発災10時間後には最初のお産も―恵寿総合病院が能登半島地震後も医療を継続できたワケ
正月の北陸地方に甚大な被害を及ぼした2024年1月1日の能登半島地震。民間病院の中で震源にもっとも近い石川県七尾市の恵寿総合病院は、震度6強の揺れに見舞われながらも発災当日から途切れることなく医療の提供を続けた。医療継続のためにどのような準備を重ねてきたのか、“次の災害”を見据えて医療機関がすべきことは――。“地震国”日本の全ての医療機関が向き合うべき課題について、神野正博理事長に聞いた。
◇生きた「東日本」の教訓
「災害でも医療は途切れないこと」――それが、1月1日に作った我々のミッションであり、こうするのだという決意を鮮明に職員に示し、動かしてきました。地震で病院の施設も被害を受け、水道水も止まりましたが、発災10時間後に最初のお産があり、翌日には全身麻酔の手術も行いました。緊急手術は発災当日でもできる態勢にはあったのですが、その日は必要とする患者さんがいなかったということです。 最初は仮復旧で、破損した水道管のバイパスを地面にむき出しの状態で設置したり、2台あったボイラーが破損したので両方から使える部品を集めて1台を動くようにしたりといったように、あるものでやりくりしながらなんとか機能を維持しました。 医療の継続が可能だったのは、免震構造の本館が生き残ったこと、水道は止まりましたが井戸水が使えたこと、電源が確保できたことといった設備面に加え、職員がどんどん集まってきて前向きに動いてくれたことが大きかったと思っています。ただ、透析に使う水だけは井戸水で賄いきれるか不明だったため、自衛隊の給水車に頼りました。 能登半島では2007年にも大きな地震(「平成19年能登半島地震」=七尾市では震度6弱の揺れを記録)がありました。この時に古い建物が損壊したことが本館を建て替えるきっかけになりました。その計画中だった2011年に東日本大震災があり、被災した方々からどのような点で苦労したかなど多くの話を聞き、それに対応するよう方針を転換しました。具体的には、液状化対策のための地盤改良とかさ上げ、本館の免震化、津波に備えて電源やサーバー室、熱源を高い場所に置く――といったことは、東日本大震災の教訓によるもので、それがなければ違った形になっていたかもしれません。また、いざとなったら自分たちが避難する経路を確保する必要があることから、屋上に夜間離発着も可能な大きめのヘリポートを設置しました。