「クマがかわいそうだから殺すな」と抗議するのと同じ…クジラが「海の靖国問題」と呼ばれるようになった背景
■量は少ないが、ゼロでないことが大切 ――しかし、商業捕鯨を行う捕鯨会社・共同船舶が生産する鯨肉は1600トン前後に過ぎません。有事を支える食肉にはなりうるのは難しい。 確かにそれはそうなんです。ノルウェーやアイスランドからの輸入を合わせても、国内に流通する鯨肉の量は年間で2500トンほどですから。日本国民にあまねく行きわたらせたとしたら、1人16グラムほど。焼き鳥1本分にも満たない量です。その点では、捕鯨だけで、食の安全保障をまかなえるわけではありません。 ただ食の安全保障で重要なのは、選択肢をいくつも持つこと。 私は2021年に捕鯨母船・日新丸に乗り込んで日本の商業捕鯨の現場を調査しました。クジラを探す技術、クジラを捕る技術、クジラを解剖する技術(捕鯨の現場では解体を解剖と呼ぶ)、または鯨肉の質を見極める目……。特殊な技術や知識の累積で成立する捕鯨という産業を目の当たりにしました。 ふだん鯨肉を食べないから捕鯨は必要ない。そう考える人も多いのでしょうが、一度、捕鯨の技術が途絶えたら復活は難しい。捕鯨をやめたら鯨肉は生産できなくなってしまいます。 ゼロか、わずかでも捕り続けられる技術と設備を維持するのか。量的な問題以上に、食の多様性を守るために選択肢を持つことが大切だと感じるのです。 ■ヒトが雑食である以上避けられない ――日本文化だから捕鯨を続けるのではなく、生きるために必要な食の多様性や選択肢を守るための捕鯨ということですね。 もちろん動物の権利や動物倫理の観点からすれば、捕鯨に限らず、動物を利用し、消費することへの是非について考え続けなければなりません。草食動物は草さえあれば生きていけます。肉食動物は、ほかの動物を食べて命をつなぐ。 われわれヒトは雑食だから、植物も動物も必要とします。ヒトは多様な食に、もっと言えば、生物多様性によって生かされていると言えます。生物としてのヒトが、雑食である以上、植物だけではなく、動物を食べるという行為から離れることはできないのです。 ---------- 赤嶺 淳(あかみね・じゅん) 一橋大学 大学院社会学研究科 教授 一橋大学大学院社会学研究科教授。専門は東南アジア地域研究・食生活誌学。ナマコ類と鯨類を中心に野生生物の管理と利用(消費)の変容過程をローカルな文脈とグローバルな文脈の絡まりあいに注目し、あきらかにしてきた。著書に『ナマコを歩く 現場から考える生物多様性と文化多様性』(新泉社、2010)、『鯨を生きる 鯨人の個人史・鯨食の同時代史』(吉川弘文館、2017)『生態資源 モノ・場・ヒトを生かす世界』(山田勇・平田昌弘との共編著、昭和堂、2018)、『クジラのまち 太地を語る 移民、ゴンドウ、南氷洋』(英明企画編集)などがある。訳書にアナ・チン『マツタケ』(みすず書房、2019)などがある。 ---------- ---------- 山川 徹(やまかわ・とおる) ノンフィクションライター 1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)などがある。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。Twitter:@toru52521 ----------
一橋大学 大学院社会学研究科 教授 赤嶺 淳、ノンフィクションライター 山川 徹