットに文章を寄せている。彼は映画の冒頭でアメリカの詩人、エドウィン・マーカムの詩が紹介されるのを見逃してほしくないという。

「その人は円を描いた/私を『しめだす』ために(中略)私たちも円を描いた/その人をも『含めいれる円』を

ポスターには出演する障害当事者たちが勢揃い(撮影・相澤冬樹)
ポスターには出演する障害当事者たちが勢揃い(撮影・相澤冬樹)

 最後に、監督の悠輝がパンフレットに綴った言葉をかみしめたい。

《本作を通して出会った、自立生活を目指す障害当事者や介助者たちは、お互いに必要とし、必要とされ、満たし合う関係が垣間見える。(中略)関係性の落とし穴はいつもすぐそばにある。けれども、その迷いや恐れを超えて、他者に出会い、関係を築いていく姿がいつもそこにはある。

 私はそんな彼らの日々の証し、「生きる証」としてこの映画を作った。

【執筆・相澤冬樹】

夢宙で試写会の後みんなで。さあ”社長”はどこにいる?”社長”をさがせ!(去年7月撮影・相澤冬樹)
夢宙で試写会の後みんなで。さあ”社長”はどこにいる?”社長”をさがせ!(去年7月撮影・相澤冬樹)

上映日程

大阪・第七藝術劇場(上映中~1月31日まで)

京都・京都シネマ(1月25日~31日)

大阪・シアターセブン(2月2日~7日)…第七藝術劇場と同経営。すぐ下の階

東京・ユーロスペース(3月14日~4月3日)

→その後、順次全国公開予定。監督や出演者、スタッフの思いが伝わったのか、評判は上々で、第七藝術劇場では上映2週目に入っても集客が衰えず、平日でもほぼ満席になる日もあるという。

映画公式サイト

https://bunbunfilms.com/filmil/

宮崎生まれ。NHKで記者修業30年余(山口・神戸・東京・徳島・大阪)。森友事件取材中に記者を外され退職。経緯は文春文庫『メディアの闇「安倍官邸vs.NHK」森友取材全真相』。還暦間近なるも修業継続中。「取材は恋愛に似ている」を信条に、Yahoo!ニュースや週刊文春、週刊ポスト、日刊SPA!、日刊ゲンダイなど様々な媒体で執筆。ニュースレター「相澤冬樹のリアル徒然草」配信中→http://fuyu3710.theletter.jp/about

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