2度のスタートけん制で場内は異様な雰囲気に… 90年のKEIRINグランプリ制した坂本勉が明かす記憶と愛弟子・新山響平へのメッセージ
1990年のKEIRINグランプリは2度のスタートけん制が入り、当時レースが行われた立川競輪はスタート時点で大きくどよめいたそうです。そのレースを制してグランプリチャンピオンとなったのがロスの超特急こと坂本勉氏。決まり手は逃げ切りでの優勝でした。今回は坂本氏の「グランプリ優勝の記憶」と、KEIRINグランプリ2024に出場する弟子・新山響平選手に送ったメッセージについて明かしてくれました。(構成:netkeirin編集部)
「勝てる!」 2度のスタートけん制で“ゾーン”へ
KEIRINグランプリは今年で節目の40回目を迎えます。自分は34年前、1990年のグランプリを優勝したのですが、2度のスタートけん制がありました。今年は古性優作が1番車を選びましたが、現在はスタートを取るラインが有利にレースを運ぶ傾向にあります。ただ、当時は誘導のタイムも遅く、スタートを取って突っ張り先行へと入ろうとしても、後ろから来たラインにあっさりとインを切られることもありました。加えて他のラインも抑えに来るとスタートを取ったラインは内で詰まるレースを余儀なくされます。 1990年のグランプリ、前を任せた俵信之君とは「スタートを取りに行かず、後ろから攻めよう」と作戦を立てました。ですが、他のラインも同じ考えだったのでしょう。私は「このメンバーならスタートを取りに行くのは単騎の選手もしくは自分と同じ先行型の滝澤正光選手だろう」と思っていました。そんな中、2度のスタートけん制が発生することとなりました。 1回目のけん制で場内はざわめきましたが、2回目ともなれば怒声も交じりました。グランプリには毎年のように多くのファンが来場しますが、その時の立川競輪はとんでもない数の来場者がありました。あの緊張感の中での怒声交じりのどよめき…、あの“異様な雰囲気”は今でも忘れられません。しかし、この場面で自分は不思議な感覚の中にいました。怒声を耳に“異様な雰囲気”の渦中にいながらも、どこか落ち着いていく自分がいました。いわゆる“ゾーン”に入った状態だったんだと思います。今思い出してもあれは不思議な感覚でした。「勝てる!」といった直感めいたものが湧いてきたのを覚えています。 その直感がレースにも表れたのか、勝負どころでは身体が勝手に動いていました。頭で考えた動きではありません。後でレース映像を見返しても自分が走ったにも関わらず、思っていたレースとはまるで違いました。それだけ集中して走れていたのだと思います。学生時代にはロサンゼルスオリンピックで銅メダルを取らせてもらいましたが、グランプリの優勝はそれとは違った喜び「競輪選手としての充実感」がありました。 優勝した直後から、「来年もグランプリに出たい!」と気持ちが高まりましたし、それが選手としてのモチベーションになりました。グランプリにはそういう力があります。