小林邦昭さん通夜、藤波が若手時代の秘話明かす「豊登さんに、おまえら競輪選手になれと言われました」
今月9日に68歳で死去した元プロレスラー、小林邦昭さんの通夜が18日、都内でしめやかに営まれ、1970年代に新日本プロレス道場で若手時代をともに過ごした藤波辰爾(70)、前田日明氏(65)、藤原喜明(75)ら約200人が参列した。 【写真】弔問に訪れた長州力 報道陣に「来るな!」と一喝 小林さんは新日本プロレスが旗揚げした1972年に入門。同じ年の入門者には藤原、グラン浜田らがいる。当時から小林さんを知る先輩の藤波は「ショックですね」と肩を落とした。 「常に(呼び方は)三平ちゃん三平ちゃんでねえ。豊登さんが(あだ名を)付けてね。豊登さんはあだ名を付けるのが大好きでね。北沢さん(高崎山猿吉)しかり。僕と三平ちゃんは陸上をやっていたから、豊登さんには、おまえらいい脚してるから競輪選手になれとよう言われましたよ」と関係性を回想。小林さんといえば大食いで有名だが、巡業の宿泊先である旅館でも「おひつを抱えて食べてましたからね。すごかった」と大食漢ぶりを発揮していた。 78年に藤波が凱旋してからは小林さんが付き人を務めており、「彼は豊登さんの付き人をやっていて、付き人はどういうものか分かってるし、若手の時は三平ちゃんと道場にいたので気心も知れてるし。気を使うことはなかったでしょうけど、面倒をみてくれました。僕の方が上だけど、弟というよりも同期というか」と、安心感があったという。 小林さんがタイガーマスクとの抗争で大ブレークした時は本隊と維新軍に分かれていたが、「小林邦昭という個性が突出してきた。敵対してましたけど、同じ釜の飯を食った同世代が世に出てくれるのはうれしいもの」と喜んだ。 また、小林さんが92年にがんを患ってからも、胸に抗がん剤を注入するパイプを刺したまま道場で練習していたことに触れて「昭和世代の頑固さなんだよね。あまり自分の弱さを見せない。道場で普通にしてるし、『ここから抗がん剤入れるんだ』って」と、小林さんの強さを語った。前田氏も、小林さんがリングス道場に現れてこのパイプを見せ、「なんともない。練習したら大丈夫だよ」と笑い飛ばしたことを明かし、「ビックリした」と話した。 藤波は、一度は新日本を離れたが復帰し、選手として、道場管理など裏方として、新日本を最後まで支えた小林さんを「自分のやるべきことを全うした」とたたえ、「彼は(団体の)スタート時点を覚えているからね」と、道場への思い入れを推察。「僕も同じだけど、新日本プロレスは心のふるさとっていうのか、自分の家なんだよね」と、小林さんや自分に共通する新日本出身者特有の心情を説明していた。 前田氏は「練習生で入門した時にすごくお世話になった」という。「食えないとダメだぞ。体がもたないぞ」と、ただでさえ多い道場の夕食後、ステーキを食べに毎日連れて行かれたという。「大変なところに来た」と思ったが、そうやって体力を付けていたおかげで、過酷な練習を乗り切れたという。 また、小林さんは「新日本で最初にプロテインを飲み始めた」と、功績を証言。米俳優アーノルド・シュワルツェネッガー好きが高じてのことだったという。「大食いに関しても誰よりも食って頑張っていて、あの体を作った」と、小林さんの肉体作りへの情熱を思い起こしていた。 なお、前田氏が「(若手時代は)仲良くて、2人でじゃれていました」という、小林さんのライバルの初代タイガーマスク(佐山聡)は、関係者によれば、16日に小林さんと対面したという。 ◆主な参列者=藤波辰爾、藤原喜明、長州力、前田日明、佐々木健介、保永昇男、新倉史祐、西村修、真壁刀義、柴田勝頼、YOH、マスター・ワト、上村優也、大岩陵平、高杉正彦、宮戸優光、矢口壱琅、ストロング・マシーンJ、タイガー服部、ミスター高橋、浜口京子、木谷高明・新日本プロレスオーナー、菅林直樹・新日本プロレス会長、武田有弘・サイバーファイト取締役、平井丈雅・ストロングスタイルプロレス代表(敬称略)