発災10時間後には最初のお産も―恵寿総合病院が能登半島地震後も医療を継続できたワケ
◇災害に強い病院づくりにつながる医療DX
私たちは以前から、医療DXを進めてきました。業務用iPhoneもその1つですが、それ以外に今回の震災で機能したのが、希望した患者さんが自分のカルテ情報などを持ち歩くことができる「診療情報閲覧サービス」です。本人の検査データや診断名、治療内容、検査画像、処方内容などをスマートフォンやパソコンで閲覧できるシステムを導入していました。使っていた患者さんが避難先の金沢市の医療機関で提示して、薬や治療内容を確認してもらえたという報告をいただいています。 医療DXを進めることは、災害に強い病院を作ることにもつながります。サーバー室を免振棟上層の安全な場所に置いたこともあり被害はありませんでしたが、仮にサーバーが被災しても、翌日には東京か大阪からバックアップデータが届く手筈になっていました。
◇備え全てが役に立った
BCM/BCPで備えていたモノ・コトは、ほぼ全ての面で役に立ったと思います。 能登半島北部にも私たちの法人の施設があり、通信インフラが途絶える中、インターネット回線でつながるTeams電話だけは使用できたのが大きかったと思います。 苦労したのは食事の提供です。調理にはそれほど多くの水を使いませんが、食器や調理器具の洗浄に多量の水を必要とします。それ以前に厨房機器も壊れてしまったため、患者さんに温かい食べ物を提供するのが遅くなり、しばらくはレトルト食品を提供していました。防災協定を結んでいた三重県の業者から届いたもので、これも事前の協定があったからスムーズに運びました。 準備していたけれど使わなかったのは自家発電機ですが、これは多重防護の最初の段階でとどまったがゆえに使わずに済んだだけで、無駄な備えとは考えません。 事前の備えと、あるものをやりくりして、最初に作ったミッションどおり途切れることなく医療の提供ができたと思っています。
◇医療機関が声を上げる必要
日本のどこであれ、災害は必ず来ます。「来ないだろう」というのは単なる願望でしかありません。私は2007年の地震でも被災し「一生のうちに2度も大きな災害が起こらないだろう」という気持ちもありましたが、残念ながら起こってしまいました。 災害時にも医療を提供し続けなければならない医療機関は全て、備えをしておく必要があります。たとえば「災害が起こったら全員退避」というのも1つの選択肢ではあります。しかし、「退避する」ということや、どうやって退避するかの方法すら決まっていなければいざというときに身動きが取れません。 私たちは、消防や警察と同じように、災害でもサービスを下げてはいけないと思っています。それどころか、災害時には平時の業務に加えて災害医療、自分たちの復旧も同時並行で進めなければならなくなります。仕事は普段の3倍に増えるのです。それに対応するために備えているか、真剣に考えなければなりません。 災害に強い病院にし、備えておくためには多額の費用がかかり、診療報酬だけでは到底賄いきれません。こうした機能の病院を生き残らせるためにどうするのか、国は決めるべきです。また、医療機関は「お金がないから準備できない」と諦めるのではなく、声を上げて地元の自治体や国を動かしていく必要があります。 今回の震災を経て、しばらくはこうしたことの伝道師にならなければいけないかと思っています。
メディカルノート