「クマがかわいそうだから殺すな」と抗議するのと同じ…クジラが「海の靖国問題」と呼ばれるようになった背景
捕鯨をめぐる議論は、擁護派と反対派の意見が平行線をたどっている。一橋大学大学院の赤嶺淳教授は「擁護派は捕鯨を『日本の文化だから』と主張し、反対派は存在しない『スーパーホエール』論を振りかざしている。交わらない捕鯨をめぐる議論には大事な視点が抜け落ちてしまっている」という。18年にわたり捕鯨現場を取材し『鯨鯢の鰓にかく 商業捕鯨再起への航跡』(小学館)を書いたノンフィクションライターの山川徹さんが聞いた――。 【写真】2024年8月3日、約100人の人々がレンヌに集まり、シーシェパードの創設者ポール・ワトソンの釈放を要求 ■捕鯨は「日本文化」ではない ――捕鯨論争でひんぱんに耳にするのが、捕鯨を容認する側の「捕鯨は日本文化だから継続すべき」と考え方です。 意外に感じる人が多いかもしれませんが、捕鯨が日本文化と語られるようになったのは、ここ30年程度です。 確かに、日本では江戸時代から捕鯨を続けていました。しかし捕鯨を行っていたのは、和歌山県の太地町や、千葉県房総半島南部、高知県、九州北部から山口県などのごく限られた地域でした。正確には、捕鯨や鯨食は、日本文化というよりも、地域文化、もしくは地場産業です。「全国民的な日本文化」とは決して言えません。 その意味では、江戸時代から捕鯨を続けてきた地域には、捕鯨や鯨食は伝統文化として根付いていると言えるでしょう。 では、戦中の中断を挟みながらも、1934年から2018年まで南極海に船団を送り込んで続けた母船式捕鯨は日本文化と言えるのか。 江戸時代から続いた古式捕鯨とは異なり、南極海での商業捕鯨は長く見積もっても90年ほどの歴史しかない経済行為です。あるいは32年続いた調査捕鯨は水産庁の主導で実施されました。日本沿岸で行われてきた捕鯨と南極海での大規模な母船式捕鯨を一緒にして、日本文化と語るにはムリがあるのではないでしょうか。
■「日本は鯨をキレイに使ってきた」わけではない 日本文化論の最たるものが「欧米人は油だけ取って肉を捨てたが、日本人はクジラを余すところなく利用してきた」という誇張された言説です。 しかし現実には、日本が戦前に行った南極海での捕鯨では、欧米と同様、鯨油の生産が重視され、鯨肉の一部を捨てていました。 また、1980年代になると鯨類の生息数の減少が国際問題になり、商業捕鯨の継続ができなくなりました。そこで日本は、商業捕鯨の再開を目指して、鯨類の生態や生息数を確認するための調査捕鯨に舵を切ります。 当初、調査捕鯨では鯨体をすべて利用しなければならない決まりになっていましたが、やがて鯨油などの原料になる骨などの部位は捨てるようになりました。海の汚染を防ぐマルポール条約によって加熱などの処理をした部位の投棄が禁じられたからです。令和になり、日本のEEZ内で行われる商業捕鯨でも、在庫の調整のために内臓など需要が少ない部位を捨てています。 ――調査捕鯨時代の2000年代、反捕鯨団体が、捕鯨船から鯨体の一部を投棄される写真を示して「クジラをムダにしている。日本はまたルール違反をしている」と批判していました。 捕鯨論争は、建設的な意見交換と言うよりも、批判のための批判になっていましたからね。2000年代だとすれば、マルポール条約が発効したあとですから鯨骨などは加工せずに捨てなければならなかったはずです。 ■反対派が作り上げた「スーパー・ホエール」 ――容認派は捕鯨を「日本文化」と主張し、捕鯨に反対する人たちは「クジラは特別な動物だから保護しなければ」と訴えます。しかしクジラと一括りに言っても、90近くの種が存在します。多様な人間とのかかわり方、さまざまな特徴を持つ種がいるのに、捕るか、護るか、と問題が抽象化されている気がします。 とくに捕鯨に反対する人たちは、クジラを「The Whale」と単数で語る傾向にあります。「クジラは世界最大の動物であり、大きな脳を持つ。人なつっこくて、歌を歌いもする。そんなクジラが人間によって脅かされている」と。 しかしこの特徴をすべて兼ね備えた種のクジラは存在しません。世界最大の動物はシロナガスクジラで、大きな脳を持つのはマッコウクジラです。人なつっこいのはコククジラで、歌うとされているのはザトウクジラ。絶滅に瀕しているのは、セミクジラです。 独り歩きしてしまった架空のクジラ像は、1990年代初頭にノルウェーの人類学者・アルネ・カッランが、反捕鯨の主張を否定するために提唱した「スーパー・ホエール」という概念です。 実際に数が回復して、持続的に利用できる種がいたとしても「スーパー・ホエール」だからすべての鯨類は捕っていけないという理屈になる。 その点を踏まえれば、捕鯨や鯨食の地域性や、鯨類と住民とのかかわりの多様さを無視し、なんでもかんでも日本文化に落とし込んで単純化させる言説は「逆スーパー・ホエール」とも言える現象かもしれません。