「クマがかわいそうだから殺すな」と抗議するのと同じ…クジラが「海の靖国問題」と呼ばれるようになった背景
■フェロー人にとっては「離島で生き抜く術」 離島であるフェロー諸島には、週に1度、船でコペンハーゲンからの生活必需品や食料が届きます。 しかし今年の春、労働組合がストを起こし、船の運航を一時的に取りやめました。フェロー諸島では、食べ物や生活必需品が手に入らなくなった。島で都市生活を営む人は非常に困りました。フェロー諸島を調査するオックスフォード大学の大学院生は「物資不足で私たちは本当に大変な目に遭った」と話していました。一方で、「フェロー人は涼しい顔をしていた」というのです。 流通が機能する平時は、フェロー諸島の人々も、われわれ日本の都市生活者と同じで、スーパーなどの小売店で生活必需品を購入して暮らしています。ただ彼らがわれわれと異なるのは、有事に自給できる術(すべ)を持っていること。 フェロー諸島では、追い込み漁に参加した人なら、ヒレナガゴンドウの肉が平等に分配されます。老人や身体が不自由で漁に参加できない人にも分けられる。フェロー人は、そうして配られたヒレナガゴンドウを干し肉にしたり、飼育する羊をハムにしたりして、いざというときに保存食として利用してきた。それこそが、400年にわたって培われた離島で生き抜く知恵なのです。 ■異なる環境で暮らす人びとへの想像力が欠如している その話を聞き、思い出したのが、コロナ禍の日本です。 コロナ禍で冷凍食品が買い占められているというニュースを知り、近所のスーパーに様子を見に行きました。すると、本当に冷凍食品の売り場が空っぽになっていた。 食料自給の問題が浮き彫りになったのは、コロナ禍だけではありません。ロシアがウクライナに侵攻したら、小麦や食料油の値段が上がりました。今年の夏も気候変動や、インバウンドの増加によって米不足に見舞われました。 サプライチェーンが機能する平時、食料自給の必要性を意識する機会はほとんどありません。多くの人が、クジラを食べなくても、ほかに食べる物はいくらでもあると受け止めています。 しかしフェロー人たちの生き方を知った私は、島国である日本は、海の生物資源に依存しなければ生きていけないのではないかと改めて感じました。しかもフェロー人たちは、400年間、続けてきた自分たちの生き方に誇りを持っている。 それを都市生活者のわれわれが安易に「残酷だ」と批判するのは厳しい環境に住んでいる人を無視した極論だと言わざるを得ません。 クマが人を襲う被害に悩まされている秋田県に「クマがかわいそうだから殺すな」という抗議の電話が殺到したのは記憶に新しいでしょう。電話の主はいずれも「クマが出没した地域以外の人」だというのです。 死傷者が出ている秋田県の人にとっては「かわいそうなどと言ってられない」というのが本音でしょう。クジラも同じで、私は「自分とは異なる環境で暮らす人びとへの想像力が欠如している」点を危惧しています。捕鯨にも、その生活をしている人たちにしかわからない意義があるのです。