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平成最後の昭和の日に大正駅で見た光景を令和初日に考える

大阪のJR大正駅で昭和の日に明治のR-1を撮る若者たち(撮影・相澤冬樹)

 4月29日、昭和の日。大阪市大正区の老舗バーで知人と飲んだ後、JR大阪環状線の大正駅から帰ろうとした時のことです。ホームの駅名表示板の前で若者たちがかわるがわる写真を撮っています。なにやら赤い小さなビンをかざして。

 これ、いったいなに? 無知な私に、一緒にいた知人が教えてくれました。

「あのビンは明治のR-1というヨーグルト飲料です。R-1はアルファベット表記で令和元年を意味するでしょ。つまりこれは『平成最後の昭和の日に大正駅で明治のR-1(令和元年)を撮った』ということで、元号5つがそろい踏みするめでたい写真なんですよ。ツイッターで猛烈な勢いで拡散してますから、若者たちが次々に来てるんでしょう」

R-1ごしに大正駅の表示(撮影・相澤冬樹)
R-1ごしに大正駅の表示(撮影・相澤冬樹)

 そ、そうだったのか! 確かに写真を撮っているのは10代20代とおぼしき若い男女ばかりで、おっさんおばさんはいない。おじさん、知らなかったよ。彼らは単に、日本中で話題になっている改元という出来事を気軽に消費しているだけなのでしょう。でも、こういうことが盛り上がること自体、若い世代の間でごく当たり前に元号が受け入れられていることを意味します。

元号が意味するもの

 ところで彼らは、昭和の日が昭和天皇の誕生日で、かつて「天皇誕生日」という祝日だったことを知っているのかな? 天皇の代替わりで元号が変わるのは明治以降のことで、これは一世一元の制と呼ばれ、天皇がこの国を統治することを象徴する制度だから、戦後いったんは法律上の根拠を失ったんだけど、1979年(昭和54年)の元号法制定で再び法的に位置づけられたことを知っているかな?

 そして元号は中国に由来します。皇帝が時間と空間を支配するという観念に基づくもので、日本は645年の大化の改新以降に天皇の統治強化の一環として中国にならって元号を導入したことを知っているかな? 日本の伝統と思っている人が少なくないけど、もとは中国であり、日本固有のものではありません。そして一世一元になったのは明治以降。長い日本の歴史の中で、まだ150年ほどしかたっていないわけです。

 元号のおおもとの中国も、中国文化の影響を受けた韓国(朝鮮)も、すでに元号を使っていません。西暦を使っています。日本は中国文化をもっとも忠実に受け継いでいると言えるのかもしれません。

西暦にすべきという意見もあるけれど

 今回のことを機に、元号を使うのをやめて西暦に統一すべきではという意見があります。少なくともビジネスではその方が便利だし、国際的にも通用しているからという理由です。

 西暦はキリストの生誕を規準にしています。正確にはキリスト生誕は紀元前4年でズレがありますが、いずれにせよ西洋キリスト教文明によるものです。これは西洋文明による時の支配とも言えます。そうは言っても世界で通用するし便利だから使う。英語と同じですね。

 一方、イスラム圏にはイスラム暦があります。日本にも元号があっていいじゃないかという意見があります。日本の暦は日本が決めるということですね。皇紀という日本独自の暦もありますが、神武天皇の即位を規準にするもので、戦時中には盛んに使われましたが、今はほぼ目にしません。

 明治大正昭和平成。元号を社名に使った会社はたくさんあります。元号がこの国の文化の一部として受け入れられてきたからでしょう。それは国がそのように導いたからでもありますが。

 日本文化を代表する一つ、日本酒も、製造年の表記を「29BY」「30BY」などと平成の年で表示しています。しかし、今年の酒はどうなるでしょう? 令和元年で「1BY」とするのか? 継続性を考え、これを機会に西暦に変えて「19BY」とする酒蔵が現れるかもしれません。

昭和から平成はどうだったのか?

 大正駅の出来事は、天皇の代替わりにともなう新元号が「めでたいこと」として捉えられていることを象徴します。報道もほぼお祝い一色になっていますから、それも無理ありません。では、昭和から平成への代替わりはどうだったでしょう。40代以上の方は覚えていると思います。私自身の経験を語ります。

 当時、私はNHK記者になって2年目で山口放送局にいました。1988年(昭和63年)にソウルオリンピックがあって、その期間中、特別編成でローカルニュースが短くなるから長期休暇をとっていいと言われ、チュニジアに行きました。10日たって帰ってきたら、昭和天皇の病状が深刻化し、世の中の空気が一変していました。

 NHKは全国の若手記者を動員して皇居周辺のすべての出入り口に貼り付け、皇居に出入りする侍医や関係者の動きを逐一報告させました。私の同期はほぼ全員これに駆り出されたはずですが、私はお声がかからず参加していません。ニュースは毎日、昭和天皇の病状を伝えていました。誰もが、昭和の終わりが近いことを感じていました。でも、それがいつになるかはわかりません。

 年が明けて昭和64年(あえて元号で)1月7日、その日が訪れました。昭和64年は7日しかありませんでした。当時の官房長官、小渕恵三氏が「平成」の新元号を発表し、小渕氏は「平成おじさん」の名で呼ばれるようになりました。菅官房長官も「令和おじさん」と呼ばれるそうですね。でも、あの時はめでたさは一切なく、テレビから娯楽番組が消えました。日本中が自粛ムード一色に染まり、冗談も言えないような空気に包まれました。天皇が亡くなって代替わりするというのは、そういうことでした。

最大の理解者は新旧天皇では?

 元号は権力者が時を支配する道具です。そのことを自覚する必要があるでしょう。お祝い一色に染まることは、空気に支配されていることを意味します。異論を許容する空気がなければ危ういことになります。

 日本では政治権力は選挙による国民の負託で統治を任されています。天皇に負託されているわけではない。天皇の代替わりは「日本国の象徴の代替わり」だから、それを政治利用すべきではない。そのことを政府はさほど自覚していないように見えます。マスコミもめでたさ一色の報道に染まっています。

 象徴の代替わりが持つ意味をもっとも深く理解し自覚しているのは、前天皇と新天皇ではないでしょうか? この国が抱える矛盾を象徴するように感じます。

宮崎生まれ。NHKで記者修業30年余(山口・神戸・東京・徳島・大阪)。森友事件取材中に記者を外され退職。経緯は文春文庫『メディアの闇「安倍官邸vs.NHK」森友取材全真相』。還暦間近なるも修業継続中。「取材は恋愛に似ている」を信条に、Yahoo!ニュースや週刊文春、週刊ポスト、日刊SPA!、日刊ゲンダイなど様々な媒体で執筆。ニュースレター「相澤冬樹のリアル徒然草」配信中→http://fuyu3710.theletter.jp/about

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