大晦日「終夜運転」中の人に聞く〝裏側〟なぜ40年以上継続?乗務員おすすめの楽しみ方も…鉄道会社の想い
乗務員おすすめの楽しみ方も
高尾山は、2007年に富士山とともに最高ランクのミシュラン星3つを獲得したことで、多くの観光客が訪れるようになった。コロナ前までは、大晦日の夜から三が日までの約3日間で、5~7万人ほどの来訪客が高尾山口駅を利用。コロナ禍を経て、その数は4万人ほどに落ち着いてはいるものの、いつも以上ににぎわっていることは明白だろう。 猪野さんと阿部さんが、このときならではのおすすめの楽しみ方を教えてくれた。 「北野駅を出て京王片倉駅に向かう途中、富士山が大きく見えます。晴れていれば明け方は特にきれいですから、元旦の早朝に高尾山へ来られる方、あるいは高尾山から帰られる方は、ぜひ見てみてください。 また、千歳烏山~仙川間は線路がまっすぐで、正面に富士山がくっきりと見えるため、1車両目にいると富士山に向かって走っているような景色が楽しめます。運転士も気に入っている景色なんです」(猪野さん) 大晦日の終夜運転は、明治後期に始まったと冒頭で触れた。当時は、年内に取引を済ませたい商人の「足」として慣習化したと言われ、昭和になると初詣客のための「足」へとその役割を変える。 平成になり、年末イベントが多数開催されるようになると、初詣客に加え娯楽客の「足」となった終夜運転の車両は、より一層、ハレの空気に包まれるようになる。そのときどきの時代の雰囲気を終夜運転は運んでいる。 萩原朔太郎の『純情小曲集』という詩集の中に、「旅上」という詩がある。 「汽車が山道をゆくとき みづいろの窓によりかかりて われひとりうれしきことをおもはむ」 鉄道は単なる交通手段を超えて、人々の想像力をかき立てる乗り物だ。いつもは動いていない時間に乗る。そこには働いている人がいる。 いつも以上に想像力を働かせて、終夜運転に乗ってみよう。 (了) ◇ そば屋、神社、清掃工場、銭湯、介護現場……多くの人がお休みをとる年末年始も、変わらず働く人たちがいます。どんな思いで働き、どんなストーリーがあるのでしょうか。